格差国家が(この場合はロシア)がどうして同じ自国民を平気で捨て駒にできるのかはこの戦争を見ていていちばん疑問に感じるところであるが、以前聞いた話として、どうして日本の軍歌は「死んでこい」とか「水漬く屍」とかで、ジョニーが意気揚々と帰還する歌詞がないのかということもある。ウクライナですらこれはないものである。

 これも以前読んだ話として、応報感情というものは人に対してはしぶとく持ち続けられるが、モノに対しては続かないというものがある。息子を凶漢に殺されたなら、これは今でもテレビで頻出しているが、凶漢でなくても家族は復讐を叫び、裁判で厳重な処罰を求める。当局もこれには同情的で、審理に被害者を参加させる制度さえある。

 が、殺したのが折れた木の枝や暴れた牛さん馬さんだった場合には、昔はこれを八つ裂きにしてというのはあったが、裁判になる頃には応報感情はとっくに醒め、「あの木をバラバラにしてやりたい」とか、「あのガードレールが」という話は聞かないことがある。牛さん馬さんは道理を解する知能のない動物であることから、殺処分にすることが多いらしいが、動物愛護団体の抗議があるのが普通である。

 対象が人か人外かによる、この問題はだいぶ以前から指摘されており、つい300年ほど前までは殺害した物体(木の枝など、後の時代では凶器)は審判する頃には原被告共にただのモノなので、当局(昔は王様や教会)が没収して教会で供養してもらう(デオダント)という始末の方法があった。弁護人が精密な議論を展開するにしても、裁定した頃には誰も関心を払わないでは裁判にならなかったことがある。船のように無理矢理擬人化して審判することもあり、これは海事裁判の原型となった。

 この違いは人間の本能的感情に根ざしたもので、要は人間は対象がモノに近くなればなるほど、その処分には無関心、感情を動かされないものになるのである。

 人口の多い中国で数万人の被災がさほどのことでないように扱われたり、ロシアで極貧国民が消耗品のように扱われて殺されるのも、また日中戦争の時代に日本の東北地方で娘が身売りに出されたのも、共感が感じられないほど大きな格差の産物である。その格差は人間が作る。

 例えば当時、勅任官と呼ばれた日本軍の高級将官の年俸は現在貨幣換算で2億円ほどであった。赤紙で徴兵される最底辺の二等兵の年俸は150万円ほどで、これで共感を感じろといっても無理な話だろう。実際彼らはモノのように扱われ、無謀な戦いで多くは遺体さえ残らない無残な死を遂げ、今でも多くが発見すらされていない。

 現代の派遣労働も多くの会社では経費は「資材費」から捻出され、これは人のモノ化の一例である。イーロン・マスクの年俸は8兆ドルであるが、その彼が年俸は彼の二万分の一の連邦政府職員をどう扱っているかを見れば、格差が人間性を腐食させるものであり、社会の害悪であり、窮極的に国家を破滅や戦争に導くものであることは容易に理解できるだろう。格差はあること自体がすでに害悪なのである。

 生まれは選べないことから、そういったものを呑み込むのも処世術ではある。たいていの人間はそうであるが、あの副大統領みたいにそれが脳髄を冒してしまった場合は自他共に害悪となる。そして、彼と彼の仲間の乗る列車が谷底に向かって走っていくことも、ブレーキはたぶんあると思うが、誰もそれに触れないだけだが、外野から見れば紛れもない真実である。

 もし我々に五次元の知性があり、物事を超次元的に捉える感覚があったなら、たとえ一億倍の格差があっても、不公平というものは生まれないだろう。広大な宇宙にはそういう宇宙人もいるかもしれない。格差=悪では必ずしもない。イーロン・マスクも、巨大な富は政府より自分が使う方が文明を進歩させると思っているから富にこだわるのだろう。

 しかし、我々は猿から進化した、生体機構的には他の動植物とあまり違いのない生物であり、その中でも数万年の歴史を経て、ゆっくりと知性を発達させてきた生物である。ウクライナではロシア兵がドローンを撃ち落とせずに躍起になっているが、それは彼らが三次元の動態把握に馴染みがないからである。飛行するドローンの速度や方位、高さを瞬時に見分けることは訓練があっても難しい。鳥類は容易にそれを行うが、哺乳類であれば数十世代の世代交代を必要とする。

 しょせん我々は地球人なのである。格差が人間性を麻痺させることは、それが人類である限り免れがたいものである。一万倍といわず、数倍の差でも普通の人間は劣位の人間を認めることは少ない。それは思考の罠であるが、ドローンの前には無力な北朝鮮兵と同様、我々の生物学的頭脳では、無知と誤解は免れがたいのである。

 で、あるからして、我々は多くの事例から経験則を導き出すしかない。文明についてのマスクの主張は認めるにしても(彼が五次元人ならそれは可能だろう)、人類の一種であるマスクにはその理想は実践不可能であり、むしろ害の方が多い。そういう結論に至ることは先にも挙げたように人間の本質を考慮したなら当然のことである。

 

 壊してから学ぶのではない。時間が掛かりすぎる。それが数百年、数千年実践されてきたものなら、我々がこの星でもう少し長く生き延びたいなら、格差の是正は単なる所得の再配分に限らないものであり、人間性の回復がそこに含まれるはずであり、それは破滅を未然に防ぎ、人類の生存に不可欠な、人間であれば必ず辿り着く、ごく当たり前の帰結なのである。