一昨日からこれまで動きの無かったシヴェルシュチナ軸、ハリコフとベルゴルドの州境を含む戦区でロシア軍が攻勢を掛けていることはキエフに衝撃を与えているけれども、以前からISWが「次はハリコフ」と1ヶ月以上前から連呼していたため、ロシア軍としてはアンコールに応えた感じである。この機関の分析はまあ、続く報道も読む前から中身が分かるようだ。

図がないと分かりにくいという人がいるから参考まで、青色はウクライナ陣地、赤丸はISWによる現在交戦中の位置と予想進路(黄色)、赤矢印は当方の見立て、ピンク丸はヒリボケ村。作るの面倒だからいちいち書かないよ。

 この正面を担当するのは中央管区軍、司令官はアレクセイ・モルドヴィチェフ上級大将、どこかで聞いた名前だと思ったら、以前の南部管区軍で副司令官(中将)を務めており、ヘルソンで戦死が伝えられた人物である。ドヴォルニコフに次ぐ同管区軍のナンバー2で、上長が「シリアの虐殺者」で、同僚(スロビキン)が「アルマゲドン将軍」なので、プーチン派の好戦的な人物に見えるが、昨年に中央管区軍の司令官に任命されて以降は鳴りを潜めていた。ウラルを拠点とする同管区軍はロシア四管区軍の中では最小最弱だが、ことウクライナ戦争では他の三管区軍を凌ぐ活躍をし、損失も最も少なかった部隊である。

※ スペック的にあまりに弱そうに見えたことから、戦車兵上がりのドサ回り司令官ラピンを筆頭に、政治力ゼロの冴えない面子の揃ったこの軍団は、中央のきらびやかな世界では誰にも注目されなかったことがある。実際、私もこれが活躍するとは思っていなかった。が、2年経ってみると弱者の特権で良く策を巡らし、実に巧妙に戦う部隊である。

 南部管区軍は将官の半数が戦死または負傷していることから、モルドヴィチェフは数少ない同管区軍の生き残りだが、抜擢人事で四管区軍の指揮官としては格下なことがある。二階級特進で昨年に上級大将になったが、たぶん部隊の掌握に時間がかかったのだろう。中将は中央管区軍にも何人もいる。

 ここ一年の中央管区軍の戦いぶりはドニプロ、ザポリージャ戦線を担当する南部、東部管区軍と比べても消極性が目立った。司令官は変わっても参謀や大佐以下の中級指揮官はラピン時代のままなので、一時はウクライナ方面軍総司令官も務めた前任者の後釜は簡単ではなさそうだ。およそまともなロシアの軍人で、この戦争に賛成している佐官以上の士官は前司令官のラピンやジドコも含めて、誰もいないはずである。

 中央管区軍には緒戦の忌まわしい集団的記憶がある。キエフ北方の車列の60キロ渋滞、汚職体質のウクライナで役人が道路工事代金を着服したせいで、2月にチェルノブイリから高規格道路のP56号線を南下した同軍団は途中で未整備の「道路のような何か」に踏み込んでしまった。それがあの大渋滞で、その後ウクライナ軍の攻撃と春の温暖化によるぬかるみで散々な目に遭って追い払われたことがある。この道路は地図上では高規格道路と記載されていた。道路は同管区軍の鬼門で、以降は細心の注意を払うようになったようである。ウクライナの地図は信用できない。

※ この60キロ渋滞と翌月のヴィタリー・ゲラシモフ少将の戦死は同管区軍には戦訓となったように見える。現地調査と情報秘匿の重要性であり、中央管区軍から西部管区軍に出向していたヴィタリーは総参謀長ゲラシモフの甥であり、携帯電話の盗聴で位置が暴露され、ロケット砲の攻撃で戦死したとされる。なので、これらの戦訓を踏まえた今回のハリコフ襲撃はウクライナ軍には完全な奇襲となったと思われる。

