バフムトを訪れたウクライナ軍のシルスキー中将がロシアの精鋭部隊が東部に移動しているとコメントしたが、軍高官がこのような発言をすることは珍しく、この配置転換はウクライナ軍よりもむしろロシア軍に災いするものになるかもしれない。

※ シルスキーのウクライナ軍での階級は上級大将、この階級が廃止される前の最後の上級大将で、2014年のドンバス紛争でのウクライナ軍司令官でザルジニーの上官である。現在はザルジニーが大将だが先任順だと大将でもシルスキーの方が上官なので、戦いでは上級大将の名誉称号は維持したまま、中将格の司令官として地上軍を統括している。NATOコードでは大将として扱われており、卓越した戦術家として知られるが、階級についてはややこしい人である。

 ウクライナ戦争には主要な戦線であるバフムト、シャハタール(ヴフレダル)、ザポリージャの三軸のほか、リマンとドネツク市周辺のアヴディウカ、マリンカの各正面がある。各戦線の様子は参謀本部の日報で毎日報告されているが、主要三軸のほかは小規模だが有能な部隊がゲリラ的に抗戦を続けている。

 先のBBCの報告でロシア軍の大半が未経験の素人兵であることが明らかになったが、バフムトでプリゴジンが実践したように、そんな兵士でもまとめて突撃させればウクライナ軍を怯ませる戦闘力はある。おそらく何万人もいるであろうザポリージャの要塞も、ウクライナ軍がまとめて掛かってくればリーダーのプロ兵士を中心に銃を取り、要塞の防備も相まって大戦果を挙げることができたかもしれない。

 今のところウクライナ軍は要塞の表面を引っ掻くような攻撃しかしておらず、反撃でレオパルドは壊れたが乗員は脱出して仲間の装甲車で逃げ帰っている。数台の戦車と装甲車だけの「ちゃちい」攻撃にも関わらず、ロシア軍は損害をかなり受けており、多くは不用意に突出したところをドローンに見つけられ、待ち構えていた自走砲やHIMARSに砲撃された結果である。

※ 懸賞制度が吹聴された二回目はさらにひどい結果になった。

 シルスキーの指摘通り、ここで要塞から精鋭部隊が抜き出されれば、正規兵の多くは戦車や装甲車に乗ることから囚人兵たちには車がなくなり、突撃すれば大口径砲の餌食になると良いことはあまりない。戦闘に自信がないのなら、囚人たちは穴蔵に籠もっているより他になく、ヴフレダルの決戦もバフムトの激戦も当座の彼らには何の関係もないものになる。いわゆる引きこもりである。

 ウクライナ軍も戦闘部隊の策源地でない要塞などは避けて通れば良く、背後から補給を断てば要塞兵は飢えて降伏することから、これはロシア軍の上層部が彼ら素人兵を見捨てたと解釈するのがいちばんありそうな話である。少なくともロシアの高官に取っては、囚人兵よりもキンジャールミサイルや戦闘ヘリの方がよほど信用できる存在のようである。そういうわけで前後してベルジャンスクにヘリ部隊を展開したが、到着まで30分以上掛かるヘリコプターは少なくとも彼らを助けるためではないだろう。近くに降ろせば良いというが、ヘリの地上要員にもプロの技術は要る。

 シルスキーが示唆した精鋭部隊はバフムトに向かっているとされるが、幾何学上の理由からヴフレダル付近で南下中のウクライナ軍と会敵することになる。なし崩し的に交戦に入るのか、それともドネツクである程度陣容を整えるかはバフムトなどの戦況を見つつ決めることだが、指揮統制上の理由があり、この部隊でまとまった戦力を構成するには時間が掛かるはずである。ロシア軍は1艦隊4管区制を取るが、損失が大きいことで部隊の組み換えが進められており、それでいて管区制も存続していることから、指揮系統には問題があるはずである。

※バフムト、ヴフレダル、ザポリージャは各々120キロ程度離れた鈍角二等辺三角形を構成しており、その鈍角の頂点に位置するのがヴフレダル。

 指揮はかなり混乱している。一昨日の報告でロシア軍のゴルチャエフ少将がウクライナ南部で戦死したことが明らかになったが、肩書きが第35混成軍の参謀長というこの人物は35軍の「事実上の」司令官だったらしく、本来の司令官はサンチク中将だが、中将は35軍の属する東部軍管区の「事実上の」司令官で出張していた。そうなった理由は先の東部軍管区司令官ムラドフ中将がハリコフの戦いで解任されて以降、後任の司令官が任命されていないことがあったことによる。

