「日本人だからって、日本語が分かるわけじゃないよ」
「お客さんだって、分からない人、多いよ」
「私たち、難しい言葉、辞書で調るでショ」
「日本人のお客さん、調べないね」
「あなたの言葉は、難しい、日本人でもわからないよ」
フィリピンパブのアイリンのお言葉
ものすごく残念な話なんだけど、今のリスナーっていわゆる文学的な比喩を含んだ歌詞とかを理解できないんだって。
好みじゃないとか流行じゃないとかでなくて、本当に意味が理解できないらしい。
例えば「汽車を待つ君の横で僕は、時計を気にしてる・・・」
なんてのが、初春の別れの日の情景を切り取ったものだということが読み取れないわけ。
「去年よりずっときれいになった」なんて言われても、それが別れとどう繋がるのすら理解できない。
だから「二人は今日でお別れだね、まだ好きなんだけどしょうがないよね、いままでありがと、でも好きだよ」とか
なんの捻りもないというか、捻りを入れない歌詞にせざるを得ないらしい。
本が良いのは、その物理性そのものが読者選別の障壁となっている点です。
本屋に行けば誰でも手に取ることができても、それを実際に手にする人は限られている。
しかし、インターネットにおける文章は、うっかりクリックしてやって来た、想定するよりはるかに読解力の低い人が読む可能性がある。
そうした人達には行間を読んでくれという思いはまず伝わらず、文字通りに読み取られることさえ叶わない。
そうした人達は読解力のなさに無自覚であるし、間違いを発見するスペシャリストなのだと勘違いしていることさえある。
そうしたいわばモンスター・コメンテーター、モンスター・ブックマーカーのおかげで、書き手は誤読の恐れがある気の効いた表現を控え、予防線を増やして冗長な文を書くようになる。
こうした流れが、インターネットにおける文章の質を低下させている。
今なお簡潔で面白い文章を書いている人は偉大である。