件題の『「である」ことと「する」こと』と「つぎつぎとなりゆくいきおひ」は、戦後日本の政治思想家である丸山眞男が提唱した概念である。

 

まず、丸山眞男が誰かということについて話そう。

彼は、東京で生まれ、学生時代にマルクス主義のサークルに参加して当時の特高に捕まった後、東大に進学した。しかし、研究者としての生活を歩もうとしていた齢30にして戦況の悪化から徴兵を食らい、平壌で無学な下士官などから不条理な暴力を受ける日々を過ごし、広島で被爆して終戦を迎えた。

戦後、東大に復学し教授にまでなり、『超国家主義の論理と心理』という本を上梓して日本の軍国主義・ファシズム化について「無責任の体系」という日本独自のなぁなぁの精神に根源を求めた。

その後、サンフランシスコ平和条約で全面講和を主張したり安保法案に反対するなど、戦後民主主義の進歩派知識人としてのロールモデルとなり、リベラル思想の中核となる学説を発表した。

しかし、安保法案の賛否は当時の学生運動の潮流に呑まれ、過激化した学生は丸山ではない思想的基盤を求めた。マルクス・レーニン主義の独自解釈、そして戦後最大の思想家にして大衆礼賛主義者である吉本隆明の『集団幻想論』(組織や国家など集団が作り出す幻想に過ぎないという社会唯名論的な論)などに感化されていった。

その結果、学生運動は正義を持たぬ知性主義の虚像として大学の解体を主張し、傍観主義の鼻持ちならないリベラルエリート・インテリ貴族として丸山眞男を徹底的に糾弾した。

しかし、大衆やエリートの反対虚しく、安保条約は批准され次の衆院選では自民党が大勝した。

それ以後、丸山は1971年に東大を定年退職し、政治的発言からは遠ざかっていった。それと同時に政治的主張も少なくなっていった。なお、その後のベトナム戦争反対運動などは友人であった鶴見俊輔が中心となっている。

混迷極める1995年の8月15日、日本を憂いながら彼は亡くなった。

 

このように偉人でありながら、とにかく批判を受けることの多い人物であり、右からも左からも叩きに叩かれ、現代の政治思想家も「西洋的な考えに依拠しすぎ」「日本のマルクスになろうとして、薄っぺらい大風呂敷を広げただけ」などといったような批判を繰り広げ、継承しつつも乗り越えを模索している。

生前、批判に対し真正面から答えることはあまりなく、また向坂逸郎のように社会党に接近することもなく、傍観者的な姿勢は共産党からも叩かれていた。そして、90年代以降の「新しい歴史教科書を作る会」などは自虐史観を構成したとして丸山思想史学を悪魔の思想かのように喧伝した。

 

そんな彼だが、コロナ禍で再評価が進んだ節がある。

急激な社会混乱に対して対応が後手後手に回った政府、批判ばかりの野党。不満があってもSNSにしか書かず、声も上げずにマスクをして歩く国民。まさに無責任の体系そのものであった。

 

さて、本題に入ろう。私は丸山を政治思想家としてよりも、日本思想史家として捉えている(しかし、明治維新以前の日本には思想というものが存在しなかったという視点はあまり受け入れられない)。

そんな日本思想家としての本領を発揮した1961の著『日本の思想』の一節で『「である」ことと「する」こと』という概念が提示される。少し年の人なら、中高の現代文で読んだ人もいるはずだ。

 

簡単に言うと、

近代以前の日本では生まれた瞬間に「○○である」という運命が定められていた。武家に生まれたなら武士、農家に生まれたら農民といったように。しかし、明治以降は、階級制度が華族・士族といったように変化し、「○○である」ことにプラスアルファとして実績・能力が求められた。それらを示すには主体的な行動、つまり「する」ことが重要なのである。

といったような感じだ。

 

そして、表向きは階級制度がなくなった現代日本においても「蛙の子は蛙」という文化は集合無意識レベルに存在している。

例えば、開業医の家に生まれた子供の多くは医院を継ぐ医者となるべく、必死に中学受験をし、名門中学に入った後は来たる医学部入試に備えて予備校通いとなる。

また、名家に生まれたお嬢様は、同じく釣り合いの取れた名家のボンボンと結婚できるようにと、日常生活では常にマナーを求められ、高尚な趣味・教養の為に習い事をさせられ、「性的魅力」と「性的体験の少なさ(またはないこと)」という二律背反的な女性像を求められる。

 

こうしたことは西洋でも事象として見られており、

社会学者のブルデューは「蛙の子は蛙」を「文化資本の階級間再生産」という概念で括り、経済学者のトマ・ピケティは「将来的に親よりも稼ぐ子供は少ない」という現実を分析した。

