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8000人虐殺から25年、息子を探し続ける母親 TBS系(JNN)

 東ヨーロッパの旧ユーゴスラビア、現在のボスニア・ ヘルツェゴビナでイスラム系住民およそ8000人が虐殺された事件から25年となりました。今も行方不明の息子を探し続ける母親を取材しました。

数千もの墓標の前で祈る人たち。ボスニア・ヘルツェゴビナで起きた「スレブレニツァ虐殺事件」の25年追悼式典は、新型コロナウイルスの影響で参加人数が制限されるなか、開催されました。会場となった集団墓地では、この1年間に新たに身元が確認された9人の遺骨を納めたひつぎが埋葬されました。
 
 ハイラ・チャーティッチさん(75)は、今も行方がわからない息子を捜し続けています。
 「自分の子の遺骨を埋葬できるのは神様からの贈り物です。息子の遺骨を見つけて埋葬できなければ私も息子も平穏が訪れません」(ハイラ・チャーティッチさん)
 
 ボスニア・ヘルツェゴビナでは、民族間の対立による内戦が勃発。スレブレニツァでは1995年7月、セルビア系の武装勢力がイスラム系の男性や少年およそ8000人を虐殺しました。
 
 「こちらの部屋には、大量の遺骨が収容されています。スレブレニツァでは、まだ1000人近くの犠牲者の身元がわかっておらず、今でも確認に訪れるご遺族が後を絶ちません」(西村匡史記者)
 
 内戦中、セルビア系勢力は虐殺の証拠を隠すため遺体を別の場所に埋め直したことで、鑑定作業が難航しているのです。ハイラさんは、内戦後に戻ったスレブレニツァで行方不明の息子を捜し続けています。
 「息子は消えてしまいました。息子の墓を見ることが唯一の夢です。そのためだけに生きているのですから」(ハイラ・チャーティッチさん)
 
 25歳だった息子のニハドさん。手をこまねいていた国際社会に向けて無線で惨状を伝える活動をしていました。
 「スレブレニツァの人たちが、家畜のように殺されています。スレブレニツァに訪れた悲劇を誰か見てください」(ニハドさんの最後の音声)
 
 これがニハドさんの、無線での最後の報告でした。
 
 ハイラさんはその後、虐殺の生存者から「血だらけで動かないニハドさんの姿をみた」と聞かされました。
 「一瞬たりともあの子のことが頭から離れたことはありません。ずっと忘れられません」(ハイラ・チャーティッチさん)
 
 ハイラさんは事件の風化に危機感をおぼえ、他の遺族とともにこの虐殺を伝える活動をしています。
 「見てみて、これは全て若い男性です。スレブレニツァの大量虐殺で殺されました」(ハイラ・チャーティッチさん)
 
 今年の式典までに息子を見つけることはできなかったハイラさんは・・・。
 「息子とスレブレニツァに起きたことは、もう二度と起こしてはいけません。この虐殺事件を世界中の教訓にしなければなりません」(ハイラ・チャーティッチさん)
(26日16:00)

最終更新:7/26(日) 18:35
TBS系(JNN)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f5e72507832301883240ead235ebcbdb8c8eac6 より)
 

 

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