果たしてこの世界は本物なのだろうか?

そもそも存在しているのだろうか?

 

最近、自分以外の全ては虚像のNPCで、自分がプレイヤーになっていて、自分とこの世界ひいては宇宙、それらは何者かに操られているゲームなんじゃないかと思うようになってきた。

いわばシミュレーション仮設のようなものか。

 

我々がいる世界は一つの物語で、最初から最後までもう既に決まってる。一人の作家が思い描いた想像(創造)。

作者、いわば高次元のプレゼンターによって運命を仕組まれたラジコンである我々はいかなる努力をしようと世界に抗うことは出来ない。

自ら考えて動いていると認識しているのは全て思い込みに過ぎず、アカシックレコードに書かれた通りにプレゼンターによって動かされている。

 

子どものころにスーパーマリオワールドというゲームでよく遊んだ。マリオワールドにおけるプレーヤーは他ならぬ自分。クリボー・クッパ・キノピオ・ピーチ姫といった存在が他者。ゲームのシナリオは勇者マリオが敵に立ち向かい、クッパを倒しピーチ姫を救う。

 

我々が今いるこの世界で我々は皆がマリオになっている。そして他者をモブキャラ・自分以外の何かに設定している。そして、他者との関係性の中で敵味方など判別して考える。

しかし、皆がそれぞれの物語の主人公だ。

我々が辿り着く結末はいったい何なのだろうか?

そんなことを考えていると俺を眺めながらプレゼンターはほくそ笑んでいるのだろう。

 

プレゼンターは、グノーシス主義的なアイオーンというところか。

偽りの低級神によって作られたこの悪の世界。しかし、上位にいる存在が必ずしも善であるとは限らない。

 

だが、システムには必ずバグがある。

アカシックレコード的なこの世は、永遠に回り続けるビデオテープみたいなもの。

常に録画されていて常にそのテープに、今という瞬間を過去の上から重ね録りされているのだ。テープが一回りする周期がどのくらいかは分からないが。

生物学的に人間の身体は微弱な電気で動いてるもので普段は微弱だが精神的・心理的に何か強い思いが――つまり怒りや憎しみ。いわゆるマイナスエネルギーが強ければ強いほど、微弱だった電気が強力な何かになり、時にそれが場所や空間に感情の痕跡を残すことがある。

感情の痕跡が深く刻まれると重ね録りしても消えない。

たまに重ね録りしたビデオテープ再生すれば、前の映像がうっすら映ってたり音が残ってたりすることがたまにあるだろう。

霊や超常現象の正体はそれだ。いわゆる魂や怨念なんかの正体である。

こうしたバグが人間の目を醒ますことになることもある。

 

バグによってこの世界のどこかにある井次元に繋がる扉が開けば、そこは我々の真の生きる世界か死すべき世界か。

いや、もしかしたらそこには何もなくて、我々は想像もしない力によってプログラムされているのかもしれない。

それは想像よりも闇が深いと言うことだ。