今朝読んだリフレ派の経済学者の記事でロシアはランドパワー、欧米はシーパワーという記述があり、ウクライナ戦争はランドパワーとシーパワーの戦いで、地政学上シーパワーに属する日本は何が何でもウクライナを支援すべきという論調があったが、こんな抽象的な言の葉で戦争を使嗾されては国民はたまったものではないし、説得するにしてももう少しまともな言い分は他にもあるだろう。

 同じ論説では軍事戦略家のアルフレッド・セイヤー・マハンの言説として、「いかなる国もランドパワーとシーパワーを兼ねることはできない」というものが「マハンのテーゼ」として紹介されていたが、マハンはそんなことは書いていないし、たぶん論者はマハンもロクに読んでいないのだろう。

 私自身はといえば、元になった記述が海上権力史論のどこに書いてあるか当てて言うことができる。そういう文脈で書かれたものではなかったし、完璧な誤読だと思うけれども、論者は私と同じ歳でエール大学や国際機関に奉職し、どこかの大学で教鞭を取っているリフレ派の論客だそうだ。こんな程度で大学の教鞭を取れるなら、大したことはないな。

 ほか、どこかの私大の大学院入試の問題だったか、オリバー・ウェンデル・ホームズの一節を抜き出して、受験生に「読め」と強迫的な出題をしている大学があった。慶応大学のどこかのカレッジだが、ホームズというのは200年前の人である。我が日本で200年前にどんな文章が通有していたかを考えれば、これがかなりのトンデモ出題だと分かるし、だいたいホームズの文章は彼の該博な知性を反映してラテン語やフランス語がそこかしこにあり、院生入試程度のレベルで歯の立つものではない。

※ 今となっては信じがたいことだが、当時の文書は特に公文書は全部が漢字で書かれていた。いわゆる漢文脈で、しかも島国で先進国中国から継受したコンプレックスからか文章は本家中国よりも技巧を凝らした晦渋なもので、頼山陽以降は少しはマシになるが、それでも今の人にはまず読めない代物である。

 

※ 漢文脈の歴史は長いが、技巧魔で最低な奴はたぶん菅原道真だろう。彼の文章を読むと太宰府で頓死した理由が良く分かる。当時は中国人でも彼みたいな文章は書かなかった。道真の文章は入試に出されたら受験生が絶望するような代物である。この人物には人に理解されようという根性をまず感じない。

 

※ 当時の中国には日本の漢詩でも取り寄せて評定する奇特な学者がおり、頼山陽の弟子の江馬細香が高い評価を受けている。彼女は山陽の事実上の妻だったが、才質では山陽を凌ぎ、当時の中国で評価されたのみならず欧米でも高い評価を受けている。

 

※ 池上永一の小説「テンペスト」では主役に孫寧温という才気溢れる女性が登場するが、江馬細香はリアル孫寧温である。

 

※ 漢文脈の素養があったのは日本では森鴎外、夏目漱石、正岡子規までの時代である。彼らは生家そのものが漢文講師の家系で、特に鴎外はドイツ語を訳す際にもまず漢文に直して訳していたとされる。なので、漢文を勉強する際には彼らの著作を読むと良いとはどこかの参考書に書かれてはいた。

 

※ 今となっては後悔しているが、私の受験参考書の一つは「漢文法基礎」で、これも後悔しているが最後まで読んでしまったために多少は読むことができ、愚かでムダな時間を使ったと後悔しているが(漢文の配点などセンター試験で何点だろう、すでに無いという話もある)、悪書の見本のようなものでも、読んでしまったものは仕方ないといえる。

 この二つは私も読んでいるし、ある程度は話せる。理由は私が戦争をテーマにした小説を書いていたからで、こういうものを書くには法や戦略についてある程度まともなものを読んでおかないとちゃんとしたものは書けないことがある。だってあのトム・クランシーだって原潜やステルス爆撃機が踊り狂う彼の小説にだって、ホームズの引用くらいはやっているんだぜ。

 O・W・ホームズは合衆国最高裁の判事も務めた当時アメリカを代表する知識人で、英米法判例百選を読めば「ミスター・オブジェクション」と呼ばれた彼の言説の一端に触れることはできるが、日本語で読んでも難解で、こんなものは期末試験でも司法試験にも出ないので、読んだ途端に記憶の片隅から抜け落ちるようなものである。

※ ホームズのそれと比べると、我が国の比較衡量論は雑な議論という感じはする。伊藤判事によると政教分離に関する議論は欧米の方がより精密でより厳格である。

 日本で(そしてアメリカでも)ホームズの有名な言葉は「明白かつ現在の危険(Clear and present danger)」だが、これは彼の本を読んでないと意味はわからないと思う。

 そんなものを入試に出す慶応大学、頭おかしいんじゃないか?

