そろそろゆく年くる年だろうと思い、11時前くらいにテレビを点けると紅白歌合戦が放送されていた。昔はテレビを囲んで7時の日本レコード大賞から9時の紅白が我が家の定番だったが、そもそもヒット曲を知らないこともあり、遠ざかってずいぶんになる。キーボードを叩きつつ音だけ聴いているというのは、私のいつものスタイルだが、今年はKindleで洋書を読んでいる間に1時間はアッという間に過ぎてしまった。

 そういう視聴方法だったので番組の批評もおごかましいと思うが、歌手にしろ俳優にしろ、今のクリエイターは大変な時代に生きているとしみじみ思う。作品は今の作品のみならず、およそ80年の映像史における名だたる名作とも対決しなければならず、そのためNHKの番組も総花的で、覆面歌手のAdoに黒柳徹子、寺尾聰にディズニーなど出してきたけれども、率直に言って方向性を見失っていると思う。

 先の大河ドラマ「どうする家康」でも見られた傾向だけども、あまりにも多くの情報がある場合、作品は「記号化」する傾向があり、松本潤の家康も岡田准一の信長も狂言回しのアイコンでしかなく、最後に至っては年表ドラマで、没年のあるキャラが該当回に順々に出てくるだけという何とも白けるものになった。私は作品を見る際に「目に見えないもの」を見ることを心がけているが、この作品では結局何も見えなかったと落胆したことがある。

 記号化ドラマの元祖はおそらく手塚治虫のスターシステムで、手塚の影響を受けた漫画家や演出家が技法を継承したことにより、このタイプの話は日本人には馴染みがあり、私などは白けるが、手塚もブラックジャックは手塚作品のあちこちに登場するが、ちゃんとキャラクターを描いた本編があることもある。現在ではそれはウィキペディアである。視聴して意味不明な内容はGGKで調べろやということだ。

 紅白に話を戻すと、今の歌手は別に昔のスター歌手と張り合う必要はないと思う。状況が違うし、歌唱力ならステージで地声を張り上げていた笠置シヅ子に今の歌手など誰も敵わないだろう。演奏などはジャズ一本槍だった昔より今の方が優れているが、売り出したい今の歌手にゲタを履かせることはない。演奏の質を落とすとか、加齢で声量の衰えた歌手を罰ゲームのように引きずり出すとか。

 視聴者が知りたいのはその年の最高水準の歌手と歌謡曲であって、80年分の歌謡曲をタイムトラベルすることではない。ヒットした歌にはその時代で支持された理由があり、今には今の理由があるのだから、ヒット曲だけで3時間の番組枠を埋められないなら、そんな番組は止めてしまえばいい。それは歌手を育てなかった芸能界の責任で、国内でロクなヒットを生み出せないなら洋楽を聴けばいい。

 興味をなくした理由の一つは、紅白が回を重ねるに連れ日本の会社みたいになってしまい、年功序列で歌手の格が決まり、新曲はコンビニでしか聴けない曲で、人選も大御所の覚えがめでたくないと存在さえ認めてもらえないという発展の乏しさがある。内容の貧しさを補うために新作映画やアニメ、大河の紹介を入れたりというのも一度見れば飽きる内容で、番組の質の向上にはまるで関係ない。磨けば光る原石どころか、石を掘る努力すらしていないようにも見える。

 出場がスターの勲章みたいになっていたことも気に入らない点で、それで多額の金銭が動くのだから、最初から公平な審査なんか期待できるはずがない。黒柳徹子の番組(ザ・ベストテン)が金字塔なのは黒柳が一位の歌手のみならず、ランクインしても出ない歌手や、ランキングは低いが実力は確かな歌手をちゃんとフォローしていた点で、今の彼女にそれは期待できないが、見習うならこういう姿勢を見習ってもらいたいと思いもした。

 そもそも今の演出家に目利きができるのだろうか? NHKには1万人の社員がいるが、最近の番組を見るとマジメに働いているのは百人くらいじゃないかと思えることもある。これが有料のオンデマンド配信として、有料で見る人間などいるのか? 少なくとも私は見なかった部分をNHKプラスで見直す気はない。

 映像が綺麗なことは映像を見ない人間には関係ないし、歌が流行っていることも芸能人に興味のない人間には関係ない。内容がどうのというのも、ネットのヨイショ記事を読み飛ばす人間にはまるで響かない。本当にパワーのある歌やドラマというものは「目に見えない力」があり、そんな人間でも手を止めて振り向かせるだけの力のあるものである。

 全部見ていないので公平な批評とは言えないが、少なくとも今年は読書の妨げになるようなことは全然なかった。