正常と異常の線引きは難しいのであって、人格おかしい奴でも成功者や偉人がいたり 少々の希死念慮がある奴でもなんだかんだ生きてたりする。
異常の定義は2つであって、まず日常生活または社会生活に支障をきたすもの、そして社会で一般的に「常識」や「普通」の価値観に独自の持論で異義を唱えて(表に出すか出さないか、気付いているか否かを問わず)そのせいで生き辛さを抱えているかだ。
後者は広義には思春期もしくは変人・奇人を含んでいるが、前者を満たす場合はそれは治療を必要とするものである。

誰しも、仕事や勉強で思い通りの結果が出ずにめちゃくちゃ落ち込んだり、好きな人との関係がうまくいかずメンヘラ期に突入したことがあるだろう。
だが、それは一時的なものに過ぎず、問題が消えるかなんとかなれば元通りになることがほとんだ。しかし、いつまで経っても元に戻らななかったり悪化するのであれば、先天的な素因か心的外傷によるものであって、それは向精神薬の投薬と心理カウンセリングが必要である。

病んで生きていくことは恥ではない。
風邪をひけば内科に行くか薬局で薬を買うし、歯が欠ければ歯科医にみてもらうだろう。同じ事だ。
生き辛さは生きていく上でのスパイスだが、環境との折り合いをつけて初めて調味料となるものであって、そうでなければタバスコいやブートジョロキアである。過度の辛さは味覚ではなく痛覚だ。

「with 病み」で生きていくには発想の転換が必要である。それは弱さではなく強さであると捉えることだ。根拠など必要ない。自分がたとえ間違っていたとしても、それは周りが正しいわけではないことを意識せよ。いや、世界は自分よりももっと間違っているのだ。

自分の話になるが、精神的な持病を中学の時から抱えてきて、精神保険福祉手帳3級を持っていた時期もある。今に至るまで毎日ずっとおじいちゃんくらい薬を毎日飲んでいる。病名はあえて伏す(うつ病ではない)。
多分、それを言えば「普通」の方々は、変な妄想を喚き散らしていたり奇行を起こしてトラブルを起こすものを想像するだろうから。
まぁ、気分の上がり下がりが激しかったり時々人との会話が通じなくなったり、自分の思っていることをずけずけ喋ったり、アイデアが降り注いできたり、かと思ったら緊張や不安が突然来て起き上がれなくなったりみたいな感じよ。
別に学業や課外活動にマイナスはならんかったし、むしろプラスになったはずだ。ピンチを切り抜けるには「正常」では為し得ない。常識を疑ってかかり新たなる進化の道を拓くのは「おかしい」状態に人々が気付くからだ。
この病気は完治はしない。こういうのは寛解といって、だいぶマシになりましたよってのがゴール。
大学時代は基本的にずっと寛解状態だった。でも、デパスとかエビリファイ、レキサルティ、ロナセンとか色々一貫して服用している。けっこう副作用があるね。

まぁ、このストレス社会で病まない方がなんか異常だと思うな。大人しそうだったり楽しそうだったり成功してるような奴こそ、影でDVやパワハラをふるってたり、連続強姦魔だったりしてそう。
「我々は我々、人は人」を自由に貫けば病んで生きることは誇りを持てる。誰に何を言おうと。社会に縛られてなお欲望に追われるようなバカこそ見下される存在だってことに気付けって話。資本主義の地獄の住人も、北朝鮮の人民となんら変わりはしない。

そうは言っても時々(病気関係なく)不安に駈られて眠れんくなることがある。これからどーなるんやろなー笑って。
もし、最後の最後に全てを失っても命だけは残る。2chの創業者であるひろゆき氏の言葉を借りれば「無敵の人」だ。そうなれば最後の手段が「命」であってこれを賭けて大博打だろう。

人生の価値は命ある限り何を為したかであって、命を失ったらどんなエリートや底辺でもそれでゲームオーバー。
命など大切にするな。それでこそ人生を加速させる。病んで生きていく覚悟はそれだけだ。