ウクライナ戦争はついに800日を数えたが、3月のアウディウカ失陥、プーチン再選以降のロシア軍の戦略はやや混乱している。いわゆるドネツクの魚の骨(アウディウカ、マリンカ)を除いた後、ロシア軍の進軍は止まり、ウクライナ軍が南北に長大な包囲線を築いたことで突出した部隊による散漫な戦闘はあったものの、都市を抜いたロシア軍は部隊を分散させ、ウクライナ軍の弾薬不足も相まって、北はクビャンスクから南はオリヒフまで全戦線で激しい攻撃を掛けていた。


地図がないと分かりにくいという人がいるので参考まで

 が、4月末にウクライナ支援予算が可決され、武器弾薬が戦線に行き渡り始めたことでロシア軍は再びアウディウカに戦力を集め始め、都市北方のT511号線とN15号線を軸に北はポクロフスク、南はマリンカ西方のクラコフに圧力を掛けている。

※(やられすぎたので)展開しても全戦線を攻撃する余力がないことに今さらながら気づいたのかも知れない。

※ 全線に展開しても攻撃の様子からロシア軍の配備は薄い(各個撃破のチャンスである)と前に書いたが、ロシアでも同じような考えをする人がいたかもしれない。

 アウディウカを放棄したウクライナ軍は都市の西方にあるM14号線付近の貯水池に陣地を築いていたが、これは都市戦闘の最中でも機能していた後方要塞の一部で、ロシア軍の包囲を受けつつも、しぶとく抗戦していた場所である。


元の図面(ISW)を無くしてしまったので、ロシア軍の進路は赤(ISW)ではなくおそらく青。青線のウクライナ陣地は今はなく、ロシア軍はより西方に進出している。青丸部分はISWの地図では空白地帯として記述されていた。

 ISWの例によっていい加減な図面による報告では、ロシア軍はこの陣地の目前を横切り、ステロープを抜けて北方のノヴォカリノヴェに出現したとされ、これはその後の動向も相まって目的不明とされたが、私にはこれは横断運動ではなく繞回運動に見えたことがある。勢力を恣意的に色分けするISWの地図では旋回するロシア軍の動きが見えないが、この地図はいいかげん作図の例としてつい先日まで取っておいたものである。

※ あの色分け地図は英国国防省も使っているが止めた方が良いと思う。少なくとも私は色分け図で戦況を見ていないし、見ても信用していない。

※ ISWはチャシフ・ヤールやハリコフが戦略上の焦点のようなことを言っているが、バフムト戦線は北方(至セベロドネツク)をウクライナ軍が半包囲していることにより案外安定している。ハリコフに至っては中央管区軍は動く気配もない。

※ だいたいこいつら(アメリカの軍事ヲタク)の言う事を真に受けて配備を厚くすると膠着か大損害というのが通り相場である。こいつらが半年も前から攻略を連呼していたのでロシア軍に防備を固める暇を与えてしまい、攻略に失敗したザポリージャ戦線は記憶に新しい。


 やはりこの線が生き始め、ロシア軍は中部ウクライナに向かう二本の矢を持つが、T511号線を進めばその先にはドニプロがあり、これはこの地区の中心都市である。抜かれれば南部ウクライナは干上がり、ハルキウは孤立するだろう。N15号線の先にはザポリージャがあり、これも重要都市である。しかし、戦力を集中させたいなら、なぜ一方向から攻撃しないのか。そもそも戦力を分散させず、最初から攻撃しておれば、今頃はウクライナ軍の補給地パブログラードを抜き、ドニプロに迫っていたのではないか?

 過去の例ではプリゴジン軍団と共闘することを嫌気したゲラシモフがヴフレダルに布陣してメタメタにやられたことがある。どうも今の動きは選挙後の論功行賞か、派閥争いの匂いがする。惑いすぎのロシア軍の様子を見たシルスキーが現地に出張し、直接指揮したことで両軍団はかろうじて抑えられている。

 インチキ選挙とはいえ正統性を得たことで、4月はプーチン軍総攻撃の月だったが、働かない中央管区軍、チェチェン軍については後者に変化が見られる。何でも親ロシアの領袖を中心に9千人の部隊を編成し、ウクライナ戦に投入するらしい。この国に親ロシア以外の勢力などあったのか、入院中のラムザン(二代目カディロフ)はどうなったのか。

 

※ プーチンの大統領就任式では一応顔だけはいた。出ないとプリゴジンみたいに殺されるからだろう。

 

 二代目カディロフはビジネスマンで自軍のチェチェン兵士の損失を恐れており、マリウポリなど激戦地に立つ自身の画像もグロズヌイからの合成で、チェチェン軍はもっぱら後方で残酷映像を撮影して送るTikTok軍と呼ばれていた。カディロフの弱体化で、今度はプーチンがこの国に直接手を突っ込んで足腰立つ面子を総ざらいしはじめたのかもしれない。

