ロシアの反政府活動家ナワリヌイ氏が謀殺された件については、前日まで氏が元気だったことから、また、政治的にプーチン氏にとって必ずしも都合の良い時期ではなかったことから、先走った側近らによる「忖度殺人」の疑いが浮上している。当局は遺体の返還を拒否しているが、これはモスクワで行われる葬儀で数万人の弔問者が集まり、そのまま暴徒化して反乱という事態を恐れているものと思われる。
ウクライナで戦争しているプーチンの政治体制が国内では案外脆いことは先のプリゴジンの反乱で応分に示されている。主力部隊はウクライナにおり、複数の都市で同時に蜂起すれば国内の治安部隊だけで対処することは難しい。ロシア革命やソ連崩壊の二の舞い、三の舞になる可能性は(極めて低いと思うが)否定できない。
そのプーチン軍だが、再建した新鋭師団を使ってアウディウカを陥したが、様子を見ていたこちらとしては「何だこんなものか」といったものである。ロシア軍はアウディウカ以外では事実上戦闘しておらず、投入したのは現有兵力のほぼ全軍で、それでいて4ヶ月を費やしてマリンカも含む「ドネツクの魚の骨」を二本取り除いたにすぎないのだから、先が思いやられる。
ウクライナ軍は秩序ある撤退をし、後退したノボミハイリミフカ、チャシフ・ヤールでは縦深陣形にロシア軍を引きずり込もうという傾向もある。これは軍の要望とゼレンスキーらキエフ政府の利害が一致したことによるもので、この戦争始まって以来初めてウクライナが自発的に都市を放棄した例である。マリウポリやセベロドネツクでは都市に固執して撤収の機会を逃したことが度々あり、それが大きな犠牲を生んだ。アウディウカの放棄は支援国、特に予算通過に難航しているアメリカに対する政治的シグナルでもある。
※ それでもウクライナ軍に犠牲が全く無かったわけではなかったことは、これが戦争だからである。ここ数日の戦闘は激しいものであった。
※ ロシア軍は都市を陥した後に進軍を停止し、現在は再編作業に入っているとされる。ウクライナ軍の鶴翼陣形は主導しているのが用兵巧者のシルスキーであることから、新設部隊の練度の低さ、行動に制約のあることを見抜いてのものと思われる。突出したことで追撃戦における高練度部隊の損失の比率が高くなったこともロシア軍が作戦を中止した理由と思われる。
この2月の攻勢は予測されていたものだが、ロシア軍が新戦略や新戦術、新兵器を投入した様子はなかった。兵力において遥かに勝ることから、潰乱させた勢いでそのままドニプロ、ザポリージャに攻め入ることも考えられたはずだが、そういうことにはならず、ウクライナ軍は数キロ後退してロシア陣地を伺い、ロシアでは攻撃に向かった戦闘爆撃機4機があえなく撃ち落とされた。ロシア軍は再編はしたものの、士気は以前よりさらに低く、装備もほとんど改良されていないようである。
※ 撃破されたSu-34、35はそれまで地上攻撃で主役を担っていたSu-25のようなガラクタではなく、ロシア空軍でもトップレベルの最新鋭機である。Su-25やKa-52のような低性能機ではなく、高性能機が犠牲になっていることが特徴で、これは作戦計画の失敗だが、同じ現象は地上でも起きているように見える。
ウクライナではロシア侵攻時には制式採用されていなかったボグダナ155mm自走砲が量産されて前線に投入されている。これはロシア軍の砲弾より大きなNATO口径の155mm砲弾を用い、中国製の400馬力エンジンで1,200キロの走行可能距離を誇るが、装甲と搭載弾量を除けばロシアのどの自走砲よりも機動力に富み、主砲の最大射程も10キロ以上長く、ヒットエンドランに適した車両である。乗員の生残性も重視されており、キャビンは二重装甲で対ロシア戦の戦訓を生かしたものになっている。人命を消耗品扱いするロシアとウクライナの違いが兵器の現場にも反映されており、司令官はより巧妙な作戦を取ることが可能になっている。
黒海においては装備の違いはより顕著な差を生んでおり、ドローン軍団によってロシア黒海艦隊は5隻にまで撃ち減らされ、黒海の穀物輸出は再開されている。昨年9月の司令部への爆撃で一時は死亡説が噂されたソコロフ提督は正式に解任が決まったようだが、提督の生死は未だ不明で、所在不明から現在まで副司令官のピンチュク提督が指揮官だったという話もあり、ソコロフが爆撃で死亡ないし重傷という話が事実なら、ロシア黒海艦隊は半年近くもの間、死人を司令官に任務を遂行していたということになる。呆れた話だが、あのロシアならありそうな話である。
