ツインレイ、ツインソウル、スピリットメイト、運命の人……
という言葉がありますが、実際生きていく上では、
意識しないことの方が大切かなあと感じています。
 
様々な人が、様々な定義で、ツインほにゃららということについて
研究したり、発信したりしています。
自分がここで述べたいのは、『魂のかたわれ』とか
『魂のときに、ともに生きることや役目を果たすことを決めてきた存在』という概念全般についてです。
 
映画『君の名は』は、ツインほにゃららについての話であるっていう
ことについてアツく語る人も多かったので、概念として知っている人は、
たくさんいるでしょう。
  
自分自身も、その存在にすごく興味があるし、決してその存在を否定したいわけではありません。
調べたこともあるし、詳しい人からはむしろ積極的に話を聞きたいとも思います。
  
 
  
 
でも、結局のところ、
 
自分自身が、いまここで何を感じていて、何を表現したいのか
 
ということに立ち返ってくるだけなのです。
 
 
 
『あの人は、私のツインレイなのでしょうか?』
『結婚しているけど、ツインソウルに出逢ってしまいました。
 強烈に惹かれあっているのです。離婚した方がいいでしょうか?』
 
そういった疑問は、
自分が本当に望んでいることに動くことについてくる責任を、
転嫁したいというものだと思います。
 
大切なことは、その質問の奥に眠る自分自身の本当の願望と、
それに対して働きかける意思です。
 
うえの例でいうならば、
 
ツインレイだったとしたら、どうしたいのですか?
ツインレイでなかっとしたら、何も働きかけなくても、心底納得しますか?
  
ということだし、
 
今のパートナーよりも、ツインソウルだと感じる人へ強烈に惹かれているなかで、
結局どういう選択をしたら、後悔しないと感じているのですか?
 
ということです。
 
 
 
そもそも自分自身は、運命の人でない人がいない、と思っています。
運命にはいろいろなかたちがあります。
一生一緒にいる存在が運命ではない。
 
今共通のテーマをもっていて取り組むけれど、それを果たしたら離れていく運命
ひとつのキーワードを伝えるためだけの一期一会も運命
誰かと出逢うかけ橋として出会う運命
 
なのです。
 
 
 
なので、今目の前にいる人は運命。
自分自身のほんとうのところに戻っていく時に、
必ず必要な存在として、いてくれています。
 
そこに向き合った時、その人が実はツインソウルなんだって
感じあうときがくるかもしれないし、
 
そうでないんだって分かる事によって、
次のステージにすすむことができるのかもしれないし、
 
その結果は誰にも分からないけれど、
今、ここで目の前のことにむきあう、ということしか
究極的にできない。
 
それだけが大切だし、
そうでない論理や概念は、『いきる』ということを遠ざけます。
 
 
 
悟り、も同じだと感じます。
世の中には、悟りに導くメソッドや、宗教などたくさんありますが、
世の中のすべての理が分かった上で、
 
自分がどう存在していくのか、表現していくのか、は
自分が決めることだと思います。
 
 
 
ということを思った時に、
ツインなんちゃらでなくても、そうであっても
悟っていなくても悟っていても、
 
結局、いまここで向き合う、というところに立ち返ってくるのだから
そうすればいいよねっていう
感じがする自分です。