いつか終わりが来ると思っているが、ウクライナでは戦いが続いている。近隣のイスラエルでもフーシ派の蜂起による散発的な戦闘が続いており、紛争の火種はガザ地区から中東全域に拡大している。何ともイヤな世の中である。

 ウクライナでは新総司令官が就任したが、新たに全軍の指揮を執ることになったシルスキーは古参の将軍である。ウクライナ陸軍司令官としてキエフやハリコフの戦いで手腕を見せ、その戦術能力に疑いはない。今のところはウクライナの戦いは陸軍が中心で、参謀総長に民兵隊の司令官を据え、その他のスタッフも「バフムト組」で固めたようだ。

 あのドヴォルニコフと同じ旧ソ連の高等参謀大学の出身であることから、ウクライナではNATO式の兵備や戦術を取り入れることに熱心だったザルジニー時代から、人海戦術のソ連式戦術に逆戻りするのではという危惧が少なからずある。そうした不安を払拭するために本人も自己アピールをしているが、バフムトやリマンでの多大な流血の実績から、新将軍は今一歩信頼されていないようである。

 とはいうものの、司令官に就任して以降の行動はそれほど悪くないと思わせる。包囲されつつあるアウディウカに予備師団を送ったことで、「また消耗戦か」と不吉なムードがあったが、この師団は昨年来同地を守備している第101師団の退却の援護に送られたもので、ここでの戦況が悪いこともサバサバと言及していることから、アウディウカは放棄の方向のようである。これはキエフの政治家には問題だが、軍事的には正しい判断である。

 スティグマとなっているバフムトの戦いについても、実は防備が不十分だったことが明らかにされており、あれはプリゴジンが戦後の利権目当てに執着したものだが、逆襲したシルスキーはキリシフカで軍を止め、消耗を抑えているように見える。ここは高地でロシア軍の補給路である513号線を撃ち下ろすことができる位置にあり、この様子では都市の占領も可能なはずだが、あえてしないことでロシア軍に出血を強いている。再包囲で戦死するはずだったプリゴジンを逃したのも彼だし、また、ヘルソンの遊撃隊も彼の指揮下にあったことが明らかになった。この指揮官は司令部への異動が取り沙汰されている。

 ウクライナ軍で興味深いのは専ら西側の援助を受け、西側の武器で戦っている彼らだが、主要指揮官のほとんどは旧ソ連の体制で訓練を受けた人物であることである。シルスキーはガチガチの旧ソ連学校の出身だし、10歳年下のザルジニーも彼が入校したオデッサ士官学校ではソ連式のテキストで教授されていた。留学した者はほとんどおらず、全く異なるイデオロギーの持ち主が新しい戦術を消化し、それを実践していることがある。

 で、ロシアはどうかというと、最近法令が改正され、一般兵は65歳、予備役士官は70歳まで徴兵年齢を延長する法案が可決された。日本にも似た所があるが、主として悪政のせいでロシアもウクライナも若年人口が少ないことがある。河を泳いで逃げるなどZ世代がイマイチ当てにならないので、戦いはロスジェネとバブル世代の対決になっており、ことウクライナにおいては40~50代の彼らの祖国を守る信念が国家存亡の要となっている。が、この世代は日本同様、そんなに国家に良くしてもらった連中ではない。

 しかも多民族国家であり、これを率いるのは日本よりずっと難しい。「子孫のため」といっても、政治が悪かったことから残すべき子孫もいない連中も少なくない。もちろんZ世代のために戦死する義理も国土を遺す義理もない。見ようによってはゼレンスキーが「国民の僕」を制作していなかったら、この国はプーチンが予見したように、脆くも分解して滅びてしまったかも知れない。その可能性は少なからずある。図らずも彼がテレビで鼓舞した内容が、今のウクライナ人の心の拠り所になっているのかもしれない。

 で、番組に次いで、彼らの士気を支えているように見えるアメリカのウクライナ援助だが、上院を通過して何とか可決するように見える。トランプという人物を見ていると、この人物は3年間何も考えなかったのかと思える節があり、これもオフィスの老人病の一種だが、3年もあったなら世界情勢について本を読むなりトクヴィルなど名著を読んで思索を深めるなりできたはずである。

 アメリカが世界の警察官になったのは、この国が第二次世界大戦で勝利したことによる。戦争で同国は優れた科学技術を駆使し、当時の日本軍やドイツ軍が持たなかった装備を大量に投入して最終的に枢軸国に勝利したが、それもタダでやったわけではなかった。旧ソ連も含む同盟国に提供した膨大な兵器のほか、それらを陸揚げする港湾や鉄道、果ては敗戦国の復興までをも請け負ったために、戦争でアメリカはWW2の戦勝国と敗戦国の双方に、膨大な債権とインフラを持ったのである。

 戦後のアメリカの軍事とは、これら散らばった在外資産を防衛するための所為であったことに違いない。巨大な債権は膨大な金融と資源の流入を同国にもたらしたし、戦後のアメリカの繁栄は世界の全資源の半分に権利を持つ、その特殊な立場に大部分の原因と理由がある。ブレトン・ウッズ体制が終わったことで債権国としてのアメリカには終止符が打たれたが、アメリカが作ったインフラはアップデートされて今も世界中で機能しており、それを失うことは繁栄を失うことである。

 トランプ政治は混乱をもたらし、西側諸国の団結のほか、こうしたアメリカのレガシーも大きく毀損するものになった。全く気づいていないように見えるのが少々悲しい。土地は広いのでメガロポリスを廃墟にして農業社会に逆戻りする余力はまだあるが、そんな未来は彼を支持するものにさえ、全く望まれないものだろう。

 アメリカの人口密度は36.3人、ヨーロッパの7分の1、日本の10分の1でしかなく、人口8千万のドイツは年100万人の移民を受け入れても国家のアイデンティティは失われず、経済も損なわれてはいない。それに比べれば人口3億のアメリカが同数の移民を受け入れたところで人口密度は36.3人が36.4人になるにすぎない。トランプの移民に関する論調は完全にナンセンスといえる。

 見た様子では、アメリカの生活水準はまだ高く、都市も住むに耐えないようにはまだ見えない。人々の心を侵食しているのはコンクリートではなく、耐え難い何かである。世界の歴史上、滅びなかった国はないが、滅びた理由の多くは環境が非人間的、非合理的になったことである。都市の汚染もあれば、人心の荒廃もある。大都会に点在するスラムはそうした国家を侵すがん細胞のようなものである。

 

 そして情報化社会の普及は都市ではなく、人の心にスラムを作っているのかもしれない。それが国家が対処すべき病であることは、様々な国の興亡を見た目には明らかであるように考える。