先にキッシンジャーについて少し触れたが、昨年の論考でウクライナと同程度に触れられていた内容には戦争で投入されたハイテク兵器がある。全体主義とAI兵器の組み合わせは人類における最悪の敵で、彼が早期の停戦を求めた背景には戦争がその流れを加速することへの懸念があった。
これについてはザルジニーも若干触れており、ロシアが旧式兵器を廃してハイテク部隊に移行しつつあることは確実視されているが、一将軍が大統領の頭越しに私見を公表することは戦時下の国家ではありえないことなので、ジ・エコノミストの記事については少なくとも米政府の承諾があったものと考えるのが自然である。ここにもキッシンジャーの影がある。現状は老外交官が1年前に書いた内容にごく近いものになっており、ザルジニーの論考も概ねその線に沿ったものになっているからだ。
※ キッシンジャーには”Diplomacy(外交)”という大著があり、邦訳もあるが、私もウェストファリア条約の下りで挫折したため、最近の彼の論考は彼のウェブサイトで読んでいる。件の論考はワシントン・ポストに寄稿したものである。
が、ある考えを伝えるということは、どんな場面でも思ったより難しいことである。私も良く誤解したし、また誤解されたりもした。先にキッシンジャーについては練達の外交官ではあるものの、所詮オブザーバーで、米政府には何の地位も権能も持っていないことは指摘した。
私個人の経験でも、良い考えは人に半分も伝われば良い方で、たいがいは曲解され、本質的な部分は無視され、あるいは場違いに適用され、効果がなくなってしまうのが普通である。が、キッシンジャーの立場では誤った適用をされていてもそれを修正したり、方法を変更したりといったことは即座にできないことがある。
このことは案外常識となっていない。例えば選挙のたびに敗戦する我が国の野党には学者のブレーンがおり、つい先ほども野党共闘の提案をしたが、実践の結果はお粗末なものであった。その都度、彼らは「考えは悪くない、悪かったのは(アドバイスした相手が)指図通りに動かなかったからだ」と自己弁護するが、そもそも真髄を伝えていたのか、そのための努力も説得もしたようには見えなかったことがある。小沢一郎のように誤解されたまま新党結成に突き進んだ例もあった。これは現在では人材の質の悪さという野党最大の弱点になっており、これを取り除くのは容易ではない。
※ そういう事例もあり、私は人との会話で「誤解」という言葉を禁句にしている。この言葉は頭の悪い人間が使う言葉だと見做しているからだ。
キッシンジャーがドンバスにつき民族自決を示唆したことは、この場所を戦場にしても良いという考えがあったように私には見える。戦闘で統治が崩壊しない限り、すでにロシアに併呑された地域の住民投票など不要で、ロシアも認めるはずがないからだ。こと戦闘とその手段に関しては、彼はあまり制約を設けなかったように見える。戦闘を早期に終わらせる方策につき、彼はベトナム戦争ほどの制約も主張していない。むしろ長期化が恐るべき結果を招くと危惧していた。実際にウクライナ軍を掣肘したのは彼の論考を誤読したワシントンの戦略家たちである。
※ そもそもドンバスはマイダン革命を受けた親ロシアのウクライナ人がロシアの支持を受けて独立した地域である。クリミアはロシア人が住民の70%で、単純に占領したから再併合できるといった地域ではない。
※ ソ連崩壊以降、鉱業地域だったドンバスは荒廃し、ウクライナ政府の支援も不十分で反キエフ意識が醸成され、治安も乱れていたことがある。
論考には核の記述もない。彼はロシアの統合が崩れて内戦状態になることは危惧しているが、プーチンがウクライナで核を使うとは考えていない。仮にウクライナ軍が結集してロシア軍を押し返し、ハリコフからベルゴロドに進んでモスクワを指呼の間に収めたとしても、そこから核戦争に移行するまでには十分な時間があり、仲介の労を取る余地があると見ていた節さえ感じられる。おそらくはそうであろう。
キッシンジャーの先達にはやはり卓越したケナンやアチソンがおり、彼は独創の人というよりは先達の偉業を堅持した守成の人という印象であるが、彼が提示した戦略が結果としてゼレンスキーと軍部の離間を招き、ウクライナの国力を弱めたことはある。おそらく彼の企図するところではなかったが、追従者たちの一知半解の行き着く先が排除の論理であることは、我々も「悪夢のような民主党政権」で散々見聞きしたことである。
※ 政権と軍部が不和となった場合、国力に劣るウクライナには降伏以外の道はない。この種の謀略を弄してアメリカが他国で失敗した例は枚挙に暇がない。
戦争で両軍とも疲弊したので、ここは時間は掛かるが「正しい」プロセスを進める方が良い。プーチンが完全自動の殺戮ロボ軍団を手にするにはまだまだ時間が必要だろう。その間にウクライナのEUとNATOへの加盟を促し、荒廃した国土を再建し、政治を改革して各地に散った難民を故郷に戻すプロセスを進めることが大事である。拙速である必要はなく、政治的かつ道義的に、正しいことを積み重ねていくことが後に生きてくる。ウクライナは健康な政治さえ取り戻せば、現実主義の老外交官の書いた処方箋は、以降は必要のないものになるに違いない。
※ その逆をやったのが2010年代の民主党政権で、これは党も分裂した挙げ句、日本人の政権交代への希望を絶望的なものにした。その傷の深さは今になるとまざまざと見えるものである。
※ ウクライナとハンガリーの関係はソ連崩壊の時代にまで遡る複雑なものだが、現在のオルバン政権の反発は民族問題やパイプラインというより、大統領のゼレンスキーに対する個人的な確執があるように見える。ポーランドでは戦争による機会損失が国境でのトラック運転手の抗議活動に繋がっているが、これらについてはウクライナは都合の良いところだけEU基準、その他はウクライナ基準というダブルスタンダードを止めなければならない。
※ 2010年代の我が国における民主党政権の蹉跌も連立を構成する個々の政治家の確執は現在から見れば互いの違いはごく小さいものであった。最大のものは鳩山由紀夫率いる旧民主党と小沢一郎率いる新生党出身者のそれであったが、互いに僅かな相違を譲歩することができず、またより異質な傾向を持つ社民党シンパのブレーンが対立を煽ったことで分裂は決定的なものになった。個々の政治家やブレーンの小さな自尊心と卑小なプライドがようやく得た改革の機会を恒久的に葬り、災害と政治的混乱もあり、国民はわずか数年で民主党を見限り、守旧的で腐敗した自民党政権の復権を歓呼して迎えたのである。
※ 民主党政権をゼレンスキー、自民党をドンバスのロシア派やプーチンとすればウクライナでも似たような状況がある。