●夫の「スキルス胃癌」8年後に治療方法の研究発表が出た! | 悲しみの歳月から生きる

悲しみの歳月から生きる

主人と死別して17年目に入りました。
永い歳月の中で悲しみから得た想い。
私の数々の病気や、67歳で先天性難病発覚した私の想い。
そして人生を振り返る想いも一緒に
今までの「日記」も紐解いていきたいです。

主人の「スキルス胃癌」の「治療方法の研究発表」が

もっと早かったらと…嘆いた私でした

 

 

 

 

2016年

 

大阪市立大学で「スキルス胃癌」の治療方法の研究発表がありました。

 

 

 

私の主人は.  

2007年 10月「スキルス胃癌」と判明して

そこからは怒涛の闘病と一緒に

夫婦で抱きしめ合いながら「命と向き合う」時間が始まりました。

 

 

 

 

ヶ月前の「胃ガン検診」の結果では「異常なし」

 

 

なのに…どうして?

 

主人が、ひとこと私に言った言葉で、直ぐに嫌な予感がした私でした。

 

『あのさぁ~

   今日の弁当のおにぎりが…喉に突っかかってさぁ~

   あれは、何なんだったんだろうなぁ?』

 

『〇子、弁当に何か入っていたのかなぁ~?』

 

 

その言葉ひとつで

「パパ!、直ぐに検査をした方がいい」

 

と.  言った私でした。

 

 

 

結婚してから私の病気以外は、ず~と主人のお弁当を作り続けてきた私でしたので

直ぐに主人の異変を察知できたのでしょうか?

分かりませんが、何かを感じて……。

 

 

『何言っているんだ! 今が一番忙しい時期だってお前も知っているだろ』

『10月に入ったばかりなんだぞ!、これからが大変なんだ!分かるだろ!』

『休める訳がないじゃないか』

 

 

分かっていました。

予算案~~議会の答弁書作成…

既に、帰宅がすごく遅くなる時期に突入していたのでした。

 

 

『たった、1回だけつっかかったんだぞ。何で〇子はそういう事を言うんだ!』

 

 

 

2日~3日間、 もう夫婦喧嘩ばかりでした。

 

 

「ねぇ、パパ、検査をしようよ」

 

『嫌だと言っただろう!

   ヶ月前の検査では、何もかもが異常なしだったんだぞ!』

 

 

 

 

主人の頑固さには、ほとほと呆れたのですが

主人が夢だった部署に配属されて、希望とやりがいに頑張っていた矢先でしたので

主人の気持ちは痛いほどに解かっていたのですが…

 

・妻として

・夫婦として

   何よりも愛する夫のために

 

どうしても…検査をして欲しかったんです。

 

 

 

 

 

 

~~それには理由がありました~~

 

 

 

私がお腹の中で、卵巣嚢腫が破裂していたのに

その痛みの原因が判らず、痛みを我慢しながら

 

・子育て

・嫁努め

・学校のPTA

・パートの仕事

・心身重度障害児の「言語セラピスト」「音楽セラピスト」

 

などを抱えていてたので、

 

 

半年に1回は卵巣嚢腫の検査を受けるのを

しなかった苦い体験があったからでした。

そう…年半も病院に行かなかったのでした。

 

 

大きな病院は.  一日がかりですから

そんな時間がとれなかったんです。

(言い訳にありますが…)

 

 

 

あまりにも痛くなり、一人で自転車に乗り

近くの内科に行って診察を受けたのですが、

腹部のレントゲンまで撮ったのに確かな診断をされず

「今流行りのお腹に入る風邪でしょう」

と、言われたのでした。

 

 

 

 

ちょうど時期が重なるように、娘が耳を痛がり

耳鼻科に連れて行ったら「内耳炎」をおこしていたために

毎日  抗生物質の点滴を受けに連れて行っていました。

38度の発熱もあったからです

娘は週間学校を休むことを医師から言い渡された程でしたから

私は自分の体調なんて考慮しないで、娘を毎日耳鼻科へ連れて行っていたのでした

 

 

 

 

母親は自分の身体より

子供達のためを優先するし、夫の親と同居していましたので

私が姑の通院に付き添い、タクシーで連れて行く役目を毎日していたので

どうしても自分のことは後回しになっていました。

 

 

 

強い鎮痛剤を飲みながら顔には出さず…頑張っていたんですね。

 

 

 

あまりの痛みに

どうにもならなくなり…

娘に

「一人で耳鼻科に行ける?」

「ママね、すごくお腹が痛いから病院へ行ってみるね」

と……。

 

 

 

娘は、数日前からの私の体調の変化を見抜いていたのでしょう

『大丈夫だよ。ママ早く電話をした方がいいよ、病院にね』

『一人で行けるから大丈夫だから』

 

 

 

 

熱があるのにと, …娘が可哀そうでならなかったのですが

たくましい娘の返答に感謝したのを覚えています。

「どうか…神様、娘が無事に耳鼻科に行けますように」と祈ったほどでした。

 

 

娘が出かけた時に

娘が一人で通院することを耳鼻科に電話を入れることすら出来ない状態になりました。

そうしたら、突然!

