ロシアのペスコフ報道官がウクライナが西側兵器を大々的に取り入れ始めたことを見て、「ウクライナの非武装化は達成された!」とコメントしていたが、見た者からは「自分でも何を言っているのか分かっていないのでは」と苦言を呈され、これが旧ソ連製兵器の枯渇を指しているなら、非武装化でも何でも良いから無意味な戦争は早く止めろと言いたい。
図は私が昨日に半日掛かって書いたドンバス地域の現在の両軍配置図だが、参謀報告を突き合わせると2週間の激戦でザポリージャのロシア軍の砲列はだんだん下がって来たようだ(斜線部分)。
実は反転攻勢が始まるまでこの正面には動きがなく、砲兵隊が隣のシャフタール戦線の背後まで出てきて砲撃していたことがあった。ウクライナ軍の装甲部隊がベリカ・ノボロシカを急襲したことで側背攻撃を受ける危険が生じたため、ロストフからの航空支援を受けつつ、要塞線に戻って陣地を堅守する方針にしたようだ。これはロシア軍機の出撃回数は増加しているが、キーウ侵攻時には遠く及ばないという村落奪取直後からの英国国防省の報告とも辻褄が合う。
※ マリャル国防次官説ではロシア軍の謎の対戦車ミサイルの攻撃で進軍した部隊は陸と空から激しい攻撃を受けているらしい。が、配信される映像ではミサイルより空中砲兵代わりのロケット弾の方が多いようである。このおばさんの言説では地上で何が起きているのか全然分からない。撹乱目的で現職をやらせているなら別だが。
参考にしたのはウクライナ軍の参謀報告だが、バフムトとザポリージャ以外の戦線はほとんどニュースにならないので知らない人が多いと思う。英国国防省の報告でも交戦地帯を示す斜線程度で、これは注意しないと分からない。が、実は1年近くも同じ場所で交戦が続いている。
先の図では第二次大戦のように大部隊が両翼を伸ばして相互ににらみ合っているように見えるが、青色は交戦が起きた場所を線で繋いだものである。唯一戦線らしいのはザポリージャのロシア陣地だが、攻めるウクライナは別に大兵団など取り揃えて進軍してはいない。
比較として、図は今日の英国国防省の戦略図だが、これだと攻撃方向は良く分かるが、諸部隊の配置、特にロシア側の展開が全く分からない。アウディウカやマリンカなどDPRの首都ドネツク近郊が意外と騒々しい場所だということもこの図からは分からない。ドネツク近郊までベージュ色に塗色されていることから、これらの場所がウクライナ勢力圏だということは分かるが、ほぼ毎日クラスター弾や砲撃を受け、白リン弾やダムダム弾が乱れ飛び、チュリパン巨大砲が撃たれ、兵隊が二代目カディロフ軍団と戦っているような場所は勢力圏とは呼ばない。
※ マリンカの部隊将校の証言だが、戦場はジュネーヴ条約違反の兵器の実験場のような様子になっている。もちろん街は廃虚で、隊長の悩みはロシア軍と同じ横紙破りを自分らもやった方が良いかどうかである。
参謀本部には戦域として毎日報告されているものの、アウディウカ、マリンカの戦いは全く第二次大戦様式ではなく、地下壕に籠もったウクライナ軍はロシア軍に半包囲されたり背後から襲われたりしている。突出して損害を与えているものの、ほとんど敵地で主要都市から200キロも離れたこれらの場所で長期間戦いを続けられる事自体が驚きである。その秘密はウクライナの道路にある。
※ アウディウカ、マリンカともにM3、M4国道の直近で、近くのH20道路と共にドニプロ、ハルキウに通じる高規格道路を押さえる要所にある。武器もドローンや軽火器で、負傷者は夜間の高速道路でドニプロに後送される。ウクライナの他の道路とは比較にならないほど迅速に移動できるため、敵首都の直近でも武器や新兵を補充して戦闘を維持することが可能になっており、さらにテクノロジーを活用することでロシア軍やワグナー、二代目カディロフ軍団を敗走に追いやっている。
ウクライナの戦いでは道路が重要で、EUの国際規格に準じたM道路とそれ以外の道路の差がかなり激しい。M道路はEUの規格に準じ、曲率や勾配などで時速120キロでも安全に走行できるように作られているが、それ以外の道路は国道のH道路でも仕様はまちまちで、さらには汚職による着服があったため、実情は現地に行ってみないと分からない。地方道のO道路やT道路に至っては未舗装の区間もかなりある。
※ 道路が酷いことから、平地に出たほうがマシと道路から開けた平野に出た途端に地雷を踏んで爆破されたT-72戦車もある。戦前の報告ではウクライナの自動車専用道路の97%で何らかの補修が必要という報告もある。