※ あとゲラシモフもここ数ヶ月所在不明であるが、これはウクライナ方面軍全軍の司令官である。
ロシアとしては寡兵だがなぜか存続しているキリンキのウクライナ電子要塞が次なるターゲットと考えられる。リマンは中央管区軍の縄張りで、キリンキは当初から無謀、死地と呼ばれつつも上陸以降ロシア軍を何度も跳ね返し、ロシア戦車を数百台スクラップにしたウクライナの真の新鋭兵力である。6月以降まで持ち堪え、F-16戦闘機が加勢に加われば、ここはロシア空軍の文字通りの墓場になるかもしれない。
※ リマン・クビャンスク方面を担当する中央管区軍はどうも他の軍団とはイデオロギーが違うらしく、それなりに攻撃はするが深入りもしないというロシア軍の中では変わった用兵をしている。前司令官のラピンが方面軍総司令官を務め、またそれなりに有能であったことから、この部隊はロシア軍の中でも現場裁量がある程度許される一定の地位を持っているようである。おそらく前司令官のジドコ(死亡)、ラピンの影響で司令部が侵略に乗り気でないので、また装備が格別良くもないので、ここの戦況が大きく動くことはあまり考えにくい。
※ ラピンは開戦当初の4司令官の中ではドヴォルニコフに次ぐ年長組で、ドサ回りで階位を上げてきた経歴も異色の指揮官であるが、率いる中央管区軍は4軍団中最弱のB級部隊(装備が悪く小規模でロシア人もいない)だった。が、そのせいか政治的な注目を浴びることがなく、部隊も期待されない割には4軍団のどの軍団よりも善戦し、西部管区軍を崩壊から救い、リマンを通じたハリコフからの退却を滞りなく行うなどそれなりの手腕を示している。が、政治的にはプーチンにはノー眼中の将軍であり、彼の元部下も含めて、今でも閑職のマイナー軍だと思われる。エリート集団の西部管区軍、プーチンの私兵と化した南部管区軍と東部管区軍など政治化したロシア軍にあって、ワグネルとすら関係を持たない中央管区軍の政治色のなさは異色のものでもある。
※ 4管区軍の司令官の最後の一人として残ったラピンが失脚したのは戦場で無能だったからではなく、彼を憎むプリゴジンの讒言によるものである。
※ 2022年当初のロシア4管区軍の司令官の顔ぶれはドヴォルニコフ(南部管区軍・元帥・60歳)とチャイコ(東部管区軍・上級大将・シリア時代のドヴィルニコフの弟子・40歳)、ジュラヴリョフ(西部管区軍・上級大将・エリート集団を率いる、42歳)、ラピン(中央管区軍・上級大将・56歳)の4名である。現在は全員解任され、兵力不足から東部・西部管区軍は事実上解体されている。
※ 4管区軍で装備が最も優れ、モスクワ守備の最精鋭の部隊はサンクト・ペテルブルクに本拠を置く西部管区軍だが、ウクライナ侵攻ではドヴォルニコフに骨抜きにされ、それ以前も人事でプーチンに酷遇されていたことから、ゲラシモフが初代司令官のこの軍団は戦争ではほとんど役割を果たさないままフェードアウトした模様である。エリート集団との政争はプーチンの勝利に終わったことから、軍が叛旗を翻すことは今後のロシアでは起きそうにない。
※ 極東を管掌する東部管区軍はキエフ侵攻の主力部隊だったが、司令官が最年少のチャイコでドヴォルニコフとは浅からぬ縁があったことがあり、首都攻略に苦戦の最中に同じく南部で苦戦中のドヴォルニコフに度々部隊を引き抜かれ、これが攻略失敗の大きな原因の一つになったことがある。引き抜きとその後の敗戦により現在はほぼ解体し、ザポリージャ付近を担当しているが部隊は見る影もないものになっている。
※ 南部管区軍はウクライナ作戦の事実上の主力軍だったが、あまり防備の強くない南部のウクライナ軍相手に必要以上の苦戦をし、上級指揮官の半数が戦死傷するなど尋常でない損失を受けた。オデッサ攻略はおろかムィコラーイウさえ抜けず、ウクライナ軍に逆襲されてヘルソンを失った戦いぶりはとても褒められたものではない。ここで損失の穴埋めに東部管区軍の部隊を抜き出したことが対ウクライナの初期作戦全体の瓦解をもたらした。また、ワグネルの乱ではロストフ・ド・ナヌーの司令部を占拠されるなど何かと統制の甘い部隊のようである。司令官のドヴォルニコフはこの戦争全体を指導したプーチンのいわば忠臣だが、クルド族やチェチェン族あたりがお似合いの指揮官で、フルンゼ陸軍大学出身のエリートも現場での評判や実戦能力はかなり低かったと思われる。