我慢していた痛みが、耐えられない痛みとなり私を襲ってきたのです。

 

 

 

大きな病院である、いつもの「婦人科」に電話をしました。

 

 

 

大きな病院ですので電話受付の人も、私の苦しむ口調を聞いて

ただならぬ状態だと理解してくれたのでしょう。

直ぐに、婦人科に繋いでくれました。

既に診察時間がとっくに終わっているにも関わらず…

婦人科の看護師さんが電話で私に言ったのです。

 

 

 

早く救急車でも、タクシーでもいいですから直ぐに来て下さい!

待っていますから!

それから、ご主人に電話できますか?

直ぐに連絡ができればして下さい。

待っていますからね!

 

 

 

 

携帯電話なんて 無い時代ですから

主人の職場に電話をしたら、

電話に出た女性が、私の口調がいつもの私ではない事を直ぐに察してくれて

ご主人には私から直ぐに家にいくように言いますから!

と…心配する声と強い声で言ってくれたのです。

 

 

 

 

救急車を呼ぶと

姑が大騒ぎをするのが想像できたし…

あの人の行動は、人並み外れた行動をしますから。

大声で叫びまわり、大変なことになると…思ったんです。

 

 

 

自分の耐えられない痛みより、姑の行動を心配するなんて。。。。

 

 

*****************

 

 

 

 

タクシーを飛ばして来た主人が

家の中で私が苦しむ姿を見て直ぐに自家用車で病院へ。

 

 

 

後ろのシートに横たわるしかない私になり、

病院に着いた時の私は、動くことすらできない状態でした。

主人に抱えられても歩けない。

意識が遠くなるのを感じながら、主人に抱えらながら婦人科までどうやって行ったのか覚えていないのです。

 

 

 

婦人科では

看護師さんと医師人が待っていてくれたのは覚えていますが。

 

 

 

意識が遠のくのが分かるのに

婦人科の診察台に看護師さんが私を乗せたのです。

こんな状態で診察台なの!?と、あの時思いました。

それよりも

医師が内診しようとした時に、体験したことがない激痛が走り「ギャ=!」と叫んだのも覚えています。

医師が言ったのです

「これは直ぐに手術だ」と……。

内診ができる状態ではなかったのでした。

 

 

 

 

それから手術前の血液検査の際に

注射器の中に血液が入らないのを見てしまった私。

何故? と, 意識が遠のくのを感じながら質問までしたのでした。

「どうして…入らないのですか?」

と。。。。

 

『これは・・・ショック状態を起こしているからです』

 

 

 

意識が消えていく中で聞こえたのです。

 

 

「誤診じゃないだろうな!」

 

 

夫の声でした。

凄い大声で、怒鳴っているようでした。

 

 

 

私が気がついた時は、すでに手術台にいて手術が始まっていました。

下半身麻酔の手術でした。

なので、手術中の様子が見えるのです。

    医師達の声が聞こえるのです。

    慌ただしい様子が分かりました

 

 

 

 

誤診でした。

主人が怒鳴り声を張り上げていた通り

 

「誤診」でした。

 

 

何故か?

手術中のことは鮮明に私の記憶に残っています。

下半身麻酔のまま、6時間におよぶ手術でした。

麻酔医師が、脳外科の緊急手術に入っていたために

手術が長引いても全身麻酔にできなくて…苦しみ続けた時間でした。

 

 

そのことは…またにしますね。

 

 

 

**********************

 

 

 

その体験は私にとって、すごく反省することになったからでした。

その後…もう片方の卵巣嚢腫が癌の数値になり

卵巣嚢腫も変異しているかも知れないことになり、

子宮筋腫まで悪化していき

年後に再び手術をすることに…。

卵巣癌の検査を半年ごとにするのが10年続いた私でしたから。

 

 

だからこそ

 

 

主人には、早く検査をしてほしかった私でした。

 

夫婦喧嘩までしても。

 

 

 

 

 

でもね

 

直ぐに検査をしても

 

 

 

主人は…助からなかった。

 

 

 

****************

 

 

大阪市立大学で「スキルス胃癌」の研究発表が

 

2021年にも  ありました。

 

世界で初めての「スキルス胃癌」の研究でした。

その抗がん剤は、当初は200万円だと書いてありましたが

2021年に, 日本で認知されたそうです。

 

 

その治療方法が合う人と、合わない人があるそうですが……。

 

 

 

主人は、2007年にスキルス胃癌が判り

    2008年にお空へ逝きました。

 

8ヶ月間、夫婦の濃厚な時間でした。

命と向き合う「恐怖」の時間でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

いつもクリックに感謝しております。

心からありがとうございます。

 

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2016年

 

大阪市立大学 医学研究科

  ・腫瘍外科学 

  ・難治ガンTPセンター

 

予後が極めて悪いことで知られているスキルス胃癌の

難治性の原因を世界で初めて解明し、

その機序に基づいた新しい治療方の開発に成功した。

 

 

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今、

難治性の癌で闘病している方々に、

新しい研究が見つかって治る希望がありますようにと、心から祈る想いです。

 

 

そして

奇跡が起こることも  心から祈っております。