トランプ大統領が2016年に当選した。彼はネットを駆使した選挙戦術で国民の不満と熱狂をあおるポピュリズムを武器とした。また、大統領就任後に大統領令を乱発する、議会と激しく対立する、ツイッターで放言をしまくるといったお騒がせ大統領であった。

 

それからさかのぼること2008年。鹿児島県の小さな港町である阿久根市でこのトランプ氏を思わせる一人の市長がすい星のごとく現れた。

彼の名は竹原信一。防衛大学出身のエリート幹部自衛官であった彼は、退官後地元で家業を継いだ名の知れた名士であった。

 

まず、当時の阿久根市の状況を振り返ろう。

以前の市長・市議会・市役所、選出された県議・国会議員(いずれも多数派が自民党や保守系)が九州新幹線の駅を阿久根に誘致出来ず、更には在来線がJRから第三セクターに移行した事より阿久根市への巨額の財政負担が発生し、もともと在来線の存続には他の鹿児島県内の沿線自治体である出水市及び川内市のいずれとも新幹線が停車する駅があるために乗り気ではなく、阿久根市のみがワリを食う形になってしまった。結果としてJR時代は特急つばめの停車駅であった阿久根駅は、ディーゼルのワンマン普通列車のみが停車する無人駅へと化してしまった。
上記のことにより阿久根駅周辺の商店街のシャッター街化。ちなみに駅周辺では大型のデパートまでもが撤退してしまっており、国道3号線沿いの中心地区であるにも関わらず商業施設はほとんど見られない目も当てられない惨状になる。
そのくせ、阿久根市政が巨額のムダな箱物行政の推進を過去に行なっていて、特に阿久根新港の事業の場合、九州南部に頻繁に襲来する台風への避難港として建設されるも、結局避難港としての指定を受けることもなかった(実際には防波堤がうまく機能しておらず港内でもかなり波が高くなる)と金をドブに捨てたようなものである。
それに加え、平成の大合併により北薩地域でも2市4町の合併(阿久根市ほか出水市、高尾野町、野田町、長島町、東町)が協議されたのに、負債を抱える阿久根市が合併に参加することを拒む自治体があり協議は難航。結局出水市、野田町、高尾野町の1市2町だけで新政出水市として合併してしまった。
その後阿久根市は残る長島町及び東町との1市2町の合併協議を行うも頓挫。長島町と東町の合併により新政長島町が誕生、阿久根市のみがハブられる結果となってしまった。市町村合併を行う最大のメリットとして人件費等の経費の節約が挙げられるのだが、結果としてみればこの2市4町の中で阿久根市のみが人件費の削減に失敗。あるいはこの事態の原因を阿久根市役所職員側の抵抗及び、それに対する各市町村からの反発によるものと考える向きがある。
これだけの失政が続き、阿久根市全体の活気がまるでないにもかかわらず相変わらず市役所職員が高給取りであり、まともな産業がほとんど無い状況下で公務員の給与が相対的に高く感じられるのはどの田舎でも同じであるが、実際のところ阿久根市民からの市役所への反感はそれ以上のものがあると言ってもよかった。

 

こんなオワコンな状況になれば自ずと救世主・英雄を求めるのは時代の流れである。

竹原氏は徹底した市職員及び行政・市政を批判し、「阿久根を変える」というスローガンのもとに市長選に立候補し、激戦の末に当選を果たした。

 

当然、市議や市職員はこれに反発。即刻、ほぼ全会派(自民・旧民主・公明・共産など)が不信任を可決し、市長権限で出直し市議選を図るもほとんどが復活当選。再び市議たちは不信任を可決し竹原氏は失職し、出直し市長選になるも会派が推す立候補者との激戦の末に再び当選を果たす。

 

それから彼は徹底した改革と暴走を開始する。ブログを駆使して市議たちを攻撃(やめてもらいたい議員ランキングの募集など)。

市役所内に市職員の給与明細を張り出す。

地方自治体法179条を根拠に、議会を事実上閉鎖し、市長権限である専決処分を用いて条例に準ずる命令を出す独裁者となる。

これら専決処分を用いて、市議定数の削減・市職員の給料の削減・無駄な政策の中止を決定。

専決処分は時の民主党政権の閣僚や鹿児島県知事の大批判を浴びるもすべて無視し、ブログを駆使して世論に正当性を訴える。

マスメディアからも批判を受けるが防災無線を通じて市民にマスメディアへの罵詈雑言をまき散らす。メディア媒体に対して市庁舎への出禁を通達する。

市職員に対する人事権・懲罰権を専決処分により掌握する。また、専決処分により過去にタブーである警察の裏金問題を内部告発した元巡査部長を副市長に任命。また、市総務課長も彼の友人をあてる。

阿久根のアート産業を加速させる事業を打ち出すも、著作権侵害のあるキャラクターを使用し問題視される。

当然、市議や市職員からの反発はすさまじく上申書を提出され抗議を受けるも即座にシュレッダーにかける。

 

このようなもはや市職員と市議の敵となった独裁者となった竹原信一市長。最終的には司法の判断と県庁などの介入により、市議会は再び召集されることになるも、上記のような状況などが彼を支援する市民たちからの熱狂的な支持につながった。

 

しかし、竹原劇場に終わりは来る。議会での発言や公共事業の不正疑惑を問題視され頼みの綱であった市民の離反を招き、リコールされるに至る。

それでも彼は出直し市長選での三選を期して戦うも、会派の支援を受けた新人にあえなく敗北することとなり、竹原劇場は2年半の戦いを終わらせることになった。

 

そんな彼であったが、ある意味では英雄・救世主だったのかもしれないと私は思う。

どうしようもない状況に瀕する時、こういう奴が現れるのは歴史の必然だからだ。フランス革命のナポレオンや先のトランプ、大阪の橋下徹知事(市長)に然り。

 

ネット選挙の在り方や市長の持つべき権限、公務員の怠慢行政、市議会の民度、上部自治体とのあるべき関係、公共事業の刷新、観光PR(良くも悪くもこの騒動により阿久根の認知度は一気に上がり、一時的にとはいえ観光客の増加につながった。悪名は無名に勝るというやつか)など住民のみならず人々が考えなければならない課題を考えるきっかけを与えたように思う。

やり方は間違いもあったかもしれないが、為さんとしたことや背景は理解しなければならない点も多々ある。

 

その後の竹原氏は鹿児島県議選に出馬するも落選。のちの2019年に一大旋風を起こし国政政党になるNHKから国民を守る党を設立することとなる立花孝志氏にアドバイスを伝授するなど、現在の政治に至る問題提起の一端になった。

 

2000年代以降のグローバリズムの社会は安定を失ったことはポピュリズムの台頭を見てとれる。トランプに然り竹原信一に然り。

現在はコロナウイルス危機に社会がやられているが、再び第二の竹原信一が現れる時がやってくると私は思う。