現大統領バイデン氏の衰えが目立つことから、前大統領トランプ氏の支持が拡がっているが、彼を論評することには困難が伴う。さながら困った隣人のように、この人物は自分に不利な報道をしたジャーナリストに圧力を掛け、訴訟を起こし、率直な論評をできなくしてしまうからだ。

 ネットフリックスの特集番組「トランプ・アメリカンドリーム」によると、訴訟の多用は初期の彼の成功体験、コモドアホテルの買収に端緒がある。トランプはビジネスマンとしては異質な人間で、成功に公権力を利用することを躊躇しなかった。コモドアの後もプラザホテルの買収、トランプタワーの建設で彼はニューヨーク市から巨額の免税を受けており、これらは訴訟になったが、彼の師であり敏腕弁護士のロイ・コーンの活躍で全て勝訴した。現在でもややいかがわしい所のある彼の学歴や健康状態について調べるなら、調べた者は弁護士事務所からの電話を覚悟しなければならないだろう。

※ 対日貿易摩擦で庶民は今の日本のようなつましい生活をしていた時期である。予算の不足で警官も解雇され治安も悪化していた。そのため高額所得者のトランプが免税を受けることについては当初から批判があった。

 ネットフリックスの番組はこういう扱いにくい人物を取材するにあたり両論併記のスタイルを取り、制作者はおそらくトランプの行状や政治家としての資質に批判的なものがあるはずだが、その部分は視聴者の判断に任せるというスタイルを取っている。それによるとトランプの人格形成には先ず父親、次いで最初の妻の影響が大きいようだ。彼の母親は最大の支持者だが、息子のやることには何でも賛成で、人格への影響はさほど大きくないように見える。

 トランプは半世紀に及ぶそのキャリアで様々なビジネスに手を出したが、少し俯瞰してみると名声への渇望が何より優先するものとしてあることに気づく、体面を傷つけられることを極度に嫌うのであり、そのためにはビジネスや政治につき他人が驚くほどの柔軟性を見せることがある。彼にとっては「ドナルド・トランプ」という名がひとかどの人物として認知されるなら、他のこと、ビジネスや政治家としての実績はどうでも良いのである。これはおそらく少年期の挫折と父親との不協和音に理由がある。

※ 父親とは不和ではなかったが、トランプの父親は常に彼の批判者であった。

 彼の父フレッドはブルックリンの実業家で、3万戸のマンションを建設したビジネス・タイクーンである。存命中、彼は常に息子のビジネスに批判的だったが、時に助け舟を出し、しかも長命したので(93歳)初老に至るまでドナルドにとっては壁となって立ちはだかっていた。マスコミに露出した彼の名声は父親を凌いだが、3万戸を建設した父親と異なり、トランプが建てたのはトランプ・タワーだけだったこともコンプレックスに拍車を掛けた。

※ 経営計画のズサンさから経営していたカジノ「タージマハル」が破綻に瀕した時、フレッドは弁護士を通じて500万ドルを融通し、これは弁護士がカジノでわざと負け、賭金を支払うという形で支払われたが、そもそもフレッドはカジノ事業に反対だった。


 私が見る所、トランプという人物は自分の適性を当初から政治家と見ていた節がある。が、父親のせいで先ずビジネスでの成功が求められ、生まれたブルックリンでは父親がすでに牙城を築いていたことからマンハッタンに活路を見出さざるを得なかった。5番街のあるマンハッタンはセレブの集う地で、名声と富を手っ取り早く得られると目論んだことがある。

 が、名声はともかく富の方は父親に遠く及ばなかった。トランプ財閥はその90%以上が父フレッドの資産であり、40代に差し掛かる頃にはマンハッタンの住人にもビジネスの才能については見切りを付けられていた。コモドアホテルにしろプラザホテルにしろ、先鞭を付けたのは彼だったが、最後に笑うのはいつもアジアや中東のどこかの投資家だったのである。この人物には経営センスが欠けていた。

 彼を救ったのは最初の妻であるイヴァナの存在がある。チェコ出身の元モデルで非常に頭が良い彼女はドナルドに欠けている資質を全て持っていた。彼女はトランプが取得したホテルやカジノの実質的な経営者で、加えて美人でもあり、父フレッドのお気に入りだった。80年代を通じ、ドナルドの役回りと言えば美人妻のエスコートかその付録であり、スポットライトを浴びたのは常にイヴァナであった。

 トランプという人物には女性偏見はあまりないように見えるが、これは彼より才覚器量の上回る妻の存在が大きかったと思われる。ドイツのメルケル首相は物理学の博士号を持つ世界の政治家の中でも有数の才女だが、会談したトランプはドイツ首相の知力が自分を遥かに上回ることを悟ると、以降は借りてきた猫のように大人しくなったとされる。彼はメルケルの頭痛の種だったが、トランプの彼女に対する態度は常に紳士的だった。女性に偏見がなく、能力を正当に評価できることは彼の数少ない美点といえるかもしれない。トランプ・タワーの建設も総指揮は女性の設計士によるものである。

※ 番組では後のように描かれているが、マー・ア・ラゴの所有権を取得したのもこの時期である。これはジェネラル・フーズの実質的な創業者マージョリー・ポストがアメリカ大統領の別邸として寄進するために作られた。マージョリーは彼の妻イヴァナと同等かそれ以上の女傑で、このことも彼が女性の才覚に敬意を払っていることの傍証となる。