 で、戦況を見ると、ISWが選挙運動のように連呼していたから、E105号線は使いたいだろう。これはベルゴルドからハリコフに通じる道で、今は亡き西部管区軍が用いていた。西部管区軍はベルゴルドに司令部を置き、ハリコフの戦いまで同市を包囲していた部隊である。もう一つ東側に並行して間道のような道があり、もちろんウクライナ軍が要塞化しているが、どうも見るとこれらではなく、一見地図には載らない農道のような道を辿ってきたようである。

 

※ たしかに農道なのであるが、空撮で周囲の農地を見ると大型トラクターのキャタピラ痕が多くあり、地盤はそんなに悪くなさそうに見える。現地調査を行い、装甲車両の通過が可能なことを十分確認して進軍したのだろう。

 

 焦点はヒリボケという間道と農道の交差点にある村で、現在ここで激戦が行われているという。そこから西側の貯水池を迂回してE105号線に迫る作戦かもしれない。同管区軍の今までの戦いぶりから見て、そのままハリコフになだれ込むとは思えないことがある。西進してマリ・プロクホディまで迫れば、E105号線と呼応してウクライナの州境付近の防御を破壊し、ハリコフ市に重砲を落とす距離には迫ることができる。西部管区軍はサーモパリック爆弾だったが。

 ライマンを含むクビャンスク軸でも中央管区軍は攻撃を活発化させており、これは昨年にもあったが、サーモパリック爆弾まで使いながら結局村落は取れずに引き揚げている。農道の方は、過去に痛い目に遭っており、通行量も制限されることを見れば、そう大部隊とは思えない。未訓練兵をバンザイ突撃させるドニプロのような戦い方はしないだろう。編成その他は続報がないので分からないが、装甲車中心の機動部隊ではないか。将棋で言えば敵陣に入り込んだ飛車角のような動き方である。

※ NYタイムズの記事では、避難した現地住民の証言として、砲撃より機関銃の音が先に聞こえ、しかも近づいてきたことが言われている。射手が装甲車または戦車に乗っていたことはほぼ確実だろう。アホ将軍の集団のように言われるロシア軍だが、邪悪で腐敗した非民主主義の人権蹂躙国ロシアでも人材がいないわけではない。

 ここは思案のしどころで、モルドヴィチェフが管区軍を完全に掌握していたなら、彼はプーチン派でその後は攻撃を激化させ、西部管区軍が取れなかったハリコフを狙う動きをするかもしれない。ハリコフ・キエフの線はウクライナ攻略の王道で、本気でウクライナを征服するつもりなら、必ず意識するルートである。

※ 総司令官のゲラシモフがこのルートを念頭に置いてしていたらしいことは、昨年検討したことがある。確かに正規の教育を受けたプロの職業軍人なら、緒戦のようなハンパで怪しい戦法は取らずに、このルートでキエフに進軍しただろう。ハリコフを陥とさずしてウクライナを征服することは叶わないのである。そしてそのFSB謹製の謎戦略に付き合わされ、強面の割に前線に出ることは稀な上長ドヴォルニコフの代わりにヘルソンでHIMARS攻撃を受けて負傷したのがモルドヴィチェフである。

 が、前回のように再び逡巡したなら、ハリコフ攻略はおろか、ロシア軍内部の不協和音が露わになり、後プーチンのことを考えても、これはマークしておいた方が良い軍団となる。中央管区軍より装備が良く、モスクワ守備の切り札だった西部管区軍はプーチンの手でほとんど解体されてしまった。侵略の手先となった南部管区軍はもうボロボロでネパール人を突撃させるしかなく、師匠のドヴォルニコフに使嗾された東部管区軍は虫の息である。黒海艦隊は壊滅し、北方艦隊を除けば、中央管区軍は唯一開戦当初の軍組織を温存しているロシア軍になる。

※ 緒戦の東部管区軍を指揮していたチャイコは最年少の上級大将で、シリア戦役でのドヴォルニコフの子飼いの部下である。ただでさえキエフ近郊の戦いで苦戦しているのに、古の腐れ縁でさらに戦下手のドヴォルニコフに戦力を抜き出されたため、彼の管区軍はウクライナの反撃で無様な敗戦することになった。プーチンは軍司令官人事については派閥を作らないようにしていたので、このドヴォルニコフ・チャイコの師弟関係は「例外」として、とても良く目立ったことがある。

