始めに、日本社会党とは何かについておさらいしよう。

社会党は、55年体制下において与党であり続けた自由民主党に対峙する野党第一党であり続けた左派政党だ。国会において国内冷戦を繰り広げて自民党長期政権の牽制勢力として存在感を出していた。
冷戦終了と共に体制が崩壊した後は、連立政権に加入したことで与党入りしたが、稚拙な新党たちによる政情の混乱から見切りをつけてかつての仇敵である自民党と大連立を組み、村山富市首相を爆誕させた。彼は左派政党であった社会党を現実路線に修正し、大連立政権は阪神淡路大震災・オウム真理教事件などの国難を次々と打破した。

しかし、小選挙区制度の導入と総評の解散(後述)による、国会第二党の地位は追われ、社民党と名を変え再び左旋回し出して自民党との蜜月は終了。挙げ句、散々擁護してた北朝鮮が拉致問題を認めたせいでもはや国民の支持など得られないレベルにまで失墜した。
しかし、一部労組や沖縄の地盤からしぶとく生き残り続けたが、凋落は続き、つい1ヶ月前には大半の党員が野党第一党である立憲民主党への合流を決断し、文字通り党首福島みずほの個人政党となった。

で、この昭和時代の野党第一党であった社会党は平成の二大政党の一翼を担った旧・民主党と何が違うのかについて述べる。

1.絶対に国会の過半数を取れない選挙制度(中選挙区で革新票の票割れを恐れて候補者を二名以上立てれない。また革新票は共産党と住み分けができなかった)。
2.ウィングの狭さ(包括政党ではない。官僚や実業家出身の議員が少なく、その上 現実的なビジョンを立てた江田三郎などを派閥争いで排除)
3.そもそも本気で責任を担うべき政権を狙っていなかった(野党第一党として自民党と駆け引きをすることで一定の成果を出すことに集中した)
4.支持基盤の労組の強さ(社会党の支持基盤であった総評はストライキや団交をしょっちゅう起こしたが、その後継団体となった民主党支持の連合は景気の悪さとあいまって協調路線へとシフトチェンジした)

だいたいこんな感じ。
ぶっちゃけ現代の政情や価値観からすれば、なんなんだこいつらはという感じだが、当時の社会情勢は彼らをある程度必要な存在として見ていた。

この社会党が復活するということはどういうことか。
列記としたドクトリンを持ち、国民から役割を与えられる巨大勢力の爆誕である。
しかし、立憲民主党(旧・民主党勢力や小沢一郎)や維新の会でそれができるとは到底思えない。彼らは社会党と自民党を弁証法で乗り越えようとして失敗した。何故なら、軸がないからである。

コロナで国民が自粛疲れしている今、リバタリアン(徹底した自由主義者)とアナーキスト(無政府主義者)が反動で躍進するだろう。彼らは「福祉」を焦点とする。しかし、それの本質は、「自立」を求める代償である。それを先払いするということはどうなるか。
自立させる為といって、彼らが本来最も忌み嫌うべき計画経済・積極的市場介入・社会構造操作を行わざるを得なくなる。自由を制限するはずのものが、それに逆らわない限りの自由の一切を保障する。ようするに自由をはき違えたバカどもの目を覚ますコーヒーである。
理想を唱えてバカどもを釣って、嫌々ながら現実路線へと回帰して最後を迎える。そういう構図はいつでも変わらない。
そう、歴史は繰り返す。社会党が復活するとはこういうことだ。それに附随して、彼らは責任を担うことに躊躇するということも意味している。
しかし、ボールが坂を転がり落ちれば止めることはできないのだ。まぁ、「自身を信用せよ」という奴らは原則として詐欺師なので、彼らを懲らしめる方法は自滅へ向かわせることだ。
その為には、もうコロナで命以外に失うものがない国民ともども騙されてやってるんだと思ってこのバカどもに乗っかってやればいい。