共和党がウクライナ支援に反発していることから、反転攻勢が中止された後のウクライナは予算不足と兵器の枯渇が囁かれているが、前進は僅かだったものの、アウディウカ・マリンカの拠点防衛に成功し、クビャンスク・リマンではロシア軍の浸透を食い止め、南部ザポリージャでは巨大要塞相手にあわや失陥まで追い込んだ国の評価にしてはひどいものである。
一連の戦いで現代軍隊としてのロシア軍は北海艦隊と空軍を除きほぼ壊滅したが、そのことに対する褒賞もない。プーチンは喜色満面で国民対話に応じ、AIプーチンを相手に特別軍事作戦は進めるとし、ロシア経済は健在で、ボロボロに打ちのめされた戦争の勝利を微塵も疑っていないように見える。何がまずかったのだろうか?
月初に100歳で死去した外交専門家ヘンリー・キッシンジャー氏は昨年の12月にウクライナ戦争についてコメントしているが、影響力のない人物ではなかっただけに、氏の見解は戦争の進行に大きく影響したように思う。氏はウクライナについては2022年の国境で停戦することを求めていた。事実上ロシアの占領下にあったドンバスとクリミアについては、民族自決による解決も提案しており、ゼレンスキーを大いに怒らせたことがある。
キッシンジャーは米国外交史の巨人であるが、彼の全盛期は半世紀の昔であり、以降は外交に影響を及ぼしつつもその立場は顧問や識者としてのそれであって、米国政府内に何の役職も権能も持っていなかったことには留意する必要がある。確かに長年の国務省での奉職で得た人脈や知見には侮りがたいものがあるが、彼は政策立案者でも執行者でもなく、晩年の立場は我々と同じいわば外野の一員であったことがある。
地位や権力から離れ、透徹とした視点から見れば、彼の言い分は多くの点で正しいだろう。占領から長年月が過ぎ、住民も強制移住させられたドンバスやクリミアの再併合は2022年以降のそれよりも簡単ではないはずで、ロシアについてはこの2年間の誤ちのみ認め、停戦と引き換えに残った部分は目を瞑るというのは現実的な考えに見えないこともなく、ウクライナを支援するアメリカ政府関係者にも実現の容易な案と見えたことは想像に難くない。が、そこにオリジナルと模倣者の違い、師と弟子の間にある越えられない壁があったと見るのは私だけだろうか。
キッシンジャーは停戦は2022年の国境線に沿ってと言明したが、その方法については言及していない。が、ISWや軍事コンサルタントの立てた作戦計画はロシアの南部管区軍が占領した地域をナイフで切り取るように「奪還」するものであり、そして、ご丁寧なことに奪還した時点でウクライナ軍の戦力が尽きるように計算されていた。これは戦理に反するものであり、また、ジョミニ戦術は軍事専門家には理解できてもウクライナの政治家やバイデン大統領には理解不能なものであった。
これはおそらくキッシンジャーの企図ではなかったように思われる。欧米から与えられた兵器を使い、ウクライナ軍は予想以上の奮戦をしたが、戦場のグランド・デザインがそもそも間違っていたのである。ザポリージャでは攻撃の何ヶ月も前からISWが攻撃地点を繰り返し連呼しており、ロシア軍が大要塞を構築する時間は十分にあった。BBCは衛星写真を公開してザポリージャへの攻撃が大きな犠牲を伴うものと忠告したが、動き出した歯車を止めるには至らなかった。キッシンジャーの弟子たちは師の意図を中途半端に咀嚼し、誤った解釈をしたのである。
限られた戦力を結集してロシアに軍事的、政治的打撃を与えるなら、最善の方向は西から進軍しドネツク・ルハンスクを突き通す線である。進軍距離にしてルハンスクまで100キロ程度の距離であり、ドネツクの占領は一地方都市でしかないメリトポリより政治的効果がはるかに大きい。また、アウディウカからドネツクまでの距離は数キロしかなく、トクマク要塞までの30キロ超よりはるかに短い。空からの攻撃も分散した諸部隊を対空ミサイルで個々に防護するより、大部隊を集中的に防護する方が発射台の数もはるかに少なくて済む。全軍でドネツク市内に進軍し、瓦礫の山と化したドネツク市役所でゼレンスキーが奪回を宣言すれば政治的効果は満点だろう。
キッシンジャーの提案の解釈には幅があり、停戦交渉の話はそれからすれば良かった。その結果、国境線を2022年の線で引き直すにしても、住民投票で帰趨を決めるにしても、それは戦勝の果実と言うべきものであって、奪われた部分を律義に外科手術のように切り取る必要はない。政治的現実と軍事的現実は違う。「君命に受けざる所あり」とは良く言ったものである。
「故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城」とは、孫子謀攻篇の言葉であるが、謀を十分に巡らさずして、徒に攻城戦を行ったのが今回の戦いであったように思われる。結果も「將不勝其忿、而蟻附之、殺士三分之一、而城不拔者、此攻之災也」というものになっているが、ウクライナにもう一度反転攻勢の機会があったなら、ここは良く考えた方が良い所である。
アメリカの共和党議員については、国民の負担など、もっともらしい反対意見を述べているが、これを封じるのは案外簡単なことである。あの国には有名な「明白かつ現在の危険」の法理がある。大手メディアがあからさまな金銭の授受を除き、議員のセックス・スキャンダルについては報道しないと協定を結べば、彼らも民主共和制の代議士として有権者の代表にふさわしい行動を取るはずで、策を巡らすとはこういうことである。アメリカ国民もバカではない。ウクライナでロシアを勝利させた結果がどんな災いとなるか、分からないような文盲揃いではないはずである。