 

 が、父親と妻という、自分を遥かに上回る才質の持ち主が初老に至るまで重石としてあったことは、彼の人格をいくぶん歪んだものにしたかもしれない。もし父親が彼にビジネスの才がないことを見抜いていたなら、彼は父の後援で本来の希望である下院議員か上院議員、あるいは知事や市長の道を目指していただろう。ようやく彼にそれができるようになったのは父親の死後5年、2004年の「ア・プレンティス」に出演した時からである。そこでも彼は「大統領志望者」ではなく「ビジネスマン」として紹介され、民主党の大会では後援していたヒラリー・クリントンにニヤ笑いを披露していた。彼がヒラリーを破って大統領となったのはその10年後である。

※現在の彼は共和党だが、アメリカと日本では政党システムが違うことに留意する必要がある。とにかく、2000年代の半ばまで彼は民主党支持者だった。

 「ア・プレンティス」への出演は2015年までおよそ10年間続いたが、番組の後期には彼は大統領への野心を隠さなくなっていた。すでに父親は亡く、泥沼裁判となったイヴァナとはとうに離婚し、立候補した彼に苦言を呈する者は誰もいなくなっていた。

※イヴァナの後、彼は3回結婚したが、現在の妻で最も長続きしているメラニア以外は前妻への当てこすりである。メラニアは聡明だが野心のない女性で、トランプが時折見せるリベラル的側面は自身リベラルである彼女の影響とされる。

 番組を見て、彼は当初からビジネスではなく政治家向きの人間だったのだろうと思ったが、経路が歪んでいるためにその政治手法も正攻法を取ることができなくなったことがある。少なくともジャーナリストやエスタブリッシュメントに彼を支持する者は一人もいない。大統領予備選では、彼は単純ではあるが効果的な方法「金集め」で他の候補を寄せ付けない実力を示したが、これは彼のビジネスをも傾けるものだった。だからビジネスで成功したアメリカ人が大統領になる例はほとんどないのである。金儲けが問題ならば、こんな割の合わないビジネスはない。が、彼だけは違っていた。

 大統領になっても正当な政治家で彼を認める者は皆無だったが、短期間雇用された後にオフィスを去った閣僚らは例外なく大統領のことを「適性がない」とこき下ろしているが傲慢な言葉である。そしてワシントンでのその見られようはトランプ自身が最も傷つき、意識していることである。政治家として彼を認める人間はアメリカ国内ではなくむしろ海外からやってきた。

※ トランプ内閣は彼の人気から当初は各界でも一流の人物を揃えていた。しかし、ほぼ全員がトランプのやり方に嫌気して離職し、半年も経たないうちにバノンのような得体のしれない人物が跋扈する伏魔殿と化したことで、名声のある人物は入閣を避けるようになっていた。

 一人は安倍晋三、もう一人はイギリスのメイ女史である。後者はすぐ退陣したが、前者は勘違い山上徹也の怒りの銃弾が元首相を狙撃するまで影響力があり、トランプにとっても特別な存在であっただろうことが伺える。番組はこの時代まで及ばないが、あと、金正恩やプーチンなども彼にとってはかけがえのない友人なのだろう。

 トランプ自身の人となりについては側近さえ人柄を明確に述べることはできない。行動的でプラグマティックな側面がある反面、残酷で幼児的な部分もあり、自分を批判したアナリストを雇用して側近として重用する懐の深さを見せる反面、敵に対しては容赦ない一面もある。政治的信条はなきに等しく、そもそもビジネスですら、彼は何も実現したことがない。父親のフレッドは快適な住宅を、妻のイヴァナはカジノで現代の桃源郷を作ることに情熱を注いだが、そういったものは彼にはないのである。

 が、ある意味、政治家としては一方の極限にいる人物なのかも知れない。もう一方の極限はメルケルである。理系の彼女は自身を政治機械と見做し、「司(つかさ)」であることに全精力を注いだ。政争からは距離を起き、仲裁に入ることで中立を保ち、その在任中いかなるスキャンダルとも無縁の政治家生活を送った。彼女に反対する者ですら、連立政権で地位を保つためには彼女の協力が絶対に必要だったのである。

※ メルケルは当初からトランプを「要注意人物」と見ており、「ア・プレンティス」のビデオを取り寄せて視聴して将来の大統領に対する対策を検討していた。相手について徹底的に調べ上げ、その長所と短所を分析することは科学者である彼女の面目躍如だが、それゆえに彼女はゼレンスキーとプーチンを和解させることができ、トランプについても会う前からその人となりを知り尽くしていたことがある。

 トランプにメルケルのような真似はできないが、どの政治勢力とも無縁で、名声が最大の関心事である彼は民衆の偶像(イコン)である。移民が生活を脅かしていると聞けばそれを聞き、生活が苦しいと聞けば高額所得者に課税をとも言いかねない。彼は民衆の声によって動き、どの政治思想とも関わらない。それは時として矛盾を孕むが、当人はそのことを何とも思っていない。そして名誉のためならばいかなる犠牲をも払う用意がある。これもまた、程度の差こそあれ政治家の一典型である。