最近は比較的頻繁に更新していたこのブログだけども、更新のペースがだいぶ落ちるかも知れない。ウクライナでザルジニー将軍が解任されたニュースがあったが、当面戦況が動くとも思えず、また、こちらも色々あり時間を割けないことがある。

 将軍の解任については昨年末から取り沙汰されていたことだし、理由は反転攻勢の失敗だが、解任はむしろ遅かったといえる。将軍は個人として人気があり、また善良な性格であることから国民の人気も高く、3月の大統領選(5月に延期)で除隊して立候補するシナリオが政権幹部から嫌気されたことがある。後任のシルスキーにしてもウクライナでは古くて新しい将軍で、これといって新味がないことがある。

 戦線の各所でロシア軍が攻勢して戦況不利というのは、そういう部分もあるけれども、反ウクライナ色を強めつつあるアメリカ議会の動向を見据えたものと思う。トランプは無責任な指導者で、悪ガキがそのまま大人になったような人物である。モスクワでのコールガール相手のご乱行の証拠をプーチンに握られているという噂も根強く、何より理解力と信頼感の欠如が致命的である。いわば彼はプーチンの最終兵器といえよう。が、アメリカはロシアのような独裁国でなく、それなりに整った民主主義国である。

※ ロシア軍は攻勢しているとされるが、使っている兵器が枯渇したことからT-55戦車やマキシム機関銃など骨董品レベルのものに成り下がっており、攻勢は何としてもアウディウカを確保せよというプーチンの命令とゲラシモフ以下軍幹部の面子を繕うだけのものでしかないことがある。

 ブログを書いている時間がないというのはこれではなく、私もリスキニングに忙しいことがある。ChatGPTを皮切りにしたAIの教育産業への普及は従来の学習法を揃って旧式にするようなインパクトがある。例えば私はギリシャ語やラテン語は興味はあったが基礎を少し噛じっただけで長年手を出さなかった。ロシア語とドイツ語は大学で通年で受講したが、身に付いているとは言い難い。こういう日常使わないような言葉は付け焼き刃では全く歯が立たない。

 あと、亡くなった河野のお父さんからもらった韓国語の本、彼も無念だったらしく本は初ページからまっさらだったが、技術者として1年ほど赴任し小金をもらっていたことがある。意欲はあっても時間と資金と環境の問題で取り組めないことがある。ほか、数学や科学など、そういったことに取り組める環境がようやく出来てきたような感じがする。まさに「天は自ら助けるものを助く」である。そういうわけで一月ほどはリスキニングに没頭していた。

※ あと、今はジャカルタに赴任している私の友人もいる。カザフスタンに3年赴任していたが、十分な時間があったにも関わらず、ロシア語は全く身につかなかった。こういうのも今後はなくなるように思う。

 スキルの習得がこれほど容易になった後に考えることは、何を身に付けるかではなく、それで何をするかだろう。語学の場合、日常生活レベルの国連B2まではAIでなんとかなる。が、大学や実務レベルの問題、私もTOEICで書かされたライティング・エッセイなどはAIで十分に対応できるとは思えない。発音の矯正も完璧とは言い難く、どうも機器の問題があるようだ。なので利用は基礎分野に限ることとし、応用は従来の方法をそのまま使っている。

 時間の配分が問題で、AIは集中して学習できることがメリットだけども、やりすぎても空疎なものになる。本などは私などはボーッとしていて読み飛ばすことがままある。バランスをどうするかは試行錯誤の最中である。

 まだまとまったものを提供できる段階にないが、今でもいろいろ改める必要を感じている。10ヵ国語ができたところで、私の交友範囲は限られているのだから、それでメリットということはおそらくないだろう。が、それが問題ではない。様々なことを学んでいると、そこから浮かんでくることもあるからだ。

 例えば、私はロシア語が好きだけれども、好きな理由はこれが典型的な屈折語で、モスクワ公国やキエフ・ルーシが継受した古代ローマ語であるラテン語の特徴を最も良く備えていることがある。英語では数語を要する言い回しがほんの片言で足り、これは屈折語の特徴である。

 そしてそこから眺めると現代のアメリカよりずっと古い文化を継受したロシア人の密やかな誇り、ドンバスではいくら戦車がやられてもしぶとく抗戦するロシア兵やプーチンの深層心理が見えてくるのだ。何万人もの兵士が戦死し、愚劣な命令で屍山血河を築いてもなお、政権に反逆したり戦闘を放棄したりする様子が見えないのは、指揮官もさることながら、従軍する兵士がそれに納得していることがある。

 我が国でも、明らかに劣弱な武器と兵力で枢軸国最悪の敗戦を喫してもなお、陸海軍の将校や兵士に政権を打倒して停戦しようという動きは見られなかった。アメリカ人やイギリス人にはこれは理解不能なことである。

 そういったことが行間から見えてくる。だから、そろそろ定年後の生活と退職金の計算を始めるような年齢だけども、あえて学ぶ意味も理由もあるのである。

 そういうわけで、ブログは怠慢になると思う。