京アニ事件の青葉に死刑判決が下されたが、事件を無垢な被害者たちの悲劇の物語としてまとめたがった京アニやマスコミと異なり、被告が即日控訴して陳腐な筋立てを台無しにすることは裁判の経過を見れば分かりきった話であった。被告を救命した医師のコメントも載っていたが、救命は「余計なこと」だとは前にも書いている。
被告に損失を補償する財力も術もない場合、その身柄を代償として差し出すことは古代から行われていたことであり、「刑罰理論は復讐の偏執症者(パラノイア)である」という格言もあるくらいである。この論理では罪障は被告の死によって消失することとなり、それが焼死でも刑死でも結果に大差はないことになる。
ここで半死人の被告を蘇生させて法廷に引きずり出すことは古代の復讐の要請ではない。それは近代に入ってからの法治国家の要請である。近代国家は国民に遵守すべき規範を定め、その逸脱に対して刑を執行する。規範の中には以前でも違法と看做されたものが数多くあるが、それらは平均人標準説で再解釈されることになり、罪刑法定主義のカタログとして国民の前に提示され、「法の不知は許さず」というフィクションの力を借りて無学な犯罪者にも適用される。
※ 全く玄関に火を点けてちょっと脅かしてやれという程度の話が大量殺人の下手人に仕立てられ、死刑判決まで受けるような話とは、事実としてガソリンには非常な揮発力があり、爆発的に燃焼するものであり、それに着火して自分も丸焼けになったことはあるが、当の本人には行為の危険性も、その結果にしても、認識はまるでなかっただろう。ある種の危険な行為については、結果を予見して認識する義務があるというのも、裁判におけるフィクションの一つである。
青葉を蘇生させて被告席に立たせたことは京アニ本部への放火と殺人という本来の彼の罪に見合ったものではなく、これはどこまでも国家の要請なのである。応報だけなら重度の火傷を負った彼はそのまま死なせれば事足りた。それで医師を非難する者は誰もいなかっただろうし、遺族に対しても実はそれで十分だっただろう。
※ 蘇生させて立廷させた結果が陳腐な復讐ショーだったということも興ざめする理由である。もちろん、これは京アニや遺族の責任ではない。国家が果たすべき説明義務を果たしていない所に満たされなさがあるのである。
ところが、医師は自身が創案した独創的で画期的な治療法(青葉メソッド)を試し、これはこれで今後多くの命を救うだろうが、結果として被告は救命され、巨額の治療費は正義の代価として正当化されたのである。一審判決ではこのことにつき疎明する必要があった。現状は見ての通り、これは国家がそれを求めているという以外に必要のなかった措置なのであるから。
裁判官の判断としては犯罪に至った事実の認定と責任に対する判断を示せば事足りた。放火にしても殺人にしても最高刑は死刑で、被害の大きさを考えればどちらでも結果に違いはなかったといえる。裁判員裁判が結果として遺族の復讐ショーと化してしまったことには、私に言わせればこれは誤った訴訟指揮による余計な夾雑物だが、元より裁判などというものに、あまり多くを期待する方が間違いなのである。
見ての通り、実際に行われた裁判と彼を被告席に立たせた論理との間には大きな隔たりがある。そもそも彼の犯した罪が殺人罪なのかということについても私には疑問があるが(過失致死罪ではないか)、判例通説では問題ないようであり、それは首肯するとしても、それで断絶した論理が埋められるものではない。
青葉は明らかに「失われた30年」、就職氷河期の犠牲者である。そしてそれは政策的過誤によって引き起こされたものだ。青葉の立廷は、本来ならば蘇生自体につき法務大臣のコメントが必要だったことだ。もちろんそう受け止められてはいないし、裁判も同種事件の通常の量刑相場に沿って進められ、裁判を成立させた背景には触れることはない。
判決は裁判官が訓練されたノウハウを開陳しただけに過ぎない。この事件は教訓にならず、第二、第三の青葉が出現することを防ぐことはできない。先にも述べた通り、彼が動物的なカンに基づき無益な控訴をするのは当たり前である。この裁判はあまり出来の良いものとは言えない。
※ この点、裁判官は法の適用と解釈においては申し分ないが、法それ自体に対しては背徳者と言える。が、取り立てて言うこともない普通の裁判官でもある。
法が真に国家の正義を体現したものならば、彼を凶行に追いやった背景にこそ目を向けるべきであり、改善教育により更生しうることを示すべきである。この人物は以前にも犯罪を犯しており、そこで適用された中途半端な保安処分が犯罪傾向を助長したことも否定できない。殺してしまえば片付くが、包含された問題が消えることはない。そして被害者とその遺族は何の罪もない人たちである。
怒りを向けるべき対象は、被告の他にもあるのではないか。私はそう思うが、もちろん、これは多数派の見解ではない。