だいぶ大昔のこと、たぶん大学時代のことだと思うが、ある女の子に告白して振られたことがあった。当時の私は男女関係の機微に問題を抱えており、振られて当然だと普通に思うが、それから何十年も経って当時のことを思い出すと、実は少々もったいない人を相手にしたのではないかと思っている。この女性はこれまで私が振られた数多い女性とは「ある部分」が決定的に違っていた。

 詳しくは書かないけれども、どうもこの人、いい年をしてこの年齢まで男性経験(交際など含む)がほとんどなかったようなのだ。だから告白されて戸惑ったはずだし、今考えれば当時の私が想定する以上に色々考えて抵抗していたように見える。それに本人は気づいていないようだったが、私のこともかなり長い間、実に詳細に観察していたようだ。

 惜しい話である。恋情に曇った当時の私の目には見えなかったが、彼女はたぶん今も昔も私の身の回りにはほとんどいない「善良な人」だったのである。だからもう少し人柄を知りたかったし、もっと話をすべきであった。もっともこの件には彼女も知らない私だけの理由もある。

※ 「善良な」といっても具体性に乏しいが、「裏表がなく、正直で、人に含むところなく真面目な人」くらいのニュアンスでこの文章では十分である。確かにいそうでいそうにない。

 私の初恋の人というのはそれより10年ほど前の話だけども、転校していなくなってしまい、その後ガンで亡くなったと聞いていた。白い肌の鳶色の瞳の少女で、最後に会った時にじっと見つめられたことを覚えている。ある意味、私はこの女性の面影をずっと追っていて、先の彼女に恋情を感じたのも、仕草に亡き恋人に通じるものがあったからである。だから通常の男女交際で問題になるようなことは問題にならず、後先も考えなかったのである。

 ただ、今の私が問題だと思うのは、当時の私には彼女の善良さが見抜けなかったという悔しさである。見抜いてさえいれば、もっと丁寧で良識的な対応ができたはずだし、その人柄についても昔の恋人の代用品以上に評価したはずだからだ。

 現実の世の中では、人の真意を見抜くことは難しい。見た目の半分は誤解と思って差し支えないが、その反応は定式化している。人は軽んぜられれば報復を以て応ずるし、尊敬を持って接すれば敬意を持って遇する。私の振る舞いには彼女に対する敬意が欠けていたことは認めざるを得ない。

 長々とした話はこれまでとして、だいたい昔の彼女など今見るものではないし、つい先日のNHKの健康番組で彼女とは別の(振られた)女性を「偶然」見てしまったが、昔の面影は多少あるものの円柱体型で肌の色の悪い年増のおばさんで、信大かどこかの運動実験の被験体だったが、あまりの醜さに見るに耐えずにチャンネルを変えてしまったことがある。歴史は思い出に過ぎないとは、確か福沢諭吉の言葉である。

 ウクライナ軍の前司令官だったザルジニー将軍は駐英大使に任命されたが、全軍の総司令官という私の彼女より誤解されやすい地位にある人物としては解任後の身の振り方が注目されていた。ゼレンスキーと外務大臣のクレバが用意したのは大使職だったが、たぶん(おそらく善意の)彼らもあまり意識していなかったこととして、この職業はウクライナでは文民で、将軍が大使になるには彼はそれまでのキャリアをすべて捨てる必要があったことが判明したことがある。

 この侵略戦争が始まった当時、私は両軍指揮官の履歴を調べたが、ザルジニーについてはやや異質な印象を持っていた。戦役でウクライナ軍が曲がりなりにも抗戦し得た背景には欧米の支援もあるが、全体を統括するこの将軍が歴史的見識に富み、戦役全般を通じて大局観を提示していたことがあると思っている。多民族国家で思想傾向言語もバラバラのこの国には拍子を取る人物が必要であり、ゼレンスキーは政治だが、ザルジニーは軍事でそれを体現していたように思う。あまり表に出ることはなかったが、印象として私はこの人物の視野はシルスキーなどよりはるかに大きく、その見識は軍という器には収まらないのではないかと思っていたこともある。

※ 両者は共に歴史上の事実についてコメントを残しているが、ザルジニーが論考で戦局の動向から国家の興亡までを論じたことと比べ、シルスキーの関心はどこまでも実用兵学で、二将軍の違いはかなり根本的なものである。

 だから見ようによっては謀略にも見える、ゼレンスキーらの申し出に対して粛々と大使職に応じたのは、彼の善良さを示すものだし、マクレランなどの故事も意識にあったものと思われる。疑われやすい地位にあるがゆえに、観察者は彼の善意を疑ってはいけないのであるが、そうすることは難しい状況もある。

 相対するのがロシアというのもこの戦争で個々の人物を論評する困難になる。ある意味この国、統治者に悪人しかいないのではないかと思えるような陰謀と猜疑の渦巻く国で、実をいうと私はプーチンもそれほど悪人とは思っていないが、それも彼が師事するスターリンという男の大悪魔の影響を取り除いての話である。こういう毒々しいのが隣りにいると、周りにいる人物もつい色眼鏡で見てしまうことがある。

見勝不過衆人之所知、非善之善者也
戰勝而天下曰善、非善之善者也
(孫子 形篇二)


 大事なことは正しく事実を洞察することと、その事実が機能的に動作した結果を正しく見通すことである。それゆえ私は正しくないがゆえに、昔の失恋を恥じ、将軍の善意を疑ったことを恥じるのである。

※ とはいうものの、パーティー券で小金儲けする岸田首相など、我が国の政治家のような小悪党と比較すると、悪人としての自覚はプーチンの方がはるかにあるように思う。

 

※ 件の彼女には心から詫びたいと思っているけれども、もはや手遅れであろう。