2024年は年初から騒々しい年で、まだ1月しか経っていないのに能登の地震に羽田の事故、自民党の裏金問題に「セクシー田中さん」と不穏な話題に事欠かないものになっている。どれもネットでは炎上し、各々がさも正論のようなことを宣っているのだが、その切り口について考えてみたい。

※ 松本人志の件もあったが、デビュー以来一度も見ていないので、これはどうでもいい。そもそも私は「たけし漫才」が嫌いである。

 以前読んだ本の記述だが、問題を「収束(convergence)」と「発散(divergence)」に区別するというものがある。収束問題の典型は数学の公式で、誰が解題しても同じ数式なら同じ答えが得られる。そもそも言葉自体数学用語だが、人文化学の分野では、収束問題は再建プロジェクトや工程表といったものがそれに該る。以前の民主党が大好きだったものである。

 「発散(divergence)」については少々分かりにくく、例えば裁判の利益衡量論とか、イスラエルとハマスの紛争など回答が一義的に得られないものを言う。スマホでゲームなどすると良く分かるが、人に安心感を与えるのはconvergenceの方である。ビジネスマンが帰りの電車でラノベ小説を読んだり、ゲームに熱中したりできるのは、それらが同じ頭を使うにしても答えのあるものだからである。

 「収束(convergence)」にはもう一つメリットがあり、一定の論理で何か整った回答を示されると頭が良いように見えることがある。「選択と集中」という言葉があるが、実際にも経営資源でライバル社を凌駕すれば市場で勝つチャンスは大きいだろう。

 が、「選択と集中」には欠けている言葉がある。「選択」の過程で切り捨てられたプロジェクトとか、発展途上の有益な人材とか、残しておけば別の機会に用いることのできるものが全て失われてしまうことを表現する言葉は切り捨てられている。仮に競争に勝ったとしても、その市場自体が縮小したり時代遅れになったら、やはり将来はないのではないか。

 能登の地震についてみれば、救援作業はうまく行っていないようである。それは様々な要因があるが、致命的なのは政治がconvergence志向で、divergenceではないことである。避難所を用意したり、物資を搬入したりと言った作業は行われているだろう。しないと困るものであるし、各々には担当の職員や業者がいる。

 本当の政治の役割はこういったプロジェクトを提示して問題は解決したとするものではなく、今も被災地に残る被災者たちとの調整作業、現状に対する日々の対応が本当の仕事である。これには答えがない。これらは携わる者に無限の精力を要求するもので、きれいな形では決して終わらない。

 問題を「収束(convergence)」と「発散(divergence)」に分別した場合、人間が叡智を費やすべきはdivergenceの方だと分かる。能登の場合は用意してもいくら経っても埋まらない避難所などはconvergenceの失敗の例である。「二次避難」という言葉に飛びつき、住民のニーズを切り捨てたことで、彼らは「仕事をしているふり」に自己耽溺したのである。ほか、民間ボランティアを登録して管理しようという試みがあるが、避難所以上に不協和音があるのは見れば分かるだろう。
 

 この見方では、リーダーの仕事とは、プロジェクトを「選択」することではなく、プロジェクト相互間を「調整」することである。


 「セクシー田中さん」問題については、真相は分からないが、いわゆる作家サイドの言い分が喧しい。中には乱暴なものもあるが、では、彼らや故人の言い分を100%聞き入れたところで解決になるか、出版業界もテレビ業界も構造不況業種と言われて久しい業界である。作者に絶対的な優先を認めたところで、業界それ自体が縮小してしまってはどうしようもない。

※ この「セクシー」の議論でため息が出るのは、作家たちにしろ日テレや小学館にしろ、気ままな言い分を宣うばかりで、誰か一人でも本当に困難な調整作業に臨もうという意思を微塵も感じないことである。

 とはいうものの、話していても説明しにくいので、自動車の購入を例に挙げてみたい。

1.A車は小型のハッチバックで軽い車体に最新の空力フォルムを纏い、大人4人が過不足なく乗ることができ、燃費も維持費も低廉な車である。が、装備は最低限で、小さいことから友人には軽自動車と間違われることもある。

2.B車は大型のSUVで豪華装備がフル装備で装備されており、知名度も高く、車体も頑丈でデザインにも優れた車である。大きく重い車体だがハイブリッド機構を装備しており、見た目ほど燃費は悪くない。

 具体的にどの車とは意識していないが、どちらを選ぶかはお好み次第である。ABどちらでも良いと思うし、趣味の範疇だが、ここで視点を振り向けるべきはどちらの車が良いかではなく、どの車がオーナーを幸せにするかである。私の見方ではA車がdivergence、B車がconvergenceである。燃費が良く維持費の安い車はそれだけオーナーに多くの経験をさせることができ、それによって拡がった視野に価値を見出すからである。ここでは個々の車が問題なのではなく、車を含めた人生全体を考えるべきなのである。

 

※ ガソリン代や維持費に余裕があるならB車でも十分幸せになれることは言うまでもない。