※ 二代目カディロフがプーチンに協力するのは観光産業への投資などビジネス目的が理由で、戦争は二の次と言われていた。なのでTikTokではウクライナ軍相手に勇戦しているチェチェン軍は自国軍兵士の数が極端に少なく、多くは外人部隊で構成されているとされる。

 なお、滑空爆弾がウクライナ兵士の実録証言付きで西側に大々的に喧伝されたことにより、気を良くしたプーチンはこの兵器の大増産を指令している。この爆弾自体は大した値段ではないが、運ぶのに大型ジェットのSu-35が必要で、これは高価で高性能なジェット機であることから、これはひどい指図ミスと私には見えるが、プーチンが失策に気づくのは前線でこの戦闘機がバンバン撃ち落とされてからのことになるのだろう。ロシアの独裁者には思い通りにならないことが少なからずあるが、物理法則もその一つである。

※ この爆弾を巡る報道自体がウクライナ情報部の謀略ではないかと疑っている。

 以前にアウディウカ戦について、ロシアの悪あがきのせいでいつ終わったのか分からないようなものと書いたが、補給を受けたウクライナ軍の戦果は最盛期の水準を回復している。独裁者の逡巡と気まぐれは往々にして対立する勢力の利益だが、そもそもウクライナ支援予算もプーチンがハマスとネタニヤフを扇動しなければ可決しなかった。

 兵力不足(実を言うとプーチンは支持基盤であるモスクワとサンクトペテルブルクの市民を戦争に巻き込みたくない)のロシア軍は悪い政治のせいで貧乏な辺境の少数民族も枯渇し始めたので、ネパールやインドの貧民を甘言で騙して前線に送っているようである。ルハンシクではネパール人兵士の集団脱走事件があり、特別軍事作戦は限界が近づいている。

※ 旧ソ連は格差社会でマルクスの理論にそういう記述があったとは思えないが、都市は資源の優先配分順にランク分けされていた。モスクワなどはAで、キエフ、トビリシなどは同じ人口でもBないしCと制度化されていた。概してロシア人の多い都市ほどランクが高く、少数民族の多い都市は人口が多くても同じ大きさのロシア人都市に対し低い優先順位に留まっていた。また、政府機関のポストや学者などもモスクワ出身者が優遇され、CISとして独立した後でも政府の主要ポストはロシア人という例がまま見られた。ウクライナもキエフ、ハリコフなど大都市と農村部には出自を巡る格差があったとされている。なので、危険な戦線に少数者や地方出身者を送るのは彼らの論理では理の当然なのである。

 別のコラムで書こうと思ったが、残虐で話し合いのしようもないように見えるロシア、とりあえず侵略を非難するのが社交儀礼だが、の、政策は案外西側のそれと似ていたのである。トリクルダウン理論はロシアでも用いられたし、シカゴ学派のどうしようもない経済運営も同じだ。ロシアのエコノミストは自国の市民と話すより、欧米の経済学者と話す方が共通言語を多く見つけられただろう。

 都市や大企業に富を集中し、地方を窮乏化させる政策は大量の失業者を生み、その失業者は職を求めて都市になだれ込む。その都市では流入した安価な労働力により平均賃金が下がり、都市もまた貧しくなる。都市が貧しくなれば地方への需要が減り、さらに貧しくなる。トリクルダウン理論は経済を縮小させ、貧乏人を大増産する政策で、貧困スパイラルを生じさせるだけでなく、国を分裂させ、社会不安を煽る政策である。

※ 格差と言われているが、「二重経済」という方がより的確な表現だと思う。これは日本やアメリカなどにも当てはまる。

 極東のタタール系ロシア人の生命がモスコビッチのそれより軽いなどということがあろうか。それが格差というものであり、一つの国の中に二つの世界が併存しては、その国は存続することはできない。プーチンが西側に追いつきたければ、彼が取るべきは真逆の政策であった。ウクライナを占領して搾取した所で、彼が過去10年間違い続けてきたところの本質的な部分が変わらなければ、それでロシアが豊かになることは金輪際ないのである。
 

 

(補記)

 就任式に合わせてロシアがウクライナで鹵獲したウクライナ軍兵器が赤の広場で展示されたが、2月前に鳴り物入りで投入されたM1エイブラムス戦車の姿もあり、撃破された同戦車を回収に向かった戦車回収車も鹵獲されて展示されている。ウクライナとしては情けない展示会だが、ウクライナでは同様の鹵獲兵器はキーウ市内にずっと前から展示されているが、アルマータ戦車はそこにはないことに気をつけるべきだろう。供与された最新兵器を躊躇なく戦線に投入したウクライナに対し、新型戦車の鹵獲を恐れて旧式のT-64やT-72を投入し続け、ウクライナに数倍する損失を出したロシアには用兵の明晰さ、軍事作戦の果断さに明らかな差がある。ロシアはすでに型落ちの米軍戦車やドイツ戦車の捕獲を喜ぶ前に、自軍の最新戦車が前線で戦っていないこと、また戦っても戦車の安全を保証できないことを恥じるべきだろう。