つい先日仕事のお礼にとクッキーをもらったが、これも相続の話で、請求した金額が高すぎやしないかと内心ビクビクしていただけに、喜んでもらえたことは率直に嬉しい。ちょうど茶菓子類が切れていたので実にありがたかった。品物は良く吟味されたブランド品で、買えばかなり高価なものである。

 で、先に終わりにしたつもりだったが、親父の葬式話は結構読む人が多いようで、おそらく私の複雑な生い立ちだとか、繊細な内面だとかにはたぶん興味を示してもらえず、専ら関心を惹いたのは口座凍結がどうやって行われるのかとか、火葬の様子はどうだとか葬儀代がいくらとか、そういったことのように思われる。

 私は自分の仕事で葬式価格など設定していないが(当たり前だ)、四十九日も近づき、実家からお裾分けにもらった折詰とか引き出物を消費していくとちょっと気になることがあった。

 葬式に備えている家は普通はなく、特に私の家のように話自体が禁忌だった家は何の準備も行っておらず、ぶっつけ本番で悲しみがまだ癒えぬうちに(つまり錯乱した状態で、特に配偶者)葬儀に臨むことになる。そこで必要なのが弔問客への饗応や引き出物である。

 饗応については一人1万円でそれなりにしたが(前述)、引き出物の方は次回(たぶん母親)は考えようと、もらった味の薄いのり茶漬を啜りながら思った。葬儀当日は仕方がない。臨終から間もないし、部屋には遺体が置いてあるしで複雑な用意はできず、葬祭センターの言うなりでカタログから選ぶしかしようがなく、これは会葬者の数だけ用意すれば良い。

 姉が選んだのは大森屋ののり茶漬けと佃煮セットで、スーパーで見繕えばもっと良いものを千円足らず(私なら永谷園にする)で揃えられるが、お値段は4千円、家族葬でも十数人はいるので、あっという間に4万5万になるが仕方がない。品物もそれっぽい葬式らしい陰気な色の包装紙などそうそう用意できる物ではない。

 しかし、その後一月ほど続く弔問者に配るお礼品の方は、用意する時間も十分あるし、故人や家の嗜好を示す良い手段でもあることから、工夫の余地があったように思われる。姉が選んだのはコーヒーセット(2,200円)だったが、これは葬祭センターで50個ほどが用意され、使った分だけ払い戻す式で、先週訪問したらほとんど無くなっていた。

 内訳はモンカフェ式のコーヒーが3つと紅茶が6袋、それとほとんど空洞の箱に10円玉ほどのクッキーが2種類各6個だったが、こんなほとんどがらんどうの品物をもらって嬉しいとか故人を偲ぶとかいった気分になるものだろうか。これについては自分で用意した方が良いと思われる。

※ モンカフェといっても本家は特許のカタマリなので、葬祭用のバッタモンの場合は湯を注いでも溢れとかなり出来が悪かった。なのでバラしてコーヒーメーカーに入れて飲んでいた。

 たまりかねた母親が河野に頼んで石けんセット(1,840円)を10個頼んだが、彼女は「もくせい舎」というハンドメイドソープの販売を行っている。もちろん葬式価格ではない。元々葬祭用のものではないので内容は2個でも6個でも自由自在だ。中身的にはこれと同等の品がAmingで1個千円以上で売られているのだから、2個でも良いくらいだが6個セットでもコーヒーより安かった。ただ、どの品も手作りなので量産が効かない。

※ 薬機法の規制外の雑貨石けんだが、私の母親と姉が前者は洗濯用、後者は浴用に愛用していたこともある。もちろん私も使っている。製造数が極めて少ないので、私も分かる人にしか勧めない。オリーブ油の石けんやカスティール、シャンプー用やブラウン・ウィンザーなどの商品がある。

 これはやや特殊な品だが、梱包さえ工夫すれば今はインクジェットで美麗な印刷物も作れるし、品物も吟味すれば、この引き出物は自分で用意した方が良いように思われる。一人1万円も出すならともかく、数千円の予算では葬祭センター任せでもブランド物はまず出ない。

※ こういうことを書くと「食品衛生法が」などというおバカな人がいるけれども、食衛法が問題になるのは袋詰めお菓子を開封して分包するような場合で、個々に包装されている品を分ける分には(お茶漬け海苔など)何の問題もない。

 こういったことは、残された我々が決めるのも良いが、当日はいろいろと忙しい。遺言のうち、登記など法律行為に関わるものは「遺言」、その他のものは「遺書」という。遺言は厳格な要式行為で、開披にも裁判所の検認が必要だが、遺書の方は法律にも規定がなく、自由に書いて遺せることから、「引き出物はブラックサンダー」くらいの内容は生前の本人が書くのがいちばん良いように思われる。

※ 仮にトンデモな内容が書かれていたとしても、債務や権利変動が伴わないので埒外とされているようである。例えば葬儀時にブラックサンダーが製造中止になっていたとしても、ビッグサンダーに差し替えれば良いだけのことである。

 贈る人が生きている場合は、お歳暮でも贈り物でもそれなりに吟味し、思っているより時間を掛けて選ぶのが普通である。ただのハムや石けんでも、そこには贈り主の誠意やセンスが光るものであり、おざなりなものではない。葬式だけが例外と考えるのは、少しおかしい。