先に戦車提供の条件として欧米が攻撃方向の変更を求めたことは大きな影響があると書いたが、そういう仮説を基に報道を見ると、ロシア側の動揺はそれなりのようである。以下は報道の抜粋。

 

「ウクライナと西側の同盟国が、南部クリミア半島と東部ドンバス地方からロシアを駆逐する見込みは低い。一方のロシアも、ウクライナを降伏に追い込めそうにない(ジェフリー・サックス)。」

「ロシアのメドベージェフ前大統領は4日に公表された政権に近いジャーナリストへのインタビューで、クリミア半島がロケット弾で攻撃されれば、「ウクライナ全土が炎に包まれることになるだろう」と警告しました。」

 

 この戦争はきちんと参謀教育を受けた軍事プロフェッショナルなら、ああいう形で開戦しなかったし、戦争そのものも避けただろうと思えた節が多々あるが、ロシアの戦争を主導しているのは軍部や政治家ではなく諜報機関である。なので、軍事や政治のプロフェッショナルなら犯さないような心理的陥穽、ミスを犯す場合がある。経済学者のサックスの言い分はなぜ駆逐が難しいのかの説明になっていないし、メドベージェフはウクライナも含めどこの国もクリミア半島に進攻するとは言ってもいないのに、わざわざ名指しして警告している。ほか、我が国にはこんな意見もある。ヒステリックな反応はFSBの面目躍如である。

 

 

「ウクライナは『武器供与を止められたら我々は滅びる』と言っている。一方で、武器を供与すれば、戦争がエスカレーションして、もっと広がる可能性もある。どちらを選ぶべきか、非常に難しい。これは抱き合わせだが、もし仮にアメリカが動いて、なんとか妥協点を見つけようとするなら、武器供与を止めない限り、ロシアは決して聞く耳を持たないだろう(亀山)」

 

 ウクライナでロシア軍が犯した蛮行の数々を見れば、この意見に耳を貸す者はいないだろうが、亀山氏も外交専門家でありながらブダペスト覚書(1994年)を無視している。英米、特に英国がウクライナに肩入れするのは核廃棄の見返りに同国がウクライナを保護することを約したからである。この覚書に法的義務はないが、情勢をトータルに見れば侵攻した場合に英米が介入することは容易に予見できたこと。

 

 正式な条約でない、覚書や口約束を軽視するのは企業家や諜報部の役員どもで、トヨタやデンソーが下請けにした約束なら担当者が変われば簡単に反故にするだろうし、スパイ組織も似たようなものだろう。が、政治家や軍人が一度交わされた約束を軽視することはありえない。前者は外交遊泳術の当然のスキルとして、後者は法規命令絶対の暴力装置として。諜報部主導のロシアとしては、実際に侵攻して介入されてしまった以上、考えそうなのが言い逃れである。

 

 

 NATO東方不拡大は30年前に当時のゴルバチョフ大統領がベーカー国務長官と交わした口約束だが、反故にされていることをプーチンは戦争の前から再三再四主張している。国際法の観点では、この口約束とブダペスト覚書は等価のものであり、これを強調することでプーチンは英米のウクライナ保護義務を免責しようとしたようだ。こういう論法は諜報部特有のもので、「確かに俺は悪い。だが、お前だって悪いだろ」と述べ立てて真の問題から目を逸らすものである。もちろん通用しなかったし、NATOに加入した旧ソ連衛星国やトルコはブリュッセルの勧誘ではなく自発的意思で加盟を希望したのである。

 

 話を戻すと、ワシントンのシンクタンクが思いつきでクリミア半島に打ち込んだ楔は思った以上にロシアの指導者に動揺を与えているようである。とりあえず現時点での見立てとして(外れることもある)、ロシアの戦争指導者の今の状況をまとめると以下のようになる。

 

1.クリミア半島の失陥は、ロシアの指導者に現実的な恐怖として意識されている。

→ウクライナ軍を東部戦線に拘束、南部転換阻止。

2.NATOはブダペスト覚書を自己都合で解釈して介入しているが、その実、いつでも撤収できる立場であると自己催眠している。

→外交交渉(説得)の余地、兵器供給の停止を持ち掛けるなど。

3.根本的な原因としての指導者の現代立憲民主主義制度への無理解と誤解。

→いろいろありすぎるので詳述しない。

 

 1~3のうち、今すぐ利用できそうなのはやはり1で、ここで開いた傷口をより拡げてロシアを戦争継続不能に追い込むのが採るべき戦略と思われるが、具体的にはどんなものがあるか、それを考えるのは別の機会にしたい。

 

(了)