前に「IQ155の召使い」というタイトルで、ChatGPTを初めとする対話型AIが自宅学習に役立つことを紹介したけれども、使うには少々コツが要るということも書いた。そこで外国語のほか、難関大学の入試問題を解かせてみた。

 結果はどうだったかというと世界史の正答率は5割ほどで、予め解答を持っていないと学習を進めることは難しい感じである。が、これは出題の方に問題がある。問題はポルトガル史で内容自体が学習指導要領を完全に逸脱しているし、ヴァスコ・ダ・ガマが水先案内人を雇った都市の名(マリンディ)などは完全なトリビアで、私も知らなかったし、知っていても学習の到達度を見るのに適切かといったことがある。ほか、ダホメ王国の歴史など、こんなものどうでも良いだろうといったものがあった。

 スペインの東インド会社は知っていても、西インド会社の方は教科書にも載っていないし、歴史的にもあまり大した代物ではないだろうといったことがある。トルデシリャス条約の改訂版であるサラゴサ条約の方は別に知らないでも良いだろう。それ専門の研究者ならともかく、受験生には他にも勉強しなければならないことがある。

 まずいと思ったのは、GPTの正答率が5割だったのは、提示された肢が各々解釈の分かれる内容で、正解を決めるのに引っ掛けまがいの方法が多用されていたことがある。「誤っているものを選べ」という設問ではバタヴィア(ジャカルタ)の所在地がスマトラ島とあり、それが正解となっていたが(正解はジャワ島)、実はそれ以外の肢も必ずしも正解とは言えないようなものがあった。先のダホメ王国も「フランスに植民地化された」が正解だったが、その他の肢も全て誤りとは言い難いものだった。

 インド原産のキャラコの歴史については、正解は「イギリスでは在来の毛織物業者と対立し、しばしば輸入禁止の措置が取られた」だが、GPTは不正解とし、この輸入が業者に改革を促し、産業革命に繋がったというものになる。不正解とはいえない。実際の歴史では廉価で彩色も容易なキャラコは中下層階級に普及し、何度か輸入停止の措置が取られたものの効果は不十分で、やがてジョン・ヘイが飛杼を発明し、これが産業革命の嚆矢となってインドに逆輸出した歴史があるからだ。「キャラコ裁判」だけを例に取れば解答は正解だが、より大きな流れを見る点ではGPTに軍配が上がる。

 その部分だけは指導要領ということで、正答を判定するに引っ掛けまがいの方法を多用しては合否は運頼みということで選抜とはいえないし、さらにまずいことにはこういう普通科の学生では手も足も出ないようなものは大学側からの事前情報の有無が合否を分けるといったことがある。受験機関(それも程度の善し悪しがある)の有無で合否が決まるようなものは、もはや公平な試験とはいえないのではないか? 問題を見る限りにおいては、エリート大学ほどあざといテクニックを多用している傾向がある。知らず知らずのうちに特定の階層、傾向を持つ学生ばかり集めていて、その他の学生には門戸を閉ざすようなものになっていないか?

 対象とした各々の大学の問題は、考える力を養うようなものでは全然ないと私には見えたが、そういう力を養うにはむしろGPTが出した回答(不正解)を見直した方が良いとも感じた。これが人間だったら、こういった答えを出す学生こそ将来の研究者や管理職にふさわしい人材だろう。人間側の姑息さの方が目立つようなテストになってしまった。これではいけない。

 とはいうものの、こういった問題相手に数時間格闘してみると、近世ヨーロッパ史の勉強にはずいぶんなるということがある。高校世界史の授業で同等の成果を挙げるには1ヶ月は必要だろう。習熟度は3~4割もあれば良い方で、この点でもGPTの方が主体性でも記憶の定着の点でも勝る。

 何でもGPT頼みで良いかといえばそんなことはなく、良く出来た参考書の場合はむしろ使わない方が学習が進むことがある。そういう場合は教科書通りに進める方が良く、GPTは補助的に用いるのが良いが、それすら必要ない場合もある。著者により結構差があり、同じシリーズでも実際に手にとって見ないと分からない。

 こういうことを書くとオススメはとか、どの参考書が良いかと言い出すバカが必ずいるが、私の意見としては教師や参考書に優劣を付けることには反対である。確かに違いはあるが、かなりの部分はGPTや個人の努力で埋めることができ、教師への信頼は学習の重要な要素であることから、批判は間違っていると言っておきたい。たまたま出会ったものを要領よく使えば、それで十分なのである。

 教師については、教育における人格的接触がお題目ではなく今まで以上に重要になっていると強調しておきたい。知識については先回りされたり、むしろ凌駕される可能性さえある。が、未熟な人間の知識はいびつで、先の入試問題にも見られたような偏ったバランスの悪いものになりがちである。それを正すのは教員個人の人格でしかありえない。人工知能の時代においては、知識をひけらかすだけの人間はもはやお呼びではないのである。

 

(補記)

 やってみて思ったが、大学教授がウンウンと知恵を絞って港区のチンピラまがいのつまらない問題しか作れないのであれば、学習の習熟度については内申書で判定ができることから、人工知能を積極的に活用して問題はいっそ論文式、全問書かせてAIを判定支援に使い、合否を決めた方がむしろ良いのではないかと思えはした。教育は詰め込み式の後進国型から個人の資質や創造性を重んじる育成型に先進国の教育は切り替わっている。学習に必要な時間もあり、また、ニーズも目まぐるしく変化していることから、韓国まがいの受験行事や新卒一括採用といった見かけだけの制度は発展の足を引っ張るだけでこれからの世界にはむしろ役立たず、体裁だけ繕って国家ごと沈没するような有害無益なものに成り下がっており、ここは新しい器が必要なのではないかと思えることがある。

 

(補記2)

 法政大の山口教授とはこのサイトでもいくらかの付き合いがあるが、齢70近くになると以前の新進気鋭の政治学者も陳腐なたわ言をのたまうようである。そもそも写真が偽装表示である。鈴木一人と同じく、実物は白髪白髯の老教授である。

 

 

 「悪意」が既知と同じ意味だというのは法学部では常識だが、それ以外では必ずしも常識とは言えない。言葉尻を捉える小技は左派やネットウヨクのお家芸だが、こういったことはGPTの方がよほどうまくやるのである。そういえば彼は「忖度」という言葉の元祖であった。今となっては恥ずかしい。

 

 

 数値を記録してクエリで検索できるようにするのはSQLや30年前のロータス123の時代の発想である。DT(デジタル・トランスフォメーション)をこの程度でしか捉えていないことがまざまざと見え、しかも「添付を義務付ける」と書くことで(愚かしくも)書面申請併用の「半ライン処理」まで推奨している。人工知能の時代に太刀打ちできる認識とはとうてい思えない。迂闊な一言でこの人物が現代のテクノロジーに無知なことがバレてしまう。

 

 たまたまネットを見て、目についた犠牲者を挙げたが、これらの場合、バカなのは彼なのではなく、この程度の言の葉に踊らされる民衆の方である。こんなものは通用しないようにしなければならない。

 

 いけにえは他にもいたら少し渉猟しておきたい。