、、まず頭を使おう、、

 前から不思議に思っていたが、トランプや維新、立花孝志を支持する人たちはいったい何が理由で支持しているのだろう。デマゴーグに簡単に惑わされる人たちを見て、「彼らは頭が悪いのだ」と結論づけたくなることはあるが、そういった「維新トランプ=頭悪い」論なら、山口二郎を始めとしたその筋の識者がうんざりするほど書いているので、そういった切り口は「もう飽きた」ともいえる。

 良くないと思うのは、ごく合理的に判断して妥当と思える論調が、いざ選挙となると簡単にひっくり返されてしまうことで、例えばトランプとカマラ・ハリスを比べたら(ヒラリーでも良い)、誰が見てもハリス女史の方が有能で大統領職にふさわしかった。先の兵庫の知事選にしても、再選された斉藤は自身の身の潔白を証明するようなことは何一つしなかった。むしろ叩けばホコリがバンバン(machuなど)出てくるような様子で、「2馬力」の立花孝史はいかにもいかがわしく、周囲のサクラはくだらなく騒々しいだけだった。

 ごく常識的な感覚の持ち主なら、彼らがおかしいことは分かりそうなものである。分からないのだから「頭が悪い」と言いたくもなり、それは説明にはなっているが、状況を十分説明できない恨みがある。

 そこで意識的に視点を変えることとしたいが、私は共産じゃないし、社会民主主義の信奉者でもない。どんな団体でも10年、20年と続ければあからさまな判断の間違い、明らかな失策はあるものだが、それでも同じ人間が責任も取らずに居座り続ける共産党とか北朝鮮、あるいはフジテレビの体制がまともだとは常識的に考えても思わない。私は学生時代から自分自身をリベラルを持って任じている。社民党に濁色された左派リベラルではない。本来である「中道」という意味である

 私は「○○先生が言ったから」でそれを鵜呑みにするようなナイーブな人間ではない。というより、「○○先生」のように畏敬の念を感じるような存在は私の人生にはいなかったし、状況がそういうものの存在を許さなかった。

 むしろ「○○先生」も人間である。人間であるがゆえに間違いを犯し、その間違いは論理的に説明できるものであるという方にシンパシーがある。事故は避けられないが、事故の対応には巧拙がある。だから「論理的」と書くのである。で、論理的に見て間違いがなく(あるいはごく少なく)、それでいて結果がまるで異なるものになる場合は、アプローチが間違っているのである。

 これは左派、あるいはリベラルの論客がおしなべて陥っている間違いではないだろうか。弓矢は鉄砲の代わりにならないし、クルマは船には換えられない。そう見ると、私はその論説をみなまで読まずに切ってしまうのである。

 いつものごとく前置きが長いが(これは覚え書きのはずなのだが)、トランプの件で見ていて思ったのはアメリカにおける「FEDERAL」という言葉の意味の遠さである。これは多くのアメリカ人にとっては地平線の向こうにある世界であり、自分とは関係ない世界であり、向こうから干渉してこない限り、こちらも関心を払わない。そういったニュアンスがあったように思う。

 なので良くある成功物語のように、ごく片田舎の善良な青年が何かのきっかけで連邦政府に関わるようになり、軍隊だとか宇宙飛行士だとか、宇宙艦隊の一員になるということは、そこでは素晴らしい体験があり、地球の裏側のアメリカ軍基地に赴任したり、ジェミニ8号の搭乗員に選ばれたり、エンタープライズ号に乗り組んだりすることはアイダホの田舎の感覚では完全な別世界で、「FEDERAL」とはそれを可能にする装置、善意の象徴であり、人を超えた力で才能や野心のある青年の背中を押すもの、そういったものとして理解されているように見える。

 これは我々日本人には少々理解しにくい。日本の場合はあまり人好きのしない感じの悪い政府が生活の隅々まで入り込みすぎている。鳥取の片田舎でも「政府ガー」といえば霞ヶ関のことであり、バルタン星のそれではない。アメリカ人のこの感覚は日本人には理解できないだろう。現に私も日本政府は狡猾で油断のならない相手と猜疑の目で見ているし、生活に密着した現実感も「FEDERAL」の比ではない。ケネディみたいに「政府を助けろ」と言われても、日本政府は嫌いなことから、「とっとと死ね」と返すのが関の山だろう。

 アメリカの世界では「FEDERAL」は悪をなしえない。どんなに政治家を嫌う人間でも、神のごとき連邦に「死ね」などとは死んでも言えない。

 これはトランプ支持者も同じである、と、仮定したい。

 思うに都会の大学生に仕送りしている田舎の親というのが、これなら我々にも理解できる、いちばん適当な比喩ではないだろうか。その大学生がある時チンピラに絡まれている女の子を見てポカッとやってしまったとする。チンピラは警察に駆け込んで、自分の行状は棚に上げて大学生を訴えたとしたらどうだろうか。

 私も似たような状況に巻き込まれたことはあるが、ここは大学生の方に分があったとする。正当防衛は他者防衛の場合も成り立つ。チンピラはカッターナイフでグヒヒと女学生を脅しており、侵害の急迫性もある。たぶん大学生はそういったことを警察でこもごもと言い、半年ほど後におとがめなし(不起訴処分)になる公算が大きいと思うが、息子から話を聞いた両親の見方はおそらくそうではない。

