一週間が経過したが、能登の地震は生き埋めになった方々については救助から遺体収容に、破壊の程度の著しい地区については二次避難に方向性が変わって来ているように見える。
※ ここで金沢市などへの二次避難に難色を示す住民が多いのは高齢化の上、避災後の地域の治安維持に強い懸念を感じていることがあるとされる。実際、東日本大震災においては被災直後からかなり長期の間、窃盗団による窃盗が横行した。
初動の遅れが指摘されているが、これについては半々と言える。東日本大震災の教訓から組織の立ち上がりは早く、救助活動自体は迅速に始まったが、問題があるのは組織ではなく組織の動かし方であるように私には見える。
「指導者養成に有用なことは模範解答や過去の事例の丸暗記ではなく、問題に即した正しい方策を立案する習慣と、それを涵養する知的修養である。」
以前読んだ本の記述だが、意訳なので訳し方は色々ある。今の様子を見ていると、まさしくこれが岸田首相や石川県知事に欠けている素養のように見える。
地震発生以来の首相を見ていると、行ったことは激甚災害の指定と特定非常災害の指定くらいで、前者は復興支援の財政的援助、後者は納税など行政事務の猶予や期間の伸長で、現在の災害に即応するような内容はまるでないことに気づく。
首相官邸のツイッターでは災害救助の様子がそれなりに詳しくツィートされていることから、官邸が事態を把握していないというわけではもちろんない。が、創造性に欠け、用意された対策法をまじないのように唱える以外に首相としての仕事は無くなったかのようだ。
これでは大型艦は現地に派遣されないし、ヘリコプターも被災地に飛ばないだろう。必要な物資を現地の要請を待たずに送りつけるプッシュ型支援も発動は早かったが、問題は物資を送ることではなく、届いた物資を被災地にどう配達するかということである。
※ たぶん、下積み時代の彼らの経験に創造性を必要とするものがあまりなかったのだろう。
道路の開削も東日本大震災で実績のある「くしの歯作戦」が採用されたが、能登半島の地形は山間で一本道が多く、並行する無傷の高規格道から被災地に浸透するこの方法は取り得ないものになっている。東北自動車道に相当する「のと里山海道」自体が激しく損傷し、工事機械を集結させることができないからだ。
※ そういうことはどうも現場任せのようである。
このような災害に正解はなく、救助が遅れたからといって政府を非難するのは私も気が引ける。が、物資や燃料の不足から災害関連死の懸念が熊本地震以上に高まっており、今のままでは遠からず凍死者、地域によっては餓死者を出す懸念がある。それも数人ではなくそれなりの人数で。過ぎた誤ちは仕方がないが、これから起こる間違いについては戦々恐々とするものがあり、それは人災といえる。
が、国民はその国民以上の政治家を持つことはできないという格言もある。彼らの姿は翻って今の我々の姿でもある。尊い犠牲の果てにこの国の国民が反省することはあるのか、私はたぶん無いだろうと思っているが、無ければ同じ過ち、あるいはもっと大きな誤ちを繰り返すだけである。
羽田の事故は国土交通省が交信記録を公表したが、実は17時46分のJAL166便(516便と同じ日本航空機)と17時47分の羽田の管制塔の返信には1分17秒のナゾの空白がある。衝突はその数秒後で、1分間に1.5機が離発着する過密空港でなぜ1分以上も無線チャンネルを空けていたのか気になる所である。海保機が滑走路上に停止していた40秒間はこの時間に収まることもある。
※ どうして誰も指摘しないのか私にも分からない。国交省は交信音声を公開すべきだろう。
石川県は相変わらず所在不明者をその日の人数で報告し、報道もそれに倣っている。のべ人数ではすでに千人近くおり、過去の例と違ってほとんどが在宅し、地震によって下敷きとなったと見られることから、犠牲者はかなりの数が予想される。すでに火葬場は間に合わず、収容した遺体の保管が問題となっている。
※ この地震の特徴として地形による制約があり、迅速に救援され復興が視野に入っている地域と小村落や道路の寸断などで救援の手がほとんど及んでいない地域がある。報道も区別していないので中継の大半は最初にテロップが出るだけでどこの市町村か表示がないことがある。多くは志賀町、輪島と珠洲市の市役所近くである。
これが東日本大震災による、損失をなるべく小さく見せようという小細工なら、誤った教訓というべきだし、これも過小報告されているように見える志賀原発も併せ、真実はいずれ明らかになることを見れば、今からでも国民に対し率直かつ誠実にあるべきだろう。
もっとも、誠実という言葉の意味でさえ、理解しているかどうか疑わしいが。