反転攻勢がさしたる領土の奪還もなく終了したことで西側メディアには恨み節のような記事が溢れているが、ワシントン・ポスト紙は反転攻勢の内幕ということで計画を立案したアメリカと実施したウクライナの齟齬を伝えている。ワシントンの戦略家が立てた計画では、ウクライナ軍は南部に戦力を集中し、60~90日でクリミアを奪還するはずだった。
が、ドネツクなど東部がガラ空きになることにゼレンスキーやウクライナの参謀本部が難色を示し、ザルジニーは精鋭部隊を東部に集中させ、南部を攻撃した部隊は経験不足で練度も低かったとされる。西側から供給された地雷除去車を用いなかったことについては、国防相のレズニコフ(当時)が試みたが砲撃とヘリに全て撃破されたと説明している。計画は開始後数日で瓦解し、ザルジニーは南部に投入した機甲部隊を東部に転戦させ、以降は10人単位の小兵団による戦術に切り替えたとされる。
※ 当初の計画を水で薄めたような人手頼みの攻撃でも第二防衛線まで到達したことがある。計画通りに攻撃していればトクマクやメリトポリは失陥した可能性が高かっただろう。が、ウクライナ軍も大破したはずで、それで2014年以降の被占領地、ドネツクやルハンシクを奪回する余力は残らなかったはずである。
南部への攻撃を声高に叫んでいたのは昨年から西側メディアとISWで、反転攻勢が開始されてからも私などは白々と見ていたが、これはアメリカに非があるように思える。ウクライナ軍を南部に振り向けたければ、少なくともトルコについては外交上の手筈を取るべきであり、ポルポラス海峡を支援艦隊が通過することを確約すべきであった。その保証なしに南部に出ることにどれほどのメリットがあるのか、ゼレンスキーでなくても首を傾げるだろう。
※ 首を傾げないのは外交や政治、海上輸送についてはどこまでも都合良く解釈するか専門外とできる軍事ヲタクくらいである。
ロシアの弱みは国民への説得が「特別軍事作戦」であることで、モスクワからキエフへのハリコフの北を通る最短ルートを使えないことである。プーチンはソ連邦復活の前祝であるこの戦において、ロシア国民(モスクワを中心とした白ロシア人を指す、少数民族は含まない)をできるだけ巻き込まないよう配慮した。そのため拠点はモスクワから200キロ以上南のロストフ・ナ・ドヌーになり、現在でもここは全ロシア軍の策源地である。
ロストフからの距離を見ると激戦地であるバフムトは200キロ、ザポリージャは300キロ(直線距離)で、これはロシア軍にとってはバフムトの方がザポリージャより扱いやすいことを意味する。キエフからの距離は570キロと450キロで、バフムトはウクライナが進出したロシア占領地の最遠点だが、ウクライナ軍はドニプロを拠点としており、そこからの距離だと200キロと130キロで、ザポリージャの方が攻めやすいが、バフムトでは条件はほぼ均等となる。
こういう状況で南部への兵力を割くにはバフムトで兵力の均衡を保つ必要があり、保てない場合はパブログラード、ドニプロと簡単に攻め入られてしまう。そうすればドニプロとザポリージャは分断され、反攻部隊は背後を突かれて全滅してしまうことがある。南部での反攻を成功させるには、均衡を維持できなければ前線を西に移動させ、第二戦線を構築する必要がある。ドニプロからの距離100キロ未満なら南部に大部隊を割いても少ない兵力で都市を防衛できるだろう。
※ 当然のことながら、一時的でも占領されたウクライナの各村落ではブチャに酷似したロシア兵による住民虐待の阿鼻叫喚の光景が繰り広げられることになる。
そこまでして成功させるべき作戦か?という疑問は、計画を説明されたウクライナ首脳部には当然あったはずである。ここに来て私は「軍事ヲタクの限界」というものを垣間見るのである。ウクライナに領土の一時的な占領も含む計画を行わせたければ、それに値する報奨を示すべきであった。クリミアを占領した軍団はセバストポリに接岸した欧米輸送艦にすぐに分乗し、マリウポリに上陸してドネツクを襲うか、あるいは策源地であるロストフを攻める計画であるべきだった。ロストフを失えばこの戦争は終わったはずである。
※ ロストフを弾道ミサイルで集中攻撃することを主張する軍事ブロガーはいない。が、政治的には当然取りうる選択肢である。この都市はこの戦争ではモスクワの代替物で軍事や物資の集積地だが、雷撃して核戦争に発展するほどの場所ではない。
ありていに言うならば、ワシントンの軍事ヲタクが立てた作戦は軍事と外交の連携が取れていなかった。ウクライナの作戦開始に合わせて長すぎるエルドアン政権が選挙で敗北し、欧米艦隊はポルポラス海峡を通過して、空ではちゃんと飛ぶ中古F-16戦闘機に搭乗したウクライナ人パイロットが大挙来援して初めて成り立つ作戦だった。この作戦は欠陥品で、責を負うべきはもちろん実際に血を流したウクライナの民衆や兵士たちではない。机上の空論で兵を弄んだワシントンの戦略家たちである。
軍事ヲタクたちはおそらく、外科医がメスで切り取るように、ロシアに占領された2022年以降の占領地を奪還できれば十分と考えたかもしれない。事実、ドンバスとクリミアは2014年以降はロシアの支配地であり、占領行政が確立され、再占領は別の問題を伴う。が、占領された部分だけを綺麗に切り取ることはヲタクの妄想と言うべきであり、今も昔も最短交通線こそが最善の攻撃距離であり、攻撃すべきはウクライナの場合はバフムトまで進出し、ドネツクとルハンシクを指呼の間に捉えたこの場所なのである。
※ こういう戦争を自分の都合の良い方法で終わらせるという考えは歴史でも度々試みられるが、たいていうまく行かず、コントロールどころか全てを失う結果になることが多い。私が訳知り顔の軍事ヲタクを特に忌み嫌う理由もそれである。
ロシアがウクライナとの戦いを「戦争」と再定義した場合、モスクワからハリコフを飛び越えてキエフを直撃する最短ルートを採る可能性がある。が、ウクライナごときに大苦戦したプーチンをロシア国民が許すとは思えないし、その段階で彼の権力が盤石だとはとても思えないことがある。
戦争はロストフで終わりにすべきであるし、おそらくそれで終わりだろう。アメリカJSFのような軍事ヲタクの妄言を鵜呑みにして盛大にコケたバイデン政権としては、せめてロストフと第二の都市であるボロネジをウクライナ軍が弾道ミサイルで攻撃しても核戦争にならないよう、外交努力を払うべきだろう。
(補記)
「もちろんウクライナの勝利もコストを伴う。支援を拡大しテコ入れを続ける西側の経済的な負担は膨大なものとなる。中東でも戦闘が起きている今はなおさらだ。それでもウクライナの敗北がもたらす実存的危機に比べれば、負担は安いものではないか。」
このメディアの論説には首肯できないものが多いが、コストについては、先にオースティンと会談したザルジニーが参謀本部の試算として示した数字があり、全領土奪還には戦費が3,500~4,000億ドル、砲弾1,700万発が必要というものがある。が、これだけの金額を投ずるなら、先ずトルコ政府を買収し、ダブついた北朝鮮製砲弾については買い取っておけばハマスに横流しされずにすみ、トータルの戦費はより安いもので済んだという見方もある。