ジッダでの会談は大統領就任以降、間違いばかりを繰り返していたトランプ大統領府、最大は昨月28日のトランプ・ゼレンスキー会談だが、の、誤りをアメリカが修正したものと見ることができる。武器支援や情報共有は再開され、人命を鉱物資源と引き換えるというトンチンカンな提案や、侵略された側の領土割譲というナンセンスも事実上反故にされた。
トランプは経済で躓き、ルビオはウクライナの提案を一部修正し、アメリカからの提案としてウクライナに合意させた。具体的なことは一切決められず、停戦履行の最大の難点とされた長い地上線については緻密な議論をしなかった。大統領に理解できないためである。今のこの人物の頭は株式市場と支持率で頭がいっぱいだ。ことこの人物においては、ゼレンスキーが彼の言うことを聞く体裁があればそれで良かったのである。たぶんそれでは終わらないと思うが、先の話である。
それでは終わらないというのは、ワグネルの乱の時のプリゴジンがある。プーチンは彼と幹部をクレムリンに呼び、温かく迎えて彼らの話に耳を傾けた。ワグネルを解散してベラルーシに行くこと、以降の行動は自由というプーチンの寛大さに彼は感涙したが、半年後に誰が見ても謀殺という事故で墜死することになった。トランプもゼレンスキーから受けた屈辱を忘れてはいない。
しかし、当面の相手はロシアである。トランプは騙せたがプーチンやラブロフははるかに外交巧者である。あれこれ難癖を付け、戦闘を継続するに違いないが、停戦案はウクライナ側に幾分有利なこともある。ウクライナ軍は領空外から撃ち出されるロシアの滑空爆弾や砲弾にさんざん苦しめられてきた。空中停戦ではロシアのその手段が封じられるのであり、加えて飛行禁止空域があれば、ロシア軍はその戦闘力を大幅に削がれる。それに対し、ウクライナが諦めるのはコンビナート攻撃くらいのものである。
ウクライナの石油化学コンビナート攻撃はロシア軍の燃料を断つ目的ももちろんあるが、もう一つの目的として、いくら制裁しても一向にロシア産原油の輸入を止めないEU諸国向けという面がある。見たところかなりの戦果を挙げているが、実の所、割を食うのはEU諸国である。ウクライナはこれらの国のロシア産原油の輸入額がウクライナへの援助額を大幅に上回ることを前から忌々しく思っていた。なので、コンビナート攻撃を止めることでウクライナとEUが失うものはあまりないのである。
フランス大統領マクロンは諸国の軍事関係者、日本まで含むを集めて停戦合意の履行策の具体化を求めた。日本がF-15戦闘機をウクライナに派遣することはありえないので、これはやはり前線保証軍と後方保証軍に二本化した、相当長期の安全保障の枠組みである。日本は後方集団の一員としてウクライナのインフラの再建に当たることになる。ロシアはたぶん合意しないが、合意してもしなくても時期が来れば実行するものと思われる。
スジャがついに陥落したが、陥落までの経緯はあっけないものであった。つい一月前、スジャのウクライナ軍はほぼ同規模のロシア軍を迎え撃ち、1月の北朝鮮部隊の壊滅と並ぶ記録的な勝利を収めた。が、おそらくすでに撤退の方針が伝達されていたのであろう。規模もかなり縮小していたが、およそ退却戦はあらゆる戦闘の中で最も難しいものである。いずれ退いたにせよ、今回は少し拙速に過ぎた。シルスキーはスジャの守備と退却援護を担当した北部方面軍司令官クラシルニコフを解任して失敗の責任を取らせた。この街の戦略的意義はすでに失われていた。
トランプは就任当日にウクライナ戦争を終わらせると明言したが、その約束は果たされず、彼の気まぐれと放言は同盟国に亀裂を生じさせ、アメリカへの不信が露わになった。が、生殺しのような援助でこの戦争を戦っていたウクライナにおいては、トランプの出現は欧州各国を脅威に目覚めさせ、団結させる契機になったことがあり、結果としては終戦は実現しなかったが、ウクライナにとってはそう悪くなかったように思われる。
実を言うと、先の大戦でも大英帝国とソビエト連邦はアメリカとの同盟関係抜きでターニングポイントまでを戦ったことがある。イギリスではバトル・オブ・ブリテン、ソビエトではモスクワの戦いだが、その勝利を見て、両国にアメリカが援助の手を差し伸べたのである。それまでは孤立無援の戦いだった。
ウクライナの場合は、三年間の戦いでロシア大陸軍をほぼ壊滅に追いやったことで手を差し伸べるべきであった。2022年のロシア軍はすでになく、現在ウクライナにあるのは足腰立つ老若男女を掻き集めた異形の軍隊である。これを押し返す余力はウクライナにはないが、ロシアも再度キーウに迫る力はない。
それを手を差し伸べるどころか援助を拒絶して指導者を嘲弄し、侵略者と手を組んで領土分割とはどういう了見だろうと思ったが、そこでトランプを見る諸国の脳裏に浮かんだのは、国防の提供と引き換えにこれらの国がアメリカに与えてきた有形無形の恩恵だろう。結局は元の鞘に戻ったが、トランプの発狂はこれらの国の国民に当たり前のこと、自国の運命は自国で決めること、自国を守るのは自国自身であること、国も個人も自分の運命を他人任せにはできないし、してもいけないこと、そのことに気づかせたのである。