夏季休講期間に入って、それと同時に体調不良を起こし自宅隔離を命じられた(コロナ陽性ではなかったが)。

変な風邪はただの風邪ではなかった。38~39の高熱、頭痛、倦怠感、咳、味覚障害と来れば誰でも即座にアレを疑うのは当然だ。

まぁ、一回目のワクチンを打っていたし大したことはないであろうと思っていたが、その通りで今やピンピンしている。

しかし、隔離期間中は1週間ちょいずっと家にいて退屈であった。やることは小説執筆くらいしかないから、ずっとパソコンに向かっているといつのまにか史上最大の大作が爆誕した。そのタイトルは『ヨシオカアツシvs宇宙人』。74000文字という圧巻の文字数は合評会をする側も大変であろう。

 

内容としては、善岡敦志という作家と彼に関わる謎の女性ミューズを巡る話なのだが、段々と尾ひれがついて世界の真相、来るべき終末、全人類の一元化による完全生命の誕生といった形而上学的な命題からオカルティズムまで扱ったものとなった。それもそのはず最近、アマゾンプライムで公開されたシン・エヴァンゲリオンからヒントを多く得たのも一因であろう。話の核となる人類補完計画。知恵を持つが故、群体であるが故、行き詰ったできそこないの人類が単一生命体へと昇華する壮大な計画なのだが、2045年の技術的特異点(シンギュラリティ)によって完遂できると考えたこと、そしてそれに西方グノーシス主義・反出生主義をミックスさせた(エヴァにおける作品観にも影響を与えたとされる)。

グノーシス主義は反宇宙的二元論という思考を持っており、大まかに言うと物質世界と霊的世界に二分されると考えた。物質世界を作りし神は実は低級の神もしくはあくまであり、それ故、今我々が生きている世界は悪や不幸で満ち溢れているというのだ。ここで物質世界は現実世界(リアリティー)として、霊的世界は想像・虚構・妄想でできた精神世界(イマジナリー)として捉えればよい。

現実は誰しもがFPS視点で生きている。つまりそこでは誰もが自分の織り成す物語の主人公であり王である(唯我論ともいう)。だが、精神世界においては世界の構造も行く末もそこに点在する人々も全てを操ることが出来る神である。イマジナリーの世界に飛び込めば、引きこもりへの道でもありイマジナリーをリアルに持ってこようとすると往々にしてそれはカルト宗教の自称救世主のようになってしまう、まるでリリンの王碇ゲンドウの如く。神と王の住み分けが必要なのだ。想像を生業とする小説家・善岡を通して宇宙人であり女神であるミューズを通じてそのことを訴えた。

神と王という二元論に対して、現実と想像、それに加え創造と破壊。全ての二元論を重ねて世界の理について問いただす。現実世界で神となれば終局と始まりの扉を開く人類補完計画が可能となり、想像の世界で王となれば暴君として破壊と破滅へと向かい(かのナポレオンやヒトラーの如く)未来を自らの手でぶち壊すことになる。VRやオンラインゲームが発展した高度情報化社会である現代、さらなる進化を続ければ現実と虚構の線引きが曖昧になって自らの存在を意識できなくなる人々が増えるであろう。そうなれば、彼らはおとなしく補完されることを避けられなくなる。それはアディショナル・インパクトのような形で。

 

話は反出生主義へと移る。人生が不幸だ。そう思う人は多くないだろうか?

人間は誰しも生き辛さを抱えて生きているから当然だ。思い通りにいく人生など面白くもなんともない。

しかし、不幸なのは上記で述べたような悪魔に作られた世界に生まれてしまったが故のものであり、生まれなければ不幸にならなかったという極論が反出生主義である。それだけにとどまらず、広く考えれば性行為などによって親のエゴによって作り出された生命であることが生まれながらにして持つ人間の原罪であると。とすれば、子供を生まないことが不幸の再生産を防ぐ唯一の手段であり、それで人類が120年~200年のスパンをかけて段階的に滅亡へと向かえばいいというものだ。

決して反出生主義は希死念慮と同義ではなく、自殺を奨励している思想ではない。しかし、人の生き辛さはそれがその人の心のどのくらいの割合を占めているかが問題なのだ。スパイスからブートジョロキアに変わってしまっているとそれはもうキェルケゴールの言うところの死に至る病である。アランの幸福論でも言われていることだ。

 

生まれなければよかった生命というのは全人類のことであり、生まれる前の状態に返すか、人と人を隔てるものが逆に人を強く結びつけることに気付くかの二つの道を選ばなければならない。善岡敦志とミューズは互いに理解する努力をしながら傷つけあい愛し合い、未来を探っていく。今、コロナ禍で生きる意味や自分の価値に疑問を抱いている読者にもこれらの問いを作品を通して訴えかけた。

 

そんな小難し話を書けたことがこの自宅待機中とお盆の成果だった。しかし、そんなことをしている余裕はない。この緊急事態宣言の夏休みの内に修士論文のテーマ確立・前半作成と先行調査、文献収集を行わなければならないが、まったく手をつけていない。世界が滅びることなど気にしているほど俺はヒマではないのだ。