 

話は戻るが、現代日本は「する」ことが重視され、その積み重ねで○○に「なる」(○○「である」状態)ように社会変動を起こした。

実際、私は家電販売員としての技量を示す家電製品アドバイザーという合格率30%くらいの民間資格を持っているが、家電量販店のアルバイトでお客様に何人も何人もお声掛けし、説明・販売することを繰り返しバイト外で参考書を昼夜問わず読むことでこの資格を手に入れ、名刺に「家電製品アドバイザー」であることを明記できるようになった。

 

現代日本社会の病理は「してきた」(「する」の過去形)ことと現在、自分が○○「である」のギャップが人々に認知的不協和を起こしている点が一つの例として挙げられる。

必死に仕事をしても社長にはなれず、それどころか出世すらできない。社長が変わったかと思えば、どこぞの大手企業にコネ入社して下積みを経験して中途入社してきた年下の社長子息であるといったように。その不満をぶつけたいのであれば、転職するかクーデターを起こすかしかないが、主体的に「する」ことをはなから諦めてかかっている。

不満の吐け口はSNSだ。認知的不協和の解消として思いついたのは「運命決定論」。社長の家に生まれたら社長に生まれた環境で運命が決定するといった具合に諦めに理論的意味づけを行う。

結局、「○○である」ということが主体的に選べず、そもそも環境で決定づけられていることは現代における階級制であり、ブルデュ―がいう「文化資本の階級間再生産」は根強く、SNSでも「親ガチャ」という言葉が散見される。

 

そして、社会病理の2つ目の例。「である」ことを成し遂げてしまったら「する」ことを放棄する者も現れるということ。

大学院の学生は皆、日々、必死で研究を続けている。特に博士課程の学生さんは三度の飯や性的興奮よりも研究が好きではないかとすら思える。

そんな彼らの目標の最上級は研究者として認められること、そしてその先はすなわち大学教授「になる」ことだろう。

しかし、博士号を取り研究者の端くれになっても、研究を「する」ことの繰り返しで非常勤講師の声すらかからない。いわゆるオーバードクターの社会問題である。

あわよくば大学教授になっても、「研究」「講義」「社会貢献」の三つが求められる。教授と一言でいっても、丸山眞男のように全てを並立できる者はそうそういない。

とすれば、どれか一つ、ないしは二つを「する」ことを放棄せざるを得ない。researchermapを見ても、教授昇格後にこれといった業績が見当たらない者も非常に多い。

オーバードクターは、そうした勝利者の駒として使い潰され、最終的には「頭でっかちで何もできない人」として社会のお荷物と「なり」、主体的に「する」ことを放棄してしまう。

研究者から打って変わって自民党の政治家を例えとして出すと、彼らの最終目標は大臣になること。大臣になる条件は一概ではないが、「選挙で強いこと」「政治的知識・見識が確かであること」によって年功序列の派閥人事で自身の名前が浮上する日を待って、国会の休みには老人しかいない地方へ還って頭をペコペコさせながら握手をし、陳情を受ける。そして、本部での代議士会・派閥会合で積極的に利権を勝ち取ろうとする。

しかし、大臣になっても某小泉進次郎のように意味不明なことばかり言うわ、収賄や不倫疑惑が現れるわ、増税ばかりするわで、国民に期待される政策を「する」ことはなく、全て官僚のパペットに「なる」わけである。

 

社会病理の3つ目。「する」ことなく「である」ことを望む人間の存在である。

チー牛・インセルと呼ばれる弱者男性の例にしよう。彼らは自らの意思に反して、不本意に禁欲を強いられている童貞であり、彼女いない歴と年齢が同じである。

彼らは何故、自分が弱者男性であるのかということについて考え、脱却したいと思う。しかし、脱却しない。彼らの言い分を聞いていると「脱却できない」のである。

何故なら、社会は男性も女性も望むことは何でもできる強者によって支配されているのであって、自分たちのレジスタンスは意味を持たないのだという。しかし、よくよく話を聞いてみると主体的に「する」ことが欠けている。

恋愛をしたいのであれば、髪型を変えたり髪色を変えるといったよう外見に清潔感を持たせるよう努めたり、その上で女性に話しかけ、失敗しても「星はいくらでもある。数撃てば当たる」という精神で、また突撃する。

童貞を捨てたいのであれば尚、簡単なことであろう。フェミニストの方は怒らないで欲しい、これは男性学の論理だ。そこそこ高いが、金を払って風俗に行けばいい。何故、それをしないで性経験のある自分に「なる」ことを望むのか?