 「また面倒なことを起こして」がおそらく言い分であり、息子がかよわき女性の貞操を守ろうとしたことも、動機の善良さもお構いなしに非難を浴びせ、場合によってはチンピラ野郎に示談金まで払って和解して、とにかく面倒を起こした息子は「間違っていた」で終わらせようとするだろうことがある。息子のメンツは丸つぶれだが、この場合、両親は息子を踏み台にしてパターナリズムと自尊心を満足させたのである。あとは田舎に戻るだけだ。

 トランプ支持者にこれを当てはめると、遠く連邦政府に勤務している息子がやれウクライナ問題だ、USAIDだ、国際貢献だWTOだとやっているのは、それが「新たなる生命と文明を求めて、、前人未踏の宇宙へ」みたいに誇れる内容なら良いが、アフガン撤退みたいなバツの悪すぎる話は「余計なこと」であり、本来の仕事ではなく、それに専心する息子は「間違っている」という結論に安易に飛びつくのではないだろうか。ラストベルトの田舎から間違いを正す唯一の方法は、道を誤った息子に間違いを止めさせることである。つまり、トランプに投票することだ。

 この視点はあって良いと思う。ついでに書くならば、トランプ自身もまたそうなのではないかと思える節がないこともない。彼が住んでいるのはマンハッタンで田舎ではないが、こと連邦政府に対しては彼もアリゾナの砂漠民みたいなものだ。

 プーチンとの交渉では、どうも見るとトランプは旧ソ連の侵略主義者プーチンの言い分をほぼそのまま丸呑みしているようであり、これは事件の知らせを聞いたオクラホマの両親に通じるものがある。78歳と知的な分析力を披露するには歳を取り過ぎていることもある。そこでプーチンが要求する内容を吟味もせずにウクライナに突き付けるのは示談金を払ってさっさと終わらせようという上京した父親そのものである。事件の詳細自体についてはおそらく関心がない。そう考えると腑に落ちることがいろいろあるのである。

※ 形だけでも終わらせて2025年のノーベル平和賞を受賞しようという個人的動機もあると聞いている。アメリカ軍を進駐させて平和賞も何もないだろう。これも交渉で解決することにこだわる(そしてプーチンにつけ込まれる)説明になる。

 先のチンピラ暴行事件については、上京した父親に会った息子はいろいろと説明はするだろう。親だから一分の理ありと聞いてくれることは間違いない。が、父親自身は「手を出したおまえが悪い」で一貫していることがあり、それがカッターナイフでなくサバイバルナイフで、かよわき女性の衣類がはだけていて乳房が露出していたとしても、この信念は毫も揺らがないのではないか。トランプ(父親)とゼレンスキー(息子)が会談したとしても、この構図が変化することはないだろう。

 これはトランプがウクライナに同情がないとか、被爆した被災者に寄り添う心がないことを意味しない。ゼレンスキーの言い分を聞かないわけでもない。また人間として不善ということもない。ただ事情を知っても見方を変えず、行動に反映させないだけである。そして78歳は説得して見方を変えさせるには歳を取り過ぎている。ここでロシアとウクライナを巡る一連の行動は、彼にしてみれば善行を施しているつもりなのである。

 

 この親子関係の構図では、ウクライナがより大きな犠牲と屈辱を甘受させられることは、ウクライナがアメリカにとって身内と思われているなら当然である(ロシアは他人)。どう見ても経済植民化にしか見えない、ゼレンスキーに持ち掛けたビジネス(ルビオの言葉)はたぶん彼の本心で、傷ついた息子にパターナリスティックな恩恵を施したつもりであり、おそらく良心の呵責すら感じてはいまい。ついでに書くと、トランプ親父は一連の言動行動がいちいちアメリカ的価値観から逸脱している(多くはそう考えている)とも考えてはいないだろう。

 

 "We had a conversation with President Zelenskyy... And we discussed this issue about the mineral rights, and we explained to them, look, we want to be in a joint venture with you – not because we’re trying to steal from your country, but because we think that’s actually a security guarantee."

(Marco Rubio, US Secretary of State)

 

「我々はゼレンスキー大統領と会談した、、、そして鉱物権の問題について議論し、彼らに説明した。我々はあなた方と合弁事業をしたいのだ。それは、我々があなた方の国から盗もうとしているからではなく、それが実は安全保障の保証になると考えているからだ。」

(マルコ・ルビオ、米国務長官)


 長々長と書いた。ここまで読む者は私以外ほとんどいないだろうが、こういう例を見た私としては思う所はある。それはこういうことにならないよう、我々は何歳(いくつ)になっても、もっと頭を使うことを心がけようということである。


 イーロン・マスクやプーチンがこの現象をどう理解しているかについては、機会があれば後のこととしたい。イーロンはトランプより柔軟なはずだが、今のところ、彼はトランプの掌の上で踊らされているペヤング顔のクラウンにすぎない。

 

それにしてもよく似ている