 ホームズの略歴は「毒親」という言葉もあるが、読むと「負けた」感をひしひしと感じるようなものである。牧野富太郎のような人物ならまだ努力と根性で何とかなりそうな感じはあるが、彼の父親は医師で、医業の傍らで文筆業を営んでいた。母親は判事の娘で教養に富み、影響も大きかったがその程度の母親は珍しくもなく、より影響したのは父親のサロンに出入りしていた当時アメリカの文士たちである。エマソンが最も影響を与えたが(初期のホームズの著作はエマソンの真似から始まった)、ほかラスキンやカーライルがおり、ホームズ少年は物心付く前からアメリカ最高の知性の薫陶を存分に受けて育った。以下、南北戦争などあるが長くなるので割愛する。

 一言で言えば、知識人の姿の一つの理想といえようか、単に裁判所で反対意見ばかり述べている偏屈なじいさんではないのである。そんな人のこと、生まれも育ちもだいぶ違う慶応の受験生なんかにワカル?

 マハンに話を戻すと、「海上権力史論」はマハンの膨大な著作の一つで、話は17世紀の英蘭戦争からアメリカ合衆国独立までの100年間しか書かれていない。マハン自体は蒸気船時代のアナポリスで初代校長を務めた人物だけども、この本には蒸気船は一隻も出ておらず、彼には非常に興味のあったトラファルガーの海戦も始まる前に本が終わっている。大上段に戦略戦術について語った本でもなければ、マハン戦略の集大成でもないのである。ホームズの著作もそうだが、実は未完成な著述である。

 この本が有名になったのは、明治時代に秋山真之が私費留学して校長時代のマハンに師事した影響が日本では大きい。が、私は秋山はマハン戦術は理解していなかったと思っている。影響したのは防御より攻撃を優先するイギリス海軍の戦術や、彼の著述では度々行われた海上封鎖の記述である。が、マハンは海上封鎖についてはその負の側面について書いている。彼がいた時代、南北戦争では「スコットの蛇」という史上最大規模の封鎖作戦が行われ、そのお粗末な実態も彼は艦上でよくよく目にしていた。南部のブロケードランナーは封鎖をものともせずにくぐり抜け、封鎖しているはずの北軍艦隊は補給不足で泊地に少数づつ引き籠もっていた。

 秋山は日露戦争で旅順艦隊に対する封鎖作戦を主導したが、これは戦争の進め方に異なる文脈があったことを示唆している。5万人の損害を出し、太平洋艦隊を砲撃で粉砕した後の連合艦隊はボロボロであった。戦艦も2隻が失われ、もしバルチック艦隊の来航がもう少し早ければ、戦争は現在我々が知っている結果では終わらなかった可能性が十二分にある。有名な丁字戦法についても、マハンは設例の一つ、フランス艦隊を壊滅させたセイントの戦いで、勝利は偶然の事情でしかなかったことを鋭く追及している。ロドニーの中央突破・背面展開戦法は当時称賛されたが、冷ややかな視線を向けている。日本海海戦について、そういった分析は行われたか。

※ 対馬や九州に行くと分かるが、日本海海戦は福岡から砲煙が見えるような結構ヤバい位置で戦われている。福岡から壱岐、対馬を航路とするフェリーがあるが、海戦はまさにその航路の真っ只中で戦われている。

 いずれにしても、何百年も前の人の言葉は生きた現実に当てはめなければ意味がない。格言や故事を知っているから偉いのではなく、そこにどんな真理があるのか、現代でも有用などんな洞察があるかを説明しなければ意味がない。

 ウクライナではナチス時代の大虐殺であるバビン・ヤールの日が追悼されている。日本では報道はなかったが、ロシアの最大の誤算はこういった集団的記憶のある国を攻撃したことだだろう。ホロドモールと並び、理不尽に殺された何百万人もの集団的記憶は地域に染み付き、消えないものとして残っている。ウクライナは今や公務員の給料もEUが立て替えて支払っているような状態であるが、それでも彼らが戦いを止めないのは、ロシアの侵略に続くものに何があるのか、他のどの地域以上に身に沁みて分かっていることがある。こと今の事情で、彼らが戦いをやめる事情はどこにもない。

 

※ 大英帝国はオーストリアの併合を許し、チェコスロバキアの講和を黙認し、ポーランドに侵攻されてようやくナチスの侵略願望に気づいた。ポーランドはナチスとソ連に分割され、戦いはフランスに飛び火したが、それがその後6年間続く第二次世界大戦の始まりとなった。