先月末にアウディウカが陥落したが、その後のロシア軍にはある種の奇妙さが感じられた。弾薬にも兵力にも余力があるとされているにも関わらず、ウクライナ軍を敗走させた部隊はそのまま西進せず、進軍を停止して留まっているように見えたことがある。

※ 当然進撃すると見えただけに、徴募兵で水ぶくれしたロシア軍には複雑な作戦を実行する能力がないのではないかと疑ったことさえある。

 奇妙なのはそれだけではない。陥落に前後してロシア空軍機が盛んに撃ち落とされているが、ほとんどがSu-34、35など最新鋭機である。長い塹壕戦の間、ウクライナ軍の脅威となっていたSu-25やKa-52はどこへ行ったのか。

※ 一連の戦いではほとんど撃ち落されなかったために温存されているはずだが、投入されなかったのは、撃ち落されても惜しくない(安いから)ではない理由があったというのが考えられることである。おそらく爆弾搭載量が少なすぎたのだろう。

 これは後知恵になるが、これらの疑問については、やはりいつまで経っても陥ちない鉱山都市の攻略につき、年初あたりから戦術変更のテコ入れがあったのではないか。地上においては犠牲を顧みない容赦のない人海戦術であり、空においては絨毯爆撃による鏖殺戦を行うことを決めたのだろう。Su-34は爆弾搭載量8トンの大戦中のB-29に匹敵する大型攻撃機である。

 そんな攻撃をやられたら制空権のないウクライナ軍はたまったものではない。が、ロシア空軍の犠牲も相当なもので、同空軍は60機ほどのSu-34を保有するが、開戦からの損失に加え、2月だけで10機以上が撃ち落とされ、3月も日1~2機のペースで撃ち落とされたことから、重攻撃機部隊は壊滅状態である。あと、攻撃機の影に隠れて目立たないが最新型のT-90戦車もかなりやられている。

※ 保有数60機といっても、ローテーションなどあるので実際に使えるのは20~30機程度である。Su-34は開戦からでは20機以上が撃ち落されており、さらに10機以上失ったことから、たぶん、今使える機体はほとんど無いように思う。

 アウディウカを陥しても、ロシア軍の損耗のペースは減ることはなく、むしろ増えているが、昨年来から何かと物議を醸したウクライナ軍の総司令官交代は成功したようである。シルスキーは前任者のザルジニーと比べると年長で職人肌の軍人だが、その戦略は明快で兵理に叶っていることがある。戦略の変更により、ウクライナ軍は追い込まれた塹壕戦から従来の機動力重視の軍隊に戻りつつある。

 こういう状況にある場合、アメリカ軍の支援などは当てにならないとして、総指揮官としていかに対処すべきか、一つの案としては、敵軍より高速で破壊力のある兵器を集めること(その他の兵器は捨てる)、戦線を整理すること(余分な部隊を作らない)、最も能力のある指揮官を抜擢すること(平凡は役に立たない)、そして現有兵力で対処すること(後方に負担を与えない)ことが優れた戦略となる。就任以降のシルスキーの指揮は概ねこの方針であるように見える。

 後方については、ゼレンスキーの方針は上記の戦略の表裏といえる。ムダな兵器は作らない。大砲の餌になるだけのムダな兵士は徴募しない。そして経済を休ませ、国力を十分に涵養する。援助はいずれ必要になるが、援助ばかりに期待しない。

※ ゼレンスキーが全幅の支持を与えたことにより、現在のシルスキーは前司令官のザルジニー以上の権限を手にしている。これは危険だが、戦争を効率良く戦うにはその方が良いこともある。黒海の制海権が確保されたことも戦略を実行しやすいものにしている。

 ここで様子を見ると、アウディウカ近郊の戦いで温存されていたM1エイブラムス戦車が早々に撃破された件については、撃破は残念だが正しい戦術の結果と言える。最強の戦車は最も効果的な方法で使わなければ意味がない。おかげでコークス工場を守備していた第110旅団は大きな損失を受けることなく撤退し得たのだし、ロシア側の同等の戦車T-90はもっと多い数が撃破されている。