強者の支配という絶対的運命論にこだわっている理由は、「何もしない自分である」ことを正当化する理論であるからだ。

「する」ことを放棄して、「○○になる」ことに願望を抱くのは運命に身を委ねる諦めの境地なのである。

ライトノベルで転生したら○○になっていたというストーリーのものが流行るのも、この心理に対して夢想を提供するからではないかと思うが、本題と逸れるので一見解として聞き過ごして欲しい。

 

「なる」ことに身を委ねるという日本人の集合精神について、丸山眞男は「つぎつぎとなりゆくいきおひ」という概念で説明している。

一言で言えば、日本人の発想の根底には、人間の意思よりも物事のなりゆき、筋道や道理よりもその場の勢いを重んじる傾向があるというものだ。

丸山は政治思想家であったので、この概念で日本の軍国主義化を説明した。それは、人々が主体性を持たないことにより無責任になり、その場の勢いで第二次世界大戦期には国家総動員のファシズムへと「なって」しまったという具合だ。

その傾向は、戦後になっても続き、ここ2000年代になると小泉旋風→民主党旋風→橋下旋風→安倍晋三への熱狂といったポピュリズムにも反映されている。その場の勢いで次々と強権的な政治権力になっては姿や顔を矢継ぎ早に変えている。

 

「つぎつぎとなりゆくいきおひ」が社会でどうなっているかということについて、少し捻った例を出そうと思う。

東京ディズニーシーのインディ・ジョーンズのアトラクションを想起して欲しい。

この爆走する車を社会、乗客を社会構成員(国民)、そして運転手を気分変調症の人工知能(政治権力、国家の運営者)として捉えてもらいたい。

最初は「若さの泉」なるものを求める為に勢いのまま走り出すが、神殿の守り神クリスタル・スカルの怒りに触れた瞬間、その呪いから無責任に逃げるべく人工知能はパニックになり、車は暴走し、乗客は狂乱する。

ステージが変わる事に呪いは種類を変え、その度、人工知能の情緒も変動し、運転の雑さは急ブレーキの多いもの、横の振れ幅が大きいもの、スピードが出過ぎたものへと次々となってゆく。その度、乗客の狂乱もステージに合わさったものへと変化していく。

 

アトラクションには終わりがあるが、現実の社会に終わりなど来ない。

日本は大乗仏教の伝来の地であるから、信ずる者は全て救われるの精神から、タダ乗りする者(社会学でいうところのフリーライダー)が多いのではないか。これは丸山眞男が見落とした点である。

丸山は、記紀神話における歴史認識の特殊性に「つぎつぎとなりゆくいきおひ」を見出した。天地開闢→国生み→天孫降臨→神武東征…という時間の流れの中で、系譜的な連続性というものを強調している。

 

人々は主体的な行動を「する」ことを避け、巨大な流れに乗っかって自分を何者かにならしめようとしている。

新卒の学生は4年生になると手あたり次第に勢いのまま決めた業界の諸企業を次々と受けてゆく。「何故、起業しようとしないのか?」と聞けば、呆れた答えが返ってきた「友人が起業したら行きます!」。

他力本願的な生産性の低いフリーライダーの多過ぎというのが日本社会の病理になっており、とくにこの30年間は経済成長が鈍化している。かつてのような勢いは今の日本経済にはない。

戦後の経済成長は戦争という激しさを知っている者が多く、「焼け跡からビル群へ」という集団意識により勢いのまま軍事戦争から内外への経済戦争へと闘争本能をシフトした。このことは『不毛地帯』という小説を読めばよく分かる。

 

しかし、闘争本能を挫かれたことが成長鈍化の原因ではなかろうか。

「つぎつぎとなりゆくいきおひ」は、平成初期の就職難の時期にフリーライダーの大量生産を生み、「つぎつぎとなりゆくけだるさ」へと変貌したと言えるだろう。

 

 

以上、丸山眞男の思想を基に日本社会の病理解釈を試みた。

かつて「丸山眞男をひっぱたきたい」という論稿が出て、軍隊生活で知的エリートの丸山が無学な下士官に殴られたように、弱者男性がエリートにルサンチマンをぶつける革命として氷河期世代は戦争を求めるべきだと訴え、物議を醸したことがあったが、

闘争本能を失った日本人にはもう戦争はムリだ。この心にぽっかりと空いた穴のような絶望感を満たす道具としてSNSが手元にある。

現代はSNSでのレスバとマウンティングだけが、革命と戦争を否定する日本人に残った唯一の闘争本能の発散場となっている。