※ 編成表では未確認情報として5月からクズメンコ中将が司令官となっているが、ハリコフで負けて11ヶ月後に司令官任命は遅すぎである。着任しているのかどうかさえ怪しく、そのためゴルチャコフの上官があちこちを奔走しており、その間に留守居の参謀長がJADM爆弾の餌食になってしまったことがある。

※ サンチク中将も、他の混成軍も指揮官は同格の中将なので、調整作業はひどくやりにくかったはずである。東部管区軍はバフムトの他、ザポリージャとドンバスにも分散配置されている。

 東部管区軍といえばキエフ侵攻の主力部隊で、チャイコ上級大将の指揮でウクライナ軍をあわや壊滅寸前まで追い詰めたロシアの四大部隊である。指揮下には太平洋艦隊を含み、守備領域だけならロシアでも最大の軍管区で、指揮官は上級大将が定席である。その指揮官が今や中将くんだりの臨時雇いのパートタイマーで、部隊もあちこちに分散していることから、ロシアの管区制は今や有名無実のものになっている。たぶん、今のロシア軍で司令官より偉いのはプーチン直属のGRUの誰かなのだろう。

 反転攻勢が始まって以降、ロシア軍は特殊部隊を使ってダムを壊したり、巡航ミサイルで都市を攻撃したりとハードウェア依存の戦闘方法が目立つ。ミサイルは相変わらず不発弾が多いが、置き去りにした囚人兵の見張りには戦闘ヘリと人間よりも機械を盲信する傾向がますます強いものになっている。

 ここで巨大要塞に突撃するはずが、思わぬ場所でドタバタの様相を呈してきたウクライナ戦争を見て、アメリカ以下の支援国はどう思っているだろうか。彼らの目論見ではゼレンスキーらに懇切丁寧に親切にしてやったことで、人の良いウクライナ兵が決死の覚悟で要塞と戦い、満身創痍の血みどろでアゾフ海に進出したら、ごほうびの一つでもやろうという意識だったかもしれない。

 連中の不安を表す記事として、一年も見ているとこういう記事が出てくることは読まなくても分かるのだが、「敗北から学ぶロシア、戦術の変更」という今朝のNYタイムズの記事がある。これを読むとロシア軍は学習してよりしたたかになった印象があるが、読んでいくとワグナー礼賛の怪しい記事で、ウクライナにあまり勝って欲しくないという彼らの深層心理も分かる内容である。

 同日のロシア国防省の報告に、ショイグ国防相がアルマータ戦車を製造している工場と武器保管所を視察している映像があった。戦車はともかく保管所の方はこれは博物館の展示物かと思わせる60年代の自動車エンジンを工員が修理しており、どう見ても役に立ちそうにない50年代の対戦車砲が整備されて屋外にズラリと並んでおり、その他の武器も古そうで、振動も騒音も大きなレストアされたトラックに乗り込んだ国防相は1分もしないうちに「もういい」という顔で車を降りていた。武器も規格が違い、長年の腐食で金属も劣化していることから、これらは持ち込んだ所で統一して運用できるかどうかも明らかでない。

 アルマータは10年前の戦車で、ラインメタル社はもっと強力なパンター戦車をウクライナで生産する計画を提示している。戦場に登場するのは早くて3年後だが、アルマータより強力な主砲と装甲を積み、全自動制御のドローン対空砲を備え、電子装備のレベルも格段に違うこの戦車を見せつけられると、ロシアは開戦時には軍事予算の総額でドイツに追い越されていたこともあって、そもそも戦争を仕掛けたのが間違いだったと思わせる。

 親切なNATOは会合で戦後ウクライナの道路網整備計画を開陳したが、目的が戦車や装甲車を迅速に移動してロシアに二度と侵略させないようにすることであることは明白で、その点でもこの戦争は長引いて良いことはないものになっている。

 ロシアにも精鋭部隊は確かに存在するが、その数は少なく、今や彼らのみがロシア軍といった様相である。思ったよりも早く動き出したので、引きずり出して撃破したいのは山々であるが、そうは問屋が卸さないかもしれない。半月前のヘルソンから侵攻してクリミア解放といった作戦も、今やあまり重要なものではなくなっている。この部隊を捕捉して撃滅すれば、クリミアではなくドネツクを陥落させることができ、ついでにルハンシクも下せることから(クリミアは当然手に入る)、戦争の終結は当初の想定とはまるで違ったものになる可能性が高い。

 

 この戦争でウクライナに勝利の芽が見えてきた時、クリミア半島を奪取して交渉すればロシア軍を追い払い、有利な条件で戦争を終結できるとは思っていた。が、同様の効果があれば手段は他でも良いのであり、戦況はまだまだ予断を許さないが、思わぬことが今後も起こりそうな気がしている。