ウクライナでは大部隊を迅速に展開できるのはM道路とそれに準ずる高規格道路の国道、州道に限られる。それ以外だと離合困難だったり、未舗装で通行速度が大きく下がったりとなり、戦場でも効果的な戦力発揮は難しい。
※ 撃破されたレオパルド戦車は曲がりなりにも付近では「マシ」な道路を通行していた(なので乗員はすぐ逃げられた)。この付近ではその後も度々戦いが起きている。マラ・トクマチカ付近で撃破されたレオパルドは4両からOSINTによる特殊作業車も含む16両、24両と幅があり、本当のところは蓋を開いてみないと分からないものになっている。
突破口となったベリカ・ノボロシカから南に続く道路を見ると、ウクライナ軍がここを反撃の糸口に選んだのは当然といえる。ドニプロからは離れており、むしろドネツクの方が近いが、マリウポリまで70キロのザハティブカまでの道路は州道のT道路としては例外的に良質で、装甲車を迅速に走行させることができることがある。そこまでの接続もM4号やH15号がありスムーズだ。航空部隊の反撃で進撃は止まったが、ロシア軍が配置を変更したことで、道路は現在の砲列の射程外にある。
※ この部隊は空挺部隊で通常の部隊よりもスキルも戦闘力も上回っている。駐屯していたのはロシア志願兵のストームZ(不良ロシア人のロシアの半グレ部隊)だが、短時間でことごとく掃討され、全く相手にならなかった。重要な場所にポンコツ部隊を配していることで、この場所に対するロシア参謀の地理的センスも分かる。
アゾフ海を目指すにはまだ遠いが、ロシア軍が後退したことで以前は二方面から圧迫されていたシャフタールに間隙ができ、従来はロシア軍の砲撃下にあった地域が空白になったことがある。そしてM4号線とH15号線という主要幹線道路が近接するこの場所は大部隊の移動と展開に適しており、ザポリージャの砲撃部隊が再展開するよりも速くドネツクやロシア部隊を攻撃することができる。
道路については緒戦で中央管区軍のラピン将軍の部隊がチェルノビリからキーウに下るP56道路に迷い込み、車列を大渋滞させて大量喪失した事件がある。P道路は州道でも高規格道路として整備されていたはずだが、ウクライナ名物の汚職でチェルノビリ以南はほとんど未舗装で、それが64キロにも及ぶ大渋滞の原因になった。
※ ラピン将軍はこのことに懲りて、以降はM1道路を主に使うようになったが、その経験が後のリマンやハリコフの退却戦に役に立ったかどうかは定かではない。その後解任されてしまったので、道路についての彼の知見が生かされる機会はロシア軍ではなくなったものと思われる。
キーウの戦いでも、ロシア軍はドローンをあまり使わなかったが、使っていれば曲がりなりにも大統領府の15キロ手前まで進軍していたことから政府機関の破壊やゼレンスキーの殺害は可能だった可能性があり、この一年間で戦争のやり方は両軍とも改善していることから、ドネツク近郊に展開したウクライナ部隊がキーウのようなやり方でこの都市を攻めるとは限らない。ドネツクはDPRの首都であり、住民がよほどロシア人好きでなければ中枢を破壊することで掌握できる可能性がある。
※ 軍用ドローンの有効距離は榴弾砲の半分のおよそ10~15キロとされる。基本的な構造は民需用と同じだが、通信方法が異なるため飛行距離が長くなっている。
今日のロシア国防省の発表では、こちら側では焦点であるバフムトの戦いは一顧だにされず(地図に記入さえない)、ベリカ・ノボロシカの戦闘も無視されていた。代わりにオリヒウやルガンスクでの大戦果が報告されており、ウクライナが占領したという(ロシアは認めていない)プヤテハスキー村(オリキウの近く)では戦闘ヘリが大活躍して、爆発でひっくり返り、もうもうと煙を上げるウクライナ軍車列をやっつけたことになっている。
※ 前から思っているのだが、ロシア軍は命中すれば撃破で戦果の確認をあまりやってないんじゃないだろうか。重装甲の戦車の天蓋にドローンをぶつけた所で(ウクライナは履帯)旧式のT-64戦車も含め、大破するとはとても思えないのだが、映像だと命中直前で画面が乱れ、煙は上がっても大破したかどうかは分からないものになっている。その点ウクライナ軍はちゃんと死体の数を数えている。
※ 激戦で双方に犠牲者が出ていることは確かである。
