祈祷会    士師記5:19~31「デボラの歌-母の悲しみ-」   2024.7.3

 士師デボラの歌の後半の部分です。イスラエルの人々は、カナン人と戦うことになりました。カナン人は戦車900両を持っています。圧倒的な軍事力を持っていました。その敵とイスラエルは戦うことになるのでした。神の助けによって、イスラエルの人々はカナン人に勝利することができました。その戦いの勝利を歌ったのがデボラの歌です。歌の前半は、戦うための準備のことが歌われていました。そしての今日の後半の部分は戦いとその勝利、カイン人へベルの妻ヤエルがカナン人の将軍シセラを暗殺したことを褒め称えています。そして、シセラの母の悲しみを歌っています。

・5:19~23、イスラエルとカナン人の戦い、そして勝利。
 キション川で戦いが始まっていきます。イスラエルはカナン人に夜襲をしたのかもしれません。カナン人には戦車900両もあったのですが、平野での戦いならば、勝利するはずでした。しかし、カナン人にしてみれば、予想もしていなかった大雨が降り、地面はぬかり、戦車は車輪が泥にはまって動くことができなくなり、逆に戦いの邪魔になってしまいました。このようにしてカナン人は敗北してしまったのです。シセラの軍勢はすべて剣で倒れ、1人も残らなかったとあります。(4:16)シセラだけが生き残って、逃げて行きます。逃げた先がカイン人へベルの妻ヤエルの天幕でした。カナン人の王とカイン人へベルの一族の間では友好的だったとあります。シセラは安心して、ヤエルの天幕に逃げて行ったのです。

・5:24~27、カイン人へベルの妻ヤエルの祝福。
 女たちの中で最も祝福されるのはカイン人へベルの妻ヤエルと歌っています。シセラが安心してヤエルの天幕に逃げて行きました。ヤエルから水を求められた時に、貴人にふさわしい器でミルクを与えたのでした。シセラは安心して熟睡してしまったのです。その時に、ヤエルは手を伸ばして天幕に使う釘を取り、職人の槌を右手に握って、シセラの頭に打ち込んで砕きました。こめかみを打ち、刺し貫いたのです。ヤエルの足もとに、シセラはかがみこみ、倒れ、伏しました。ヤエルの足もとに、シセラはかがみこみ、倒れたのです。かがみこみ、そこに倒れて息絶えたのです。カナン人とイスラエルの戦いでしたが、カナン人の将軍シセラを殺したのが、カイン人へベルの妻ヤエルだったのです。自分たちの命を守るためだったということですが、イスラエルにしてみれば、ヤエルは敵の将軍シセラを打った英雄ということになるでしょう。そのために、ヤエルのことを最も祝福されると歌っています。

・5:28~30、シセラの母の悲しみ。
 それまで、カナン人の将軍シセラは、戦いに勝利続けていたのでしょう。戦いに負けるということを経験していなかったと思われます。いつもは戦いの勝利を報告してくれていた息子のシセラが、今度のイスラエルとの戦いでは、なかなか戻って来ないのを心配している様子を歌っています。シセラの母は、窓から外を見て、格子を通して嘆いているのです。「どうして彼の車は遅れているのか。どうして馬のひづめの音は遅いのか。」と。近くの賢い女官たちが答えて「戦利品を獲て、分けているのでしょう。兵士それぞれに1人か2人の女性を与えようとしているのでしょう。シセラには染めた布が戦利品、刺しゅうした布、染めた布、その首には刺しゅうした布2枚、これが戦利品」といったのです。母も同じ言葉を自分に何度も言い聞かせたと歌っています。

 このデボラの歌の特徴としては、敵の将軍シセラの母の悲しみを歌っているところだと思います。戦争によって勝利と敗北とあります。でも、戦争の結果として多くの戦死者が出ていることは、敵に味方関係なくあります。この戦争の結果として、どれだけの母の悲しみがあったのでしょう。カナン人の何人の人が亡くなったのでしょうか。何人の母親が悲しんでいるのでしょうか。イスラエルの人々の中で、何人が亡くなったのでしょうか。何人の母親が悲しんいるのでしょうか。戦争は悲しみを多くもたらします。多くの苦しみをもたらします。それが分かっているのに、どうして、人間は戦争を繰り返すのでしょうか。

・ルカ7:11~17のナインのやもめの話から、
 ルカ7:11~13
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

 イエス様の奇跡物語の1つ、ナインのやもめの話です。母親と1人息子がいました。母親にとって大切な1人息子が亡くなってしまいました。ちょうど亡くなった1人息子の葬儀が行われていました。イエス様は悲しんでいる母親に「もう泣かなくてもよい」と声をかけられ、死んだ1人息子をよみがえらせてくださったのです。母親は喜びました。ナインの村の人々は神を賛美したのでした。戦争が起ると、何人の母親が悲しむのでしょうか。かつての日本も多くの母親の悲しみがありました。そして今も、戦地では多くの母親の悲しみがあります。世界に起っている戦争に対して、私たちは無力に感じます。何もできない、どうすることもできないという思いがあります。「神よ、世界に戦争がなくなり、悲しむ母親がいなくなくなることを願います」と祈りたいと思います。

祈り 聖書の学びと祈り時を与えてくださり、ありがとうございます。人間の歩みの中で、いつも戦争がありました。そして今も、これからも戦争が起っています。少しでも世界の平和のために祈りたいと思います。ただただ、あなたに向かって祈ります。「平和な世界が来ますように」と。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)