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鬼平犯科帳ファイナル、二夜連続での放送でした、ここ最近満足なドラマとか特に時代劇などは満足なものがないので、大変楽しみ見させていただきました。
ドラマとかは、活字離れが甚だしく、今や東大生でもマンガ。
マンガは世界に誇れる日本の文化であるし、特に問題はないとは思うのですが、マンガで育った作家さんが書くものは、内容がマンガなように思います。
以前は、よく、行間を読む何てことを言いましたが、あまりマンガには行間は通用しないのかも知れませんな、ま、年を取ったってことか。
松本清張の作品を原作にしても、ドラマはとなると全くの別人が書いたような仕上がりに。
で、鬼平、高齢になった出演者、滑舌とか、セリフのタイミングとかが限界なんでしょうか、もうこのタイミングでしか役者が揃わないだろうし、ファイナルなのがうなずけます。
劇中に出てくる剣の達人、五味康介とか藤沢周平などの表現とかでは、文字表現であっても凄みを感じるのですがネ
一瞬で恐怖を感じる、いわゆる殺気、これも死語になっちゃったのか
日本刀の刃の部分が身体に入り込む冷たい感触とか、その男は懐に刃物を吞んでいた、暗がりでもそれとわかる殺気を感じて、思わず背筋が凍りような冷たさを感じた、とかの表現が超リアルに感じたんだけど、出演者には申し訳ないが、悪役で登場しても優しい顔をしてるので、恐怖を感じられないのである。
多岐川さん演じる鬼平の妻、久栄、かなり肝の据わった奥様ですが、鬼平から刀を預かるシーンで素手で鞘を触ってますがそれおかしい。
何十年も前は、武士の二本差し、大刀と小刀を腰に差していても動作は完璧、刀が据って、板についてたけど、最近の時代劇は刀が軽いのか、歩くたびにプラプラ刀が動いてみっともない。
ですが、自分で二本手挟んで歩いてみたらまともに歩けない、そんな中での演技なのだから仕方がないといえば仕方ないんだろうな。
そんな視点から時代劇を見てみるのも興味深いです。
エンドロールで、心太を食べているシーンがありますが、二本の箸でそばを食べるように食べてました、もともと心太って、葛切りと同列のお菓子なんで、お菓子はお箸でなく楊枝で食べるのもの、楊枝でなく箸を使う場合でも一本箸で食べるのが本当だと記憶しております。
でも、ジプシーキングのインスピレーション、時代劇にジプシーキングは合わないだろうと感じてましたが、もはや鬼平といえばジプシーキング、見事です!
こんなこと書いて、いったいあなたは何様。
ま、メイド喫茶などではご主人様とか呼ばれてますけどねーー