 もう一つ例を挙げれば、2月に入ってロシアの早期警戒管制機A-50メインステイが2機も撃墜されたが、この航空機は300キロのレーダーレンジを持つが、本来ならば射程300キロのウクライナのA-200ミサイルやより射程の短いパトリオットミサイルは発射を探知して回避し得たはずである。最大射程のミサイルは飛翔距離の終端付近では機動力がなく、メインステイの速力なら着弾まで100キロは後退できるのだから、実は撃ち落される方が不思議なことである。この損失は小さくなく、これによりロシアの航空作戦は半身不随に陥ったといっても過言ではない。

 シルスキーは旧ソ連で教育を受けた指揮官だが、彼が拠って立つのは民主主義ウクライナである。そして民主主義の真髄は個人の自尊と自律にある。将軍は創意工夫に溢れたウクライナの発明家たちの成果を利用することができ、これも旧ソ連軍では望むべくもなかった彼のアドバンテージの一つである。メインステイの撃墜には公開されていない真実がたぶんあるのだろうし、いかなる方法に依っても撃墜を指示したのは彼のはずである。

※ メインステイを撃墜したとされるS-200ミサイルは70年代の旧式兵器で大型で破壊力があるため両軍とも本来の防空用ではなく対地攻撃用に用いていた。このミサイルの電子機器を刷新し、1万メートル上空のレーダー母機に届くようにしたのはウクライナの技術者である。

※ 反面、北朝鮮から砲弾を大量購入したロシア軍は製品不良と不発弾に悩まされている。

 再編の方針は上に述べた通りだが、再編した部隊をどう使うかは司令官の裁量である。やはり最も適切な戦略は大軍であるロシア軍を個々に誘い出して各個撃破することである。現在チャシフ・ヤールやノボミハイリフカで行われている戦いには確たる情報がないが、これらの防御が失陥したアウディウカ、マリンカ以上でないことも確かである。そして近くのヴフレダルはプリゴジンと反目したゲラシモフが100台以上の戦車を失った場所である。

※ ウクライナ軍はロシア軍と違い、一連の戦いで将官クラスの死傷者をほとんど出していないので、経験豊富な指揮官の選抜はロシアより容易なことがある。

 ロシア軍については、おそらくは政治指導部の献策で人と兵器を大量投入したアウディウカの戦いが期待していたウクライナ軍の潰走では終わらず、クリンキのウクライナ陣地への攻撃も失敗したために、ウクライナでは「ブラウン運動」と呼んでいる戦役後の部隊の再配備と全戦線への均質配備を実施することができず、滞留した大部隊がなし崩しに戦闘に入っているようである。なまじ勝ってしまったために、戦場での将軍の特権、戦場を選ぶ権利がゲラシモフからシルスキーに移ってしまったことに彼らが気づくのはもう少し後のことになるかもしれない。

※ 高性能戦闘機を爆撃機に使うなどはいかにも政治家が考えそうな案である。

 

※ ブラウン運動・・ウクライナ軍内部の隠語で戦闘終了後のロシア軍の習性を揶揄した言葉。ほか、「オークさん」、「ラシスト」、「擬似的人型生物」など、ロシア軍や兵を呼ぶあだ名には様々なものがある。

 アウディウカでロシア軍の動きが悪いことには他の理由もある。兵力不足に悩むロシア軍はあの手この手で兵員を勧誘しているが、最近報道されたこととして、いわゆる外国人観光客、所得の低いインドやネパールの人々を甘言で誘って傭兵として酷使していたことがある。それもかなりの数であり、ネパールでは1万5千人が従軍したとされる。大半は戦死したと思われるが、傭兵でなければ食えないようなこういった貧しい国々、いわゆる南北格差に働きかけることもロシアに勝ってもらっては困る西側諸国としては取り得る戦略の一つである。

※ こういった戦略はかつてのイギリスが得意としたものである。イギリスの後はアメリカだったはずだが、MAGAで議会が機能停止していることと同じく、国務省にもロクな人材がどうやらいないらしい。今の体たらくを見ると、ケナンやアチソン、あるいはキッシンジャーは草葉の陰で泣いているのではないだろうか。MAGAが禍々しく跳梁するにしても、理由といったものはあるのである。
 

※ MAGA(Make America Great Againの略)