いつものことだが、どちらかといえば彼らの願望を具現化したような報告で、オリヒウの南で塹壕戦をやっていることは認めたようなので、要するに以前の線から後退しており、実情は私が書いた図と大差ないと思われる。
追記・情報の判断について
①ザルジニー負傷説について
5月のザルジニー将軍負傷については、その後ウクライナ側から生存の報告があり、学校の記念日や作戦会議に出席している映像が流され、直近の作戦会議の報告もあったことから、負傷はロシアブロガーによる虚報だったと思われる。
当方ですぐに訂正しなかったことについては、将軍は元々情報発信が頻繁でなく、テレグラムは現在も反転攻勢の開始を知らせるイメージビデオの他は更新がないこと。公開されたビデオはファンレターに返信する彼のルーティンワークの場面で、同じような動画は以前に撮ってあった可能性があったこと。最近のゼレンスキーらの報告では作戦会議の軍人筆頭はシルスキーであり、総司令官のザルジニーは不在か出席しても最後に書かれることが多かったことがあり、実はしばらくの間生存説に疑いを持っていた。
ウクライナ支援の反ロシア勢力が活発になったことについても、地上軍を含む全軍を統括する彼の承諾なしにはありえないことで、それまで抑制的であったことから負傷により統御のタガが緩んだと感じたこともある。
訂正を検討したのは先のミサイル攻撃でロシアブロガーからゼレンスキー側近のブダノフが死亡または重傷の虚報が再び流されたことによる。これは明らかに虚報で、すぐに真偽が明らかになったことがあるが、手口が類似しており、この種の虚報は今後も出ることから、将軍についてはこの際訂正しておくことにした。
②オリヒウ付近の戦車戦について
このところの報道ではザポリージャ市南のオリヒウ付近で活発な戦闘が行われている情報が多く、先に挙げたようにレオパルド戦車も数台から二十数台までが同地域で破壊されたことになっているが、これについての判断はこちらは慎重にしている。
理由としては、オリヒウ付近は分厚いロシア要塞線の最正面であり、十分な砲撃の支援なしに戦車を同地に踏み込ませることは考えにくいこと。撃破された場所がマラ・トクマチカ付近の比較的良質な市道であったこと。撃破により叙勲されたロシア兵が地雷設置員の20代の若者で、普段仕掛けない場所に仕掛けた旨の発言をしていたことから、通常はロシアでも道路に地雷は仕掛けないこと。随伴するブラッドレーも含め数珠つなぎに密集して撃破されていることから、それなりの速度で先鋒が地雷に引っかかって急停止しただろうことがあり、言われているような地雷原突破を試みての撃破とは違うと見えたこと。ほか、地雷原の除去を行うなら、その作業は夜間に行うであろうことがあり、真相が明らかになるまでは判断を保留しようと考えた。
むしろ戦車は守備を固めるためにオリヒウから後退するロシア砲兵隊の襲撃もしくは撹乱のために投入され、その過程で地雷や援護に来た戦闘ヘリに撃破されたという見方もでき、道路などに地雷を仕掛けるあたり、5~6日の戦術展開はかなり急なものだったと考えられる。兵員輸送のトラックが随伴していなかったり、同時に投入されたベリカ・ノボロシカの装甲車隊(ほとんど特殊部隊に近い)との均衡からもこれはこの部隊の単独任務で軍を挙げての戦術行動ではないと見えたことがある。マラ・トクマチカ南の市道は村落をつなぐ旧道とは別のバイパス的な道であり、高速移動が企図されていたように見えたことからも、地雷原突破説には疑問を持っている。
ロシア国防省の発表では以降も同じ場所で大激戦が繰り広げられているが、これは彼ら独特の、敵が誘蛾灯に引き寄せられる蛾のごとく最強防備に挑んでやられてくれるだろうという願望をニュース化したもので、見るところベリカ・ノボロシカの攻略とそれに伴うロシア軍後退で要塞の機能はかなり低下したように見えることから、戦略目標をどこに置くかによるが、機能低下が十分であれば、これはわざわざ攻める価値のないものに見える。
付近でザポリージャからメリトポリに向かう道路にはM18号線がある。小泉悠が提示していたMaxtar社の衛星写真にある交差点の近くのプヤテハスキー村はウクライナ軍が占領したという情報があり、またロシア軍により激戦のビデオが公開されているが、これも願望の反映と見える部分があり、攻略自体は後にウクライナも認めたが、これまで見るところ、ウクライナ軍が全力でメリトポリへの最短距離であるこのルートの攻略を狙っているようには現状ではとても見えないことがある。