福島の原発処理水の海洋放出で中国が日本製海産物の全面禁輸を決め、中韓との関係が険悪化しているが、今日の日曜討論を見ていると、批判は中国下層階級の鬱積した不満のはけ口で、時間が経てば沈静化するという話だが、面子が偏っていたこともあり、そう言って納得させることができるものかは甚だ疑問である。

 この件での問題は処理水の放出はトリチウムの半減期が12年であることから、用地もその分しか確保しておらず、海洋放出の方針は事故後の早い時期に決まっていたことがある。説明では放射能水を100倍に薄め、無毒化してから放出するという話だが、放出後の海洋調査でも微量ながら検出されている。が、人体に有害ということはなく、場合によっては自然界の放射線レベルの方が高いこともある。その部分についての科学的説明は私でも納得できるものである。

※ そのため、政府には海洋放出の方針と安全性につき、漁民や国際社会を粘り強く説得する義務があった。が、10年以上もの期間がありながら、まとまった方針はなく、組織もなく、その場しのぎの場当たり的な説明で済ませてきた罪がある。

 が、現地で漁業に従事している三陸の漁業者に言わせれば、海洋放出はしない方が良いに決まっており、この件が明らかに政治的利用を目論んでいる中国政府とその国民に加え、我が国の漁業者にも強い反発を招いている理由は、原発事故における我が国の取り扱いが事件処理基準として到底納得できるものではないことがある。


共同体における責任の体系

 上の図は社会的責任とそれに対する法をまとめたチャートだが、責任の大きいものほど左側に書いてある。刑法が最も社会的責任が大きく、相続法がいちばん弱いものである。不法行為は契約より大きな責任となっているが、これは契約によらずして債務を発生させる同法の特質による。が、刑法ほどの非難可能性はない。

※ 通常は刑事裁判と民事上の責任は別と考えられているが、ここでは一元的なものとして理解する。また、責任も金銭賠償に限るものではない。

 刑事・民事によらず、あらゆる事件をこのチャートに当てはめれば、縦軸で妥当な解決には引き起こした事件の加害と責任が釣り合っていることが求められることが分かる。例えば交通事故は被害者への賠償はもちろんのこと、交通刑務所に収監され、車両が没収されることがある。

 被害者への補償がなされたにも関わらず、収監や没収まで加わるのは、それが不法行為よりも強度の責任として社会に認められているからに他ならない。

 民事裁判が刑事裁判より証明責任が軽減されているのは、最大である不法行為においても、究極的に問える責任が刑事より軽いという判断がある。

 ビッグモーターの事件も単なる顧客への不法行為、契約違反ならば個々に賠償することで罪を逃れることは可能だろう。が、同社の行いには刑法事犯である詐欺罪や公共物損壊、恐喝まがいの内容が含まれていた。会社側の取った手段が役員の辞任と営業譲渡(デロイトトーマツへの依頼)であったことで加害と責任の不均衡が生じ、世間の非難が止まらないものになっていることがある。


加害の内容と実際に負った責任の間にズレのある両事件

 海洋放出については、原発事故それ自体は最大級の責任非難に該当する内容である。上のチャートでいえば「刑法」の最左翼で、これはビッグモーターとは比較にならないほど加害性が大きく、事件の本性として賠償だけではとうてい世間を納得させることはできないことがある。

※ 実際の法律はもっと複雑精緻だが、加害と責任の関係についてはどの刑罰規定もチャートのいずれかにカテゴライズできる。一部特殊な分野を除き、ほとんどの法律が一般人を基準にしていることによる。

 加害と責任の均衡を考慮するならば、裁判では免罪された東京電力の役員と原子力保安院の担当者は勾引して処断することが必要であったが、そんなことは行われていないし、損失補償についても東電は行っているが海洋放出については今も曖昧なままである。加害者を処断しない上に責任も負わないというのであれば、毀損されているのは一公署一企業ではなく国家の信用である。

※ より普通の犯罪については概ね上のチャート通りの運用がされていることもある。犯罪者は検事が尋問し、契約上の損害は金銭で支払われる。

 つまり、科学的安全性以前の問題として、また、東京大学の御用学者が中国のネット民を蔑み貶める以前の問題として、それを口にする岸田首相の政府自体に信用がない事実を直視する必要がある。信用がない理由は、近代以降の国家では当然に行われている責任の体系が、この国の政府では機能していないことがある。

 これはロシアと大差ない。プーチンのロシアは法治主義をかなぐり捨て、恣意による勾引や拷問殺害が日常化している。北朝鮮も同じだし、中国もそう良い国ではない。これらの国を見るに当たり、我々はどういった視線を向けているか、考えてみるといい。

 同じ視線を中国や韓国は我々に向けているのである。そもそも邪推でしかない中国賤民の行状を云々する前に、誰が見ても問題であろう海洋放出にはもっと適切なアプローチ、事実の積み上げが必要だったのではなかったか。

 例えば、放出に先立って首相公邸も含む政府諸機関の食堂や大学食堂で三陸産食材を買い上げて提供したり、天皇晩餐会で供されるメニューに三陸産魚介類を提供するなど安全性を実証する活動を行っていればどうだっただろうか。

 これすらたぶん反発がある。福島産食材の使用を理由に学生食堂の利用を拒否する国立大学法人の教授は必ずいるはずだし、魚介類が提供されることで天皇晩餐会の出席を拒否する大使も出てくるだろう。例のマスク怪人のような「食べる自由」を主張する露悪的な人間もいるに違いない。

※ コロナ禍でマスク無しで飛行機に乗り込んでつまみ出された大学講師もいた。

※ 前の天皇陛下なら進んで食べたと思うが、今の天ちゃんがそうであるかは甚だ疑問。ガコさんとアイコは急な体調不良で敵前逃亡かもしれない。

 たぶん大勢いるであろう、我が国の中枢にいる、口先ばかりで信義や誠実の欠片もない人間を良く見抜き、前に進まなければ、福島も我が国も誰も救われない。問われているのは汚染水ではなく、国際社会における我が国の規範である。