ウクライナ戦争についてはアメリカで新大統領が就任するまで動かないと前に書いたが、クルスク南方に展開している北朝鮮部隊については先月にスジャ南方のプレホボ村を襲撃し、同地のウクライナ部隊を敗走させて村を占拠したことがある。ウクライナ側の損失は300名を超え、DPRKも同程度の損失を受けたが、ごく客観的に見てこれはDPRKの勝利と言えよう。同村は現在はロシア軍の拠点になっており、奪回された様子はないからだ。
が、同時に朝鮮人民軍の装備の立ち後れも明らかになった。人民軍はいわゆる第二次世界大戦形式の戦術、徒歩で地雷原を突破し、数を頼んで銃剣突撃する戦法を選んだが、これは条約に基づき対人地雷を装備していないウクライナ軍にとっては盲点となった。大隊規模の損失は彼らがこの種の攻撃を全く予期していなかったことの証左となる。
しかし、占拠には成功したものの、後続する部隊に対してはウクライナ軍はドローンと砲兵隊を主軸とする反撃を試み、ここで人民軍はかなりの損失を出している。一説によると損失は一千~三千名の範囲であり、最大だとすでに一万名いる人民軍の三分の一が戦闘不能になったことがある。戦力としてのDPRKの脅威は消滅したと見ることができ、それでいてプレホボ村の戦略的価値はほぼゼロと言って差し支えない。
似た状況の戦いは、昨年のハリコフやボルチャンスクへの奇襲攻撃があるが、この場合はロシア軍はオートバイや民生用車両など機動力は確保していた。そのため敗勢が明らかになった後は損失を出しつつも部隊は撤退に成功しているが、機動力のない人民軍の場合は兵力を逐次投入する以外に道はなく、それが望外の損失の原因の一つになったと考えられる。この戦いぶりから見て、この方面は人民軍の担当なのだろう。言われているようなロシア軍の補助などではなさそうだ。
が、この現代戦の時代にあっても、土地を占領するということは歩兵を都市村落に踏み込ませることであり、そうして確保された拠点は容易には失われないものという教訓を人民軍の戦いは教えている。奇策を用い、ロシア兵がオートバイで逃走したリプシやボウチャンスクはウクライナの手に戻ったが、プレホボ村は旅団規模の損失を受けてもなお人民軍の手に残っているからだ。ロシア軍ならとうに放棄しているだろう。
ここではもう一つ見える状況があり、上図は以前に私がクルスク方面の戦略配置図として図示したものを修正したものだが、この方面のロシア軍の規模は五万人(プラス人民軍一万人)と言われるが、実のところはもっと少ないのではないかと思えることがある。クルスクでの主戦場は人民軍のいるプレホボ村ではなくスジャ北西のゼレニ・スリャク村であり、付近にあるスナゴスチ貯水池である。ここに大部隊がいることは戦闘の数からして明らかであり、ウクライナ軍の防衛の主軸もこの村を通る街道沿いに行われている。
もし、ロシア軍の規模が公称通り五万人なら、昨年作図したように三方向から分進合掌して都市を制圧すればそれでよく、人民軍の位置も想定通りスジャの北東で、二倍以上の兵力差なら都市を占領するかポフロフスクのように陥落寸前まで追い込むことはできたはずである。が、これまでの戦いぶりを見るに、実働兵力は三万人あるかないかではないだろうか。
ウクライナ軍についてみると、ドローン戦術と諸兵科連携にはますます磨きが掛かっており、順序はいろいろだがドローンで敵部隊を攪乱してクラスター弾で一網打尽という流れるような手捌きには緒戦を考えると格段の差がある。戦場は人間が居られないような場所になりつつあり、これでは一千人でも一万人でも愚直な銃剣突撃では死者を増やすだけという感じである。こと平野部では一キロ前進するのも至難だろう。
ロシア軍については、開戦当時ロシア軍の戦車は三千両、装甲車両は一万台あるとされていたが、三年間の戦争でほぼ全部が失われたことが報告されている。最新型の戦車はついぞ見なくなり、長期保管の古戦車まで引っ張り出して戦っていたがそれもなくなり、オートバイやラーダ自動車で突撃する姿が日常になりつつある。それでもクラボベ要塞は陥とし、ポフロフスクを包囲する情勢を示しているが、総司令官ゲラシモフ直卒のロシア本軍の実力をもってしてこれでは先が思いやられると同時に、彼らが駆逐されないのはウクライナ軍も同様に弱体化しているからだが、損失は一日千五百人を超え(昨年のほぼ倍だ)、当面は大きな勝利は望めないことについては、彼らも困っていると思われる。