 齢71歳の終身独裁者、インチキ選挙で当選し、ますます迷妄の度を深めているロシア大統領について行くのは嫌だろうとは、隣でアウディウカの屍山血河を見せつけられた中堅以下の若い将校は誰でも思うだろう。残念なことにナワリヌイは死んでしまった。最近のプーチンはロシア正教のお告げで核の使用を考え始めており、バンザイ突撃もイヤだし、核戦争もイヤだとなれば、彼らの行き着く所は自ずから決まっているようにも見える。

 アウディウカ正面のウクライナ軍を分散させる陽動作戦と緩衝地帯の創設というのがISWの見立てだが、緩衝地帯というのは要するに焼き討ちで、私は連中、陽動もマジメにやるとは思えない。前面のロシア軍につき、シルスキーの手元にどのような情報があるか興味深い所である。これまでのドニプロ軍とは相手が違うため、M1戦車も含む想定以上の兵力を送り、ガツンと叩いて戦意を見るというのが、ありそうな所ではないだろうか。

 

※ 衛星写真を眺めながらコーヒーを飲むのが日課の、究極のコタツ記事作成団体、先に報じられたISWの変なレポが念頭にあるので、ハリコフへの兵力転用は悪いこととジャーナリズムには思われており、シルスキーのこの行動は悪手で不吉なものと捉えられている。ISWみたいな楽な仕事があるなら、地図書き間違えても平気だし、私だって就職したい。

 

(補記)

 インチキ選挙が終わり、小泉悠によると演説でロシア人のハートをガッチリ掴んだプーチンはこれまでは我慢していた戦争に不平不満を洩らす手下たちの粛清を始めたようである。ショイグ国防相とパトリシェフ総書記が解任され、ポスト・プーチンと目された有力幹部がまたしてもクレムリンから消えた。このことを予測したメディアはなかったわけではなかったと思うが、確か英国国防省のレポに示唆があったが、戦争ヲタク系のISWほか多くには立板に洪水、寝耳に水であったと思われる。

 

 特にショイグはロシアの越後屋プリゴジンを粛清してまでして守ったプーチンの腹心であり、関係は冷却化していたとされるが、ここで切られることは想定外と言える。パトリシェフもポスト・プーチンの最有力と目されており、ショイグのような失点もなかったことから、排除の理由にはなにかドロドロとしたものがあるはずである。

 

 先の覚え書きで、アウディウカで再編したロシア軍の動きの奇妙さから、政権内部に何か派閥抗争のようなものがあるのではと漠然と書いたが、この戦争のもう一つの目的が、超長期政権で国民に飽きられたプーチンの政権基盤強化であることは忘れてはならない。戦争遂行に掛けるのと同程度、あるいはそれ以上の熱意でプーチンが潜在的な敵の排除に勤しんでいたことがあり、それが緒戦でハリコフを陥とせなかった理由である。

 

※ 軍に力がないことから、「派閥抗争=クレムリン内部の政治抗争」と考えて差し障りはないと思う。

 

 初代司令官がゲラシモフの西部管区軍はフルンゼ陸軍大学閥を中心とした最新最強の兵備を持つロシアで最も優良な部隊だったが、ここ10年間の司令官人事は修羅場で、司令官は頻繁に首をすげ替えられてはカザフスタンの僻地に送られるという人事を繰り返していた。2年間の戦争ではついに事実上の解体に成功し、現在のロシアで大統領に歯向かう高級軍人のグループはいないとされる。

 

 そんな中、出身兵もウラルの辺境民で、二線級のボロ装備を纏い、それでいて組織も戦力を温存し、プリゴジンとも関わらなかった中央管区軍は異色の存在である。ウクライナでもおよそ1年間怠業していたこの軍団にプーチンが目を付けなかったことは私もかねがね不審に思っていたが、実際の所はどうだったのかはこれから分かることになるだろう。