日本一の饅頭屋 | 徒然なる

徒然なる

以前は(現在、私は幸せを引き寄せている最中です。そしてそれは、かなりいいところまで来ています。)

現在は、私は引き続き幸せを引き寄せ続けている最中です。
それは今まで気がつかなかっただけで、幸せはいつも身近にあるのでした。

本日も、当ブログをご覧頂きましてありがとうございます。


近所に焼きそば屋が出来た、なぜか食べてみようとは思えない、なぜ許せないんだろう?

ま、私ごときが食べる食べないを言っても痛くも痒くもないのでしょうが、たわ言なんですけどね。

写真は、「石田屋」さんのミックス。(私は、肉野菜がお気に入り)


松下幸之助の日本一の饅頭屋徒然なる
私の店は、どこの饅頭屋よりも美味しいと思います、それななぜかって、私は店が暇な時とか休みに日には色々な饅頭屋の饅頭を食べ歩くようにしています。これも、仕事のうちだと思って続けています。
そこで食べた饅頭と自分の店の饅頭と比べて、少しでもうまいと感じる饅頭があると、早速自分の店の饅頭の作り方を工夫して美味しくなるように研究してます。


わが町は、餃子の街から今度は焼きそばの街なんだって、何かこの宣伝文句に踊らされて、それに便乗して人が来るだろうと店を出したのではないかと懐疑的になったからなのだろうか。


焼きそばという簡単といってしまえば簡単な料理なのだが、以前に自分も同じ材料、麺は同じ製麺所のもの、ソースはお店から分けてもらって作ったことがあるが、何度作っても同じような味にはならなかった。

いろいろ考えて試したが、結局、経験だろ言うと言うことで落ち着いた。

たまに、数食作るのと、毎日毎日何十年も作り続けている店の味と、確かに材料やレシピは同じでも、同じ味になろうはずが無い。結局、これが結論だった。


餃子もそうだ、もう何十年も前になるが、まだ、わが街が餃子の街と紹介される前の話。

有名な餃子屋さんの前を通ると、店のお母さんが、来る日も来る日も、毎日毎日一生懸命に餃子を包んでいるのを見ていた。子供心にも、大変だなと思った覚えがある。

そのような事が、結果的に、餃子の街として紹介されるようになったのであろう、その時の餃子の味は決して、旨くも無い便乗組みの今の餃子の味ではない。


新しく出来た、焼くそば屋さんでは、店主が店の中に立ってお客を待っている、お客を待つのではなく、厨房で味を工夫する努力こそ重用なのではと思って店の前を通る。

自分と同じように、「どうなのだろうか?」と観察している人も多いのではないか、人が入っているようなら美味しいに違いない、人が居ないと言うことはそれほど美味しくは無いのではないかという目を持って。

さらにちょっとと思うのは、近くにももう何十年もやっている焼きそば屋があるのである、店主は、それを知っていたのであろうか、多分経験と言うことでは勝負にならないと思うが。


鳥のから揚げ
最近、鳥のから揚げを出していた店が、店を閉じた。店主が、「何年も味を研究したが結局モノにならなかった」と話していたのを思い出した。


自己報酬
他人からの報酬を期待するのではなく、自分で自分に報酬を出す。判断を他人に任せるのではなく、自分の基準で判断するということでもある。

最近、そこの焼きそばを食べたと言う人に有った、味はとたずねると、美味しいそうである。

今度ランチタイムにそこでご一緒に食べてみようと言うことになった、味は人それぞれだ。


なので、自分で判断するのが良い。その機会を得たのは、何か不思議な気持ちだ。