米はいつもどこで買う?

今はスーパー

 

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なんて書いてあるサイトがありました。
 
お米離れを食い止めるべく、8月18日をお米の日とし、お米の消費拡大を狙っています。ですが、お米の日の認知度は意外にも低く、ご存知無い方も大勢いらっしゃいます。
 
そんなお米の日を紹介したいページに書いてあるのはこんなこと…???
とびっくりより、イヤイヤ…制定した理由がコメの消費拡大ですか?
8月18日の米食の日とは、1978年10月、三重県によって制定された記念日。
「米」という文字が「十」と「八」に分けることができることに由来して誕生したのだそうです。
 
こんなことを書くのはここじゃないやろ!くらいに書いて、ここからは…ホント…食べ物の話?って感じです。
米が日本人の主食になったのはいつか
さて、本気の疑問はココ。
 
米が日本人の主食になったのはいつか
このまんま入力して出てきたサイトは「米が日本人の主食になったのはいつか」このまま
 
結論として、米を主食にしたいと願い続けた歴史だったとまとめてあった。
そうでしょうねぇ…って思いますわ。
そのような思いが強かったことは理解できますってね。
 
だから、今更に米を主食として食べることができない日本人が増えても…というより、
もともと遺伝子的にコメを主食で食べることができている日本人としての経験値を持っている人は数少ないんだろうって思うのです。
ずっと日本人の遺伝子を持っているって思っていても、ずっと米を食べて過ごしてきたよって遺伝子に刻み込まれているのは極わずか。
米を食べることを憧れて、米を主食とは言いたいけど…遺伝子的にコメを食べることを拒否している?恐れ多くて食べることができません…って感じに遺伝子的に組み込まれている人は多いのでは?
 
天照大御神が天孫ニニギノミコトを豊葦原瑞穂国に降臨させて、稲穂を渡し「これを日本人の主食としなさい」といったという神話があるそうで、伊勢の外宮へ行くと、本当に…稲作がどれほど日本で大切なことかと思わされるのは確か。
 
どちらが先かなぁ…?
 
 
 
実際に、米を食べるようになった始めなんかわかりませんよね。
その当時に生きていた人なんて今は生きていない。
 
だから思うのは、米をずっと食べることができてきた習慣がないと、雑食?に戻るのかも…ってね。
 
多分、貧困により…って第二次世界大戦後、全ての国民が栄養的に食生活が改善されることをねらって国として取り組んできたかもしれないけど、本当は戦争関係なく、食生活が乏しかった人たちが多いと思うのです。だから、本当に遺伝子的に覚えている…という言葉があるのなら、貧しい生活を求めている感覚が抜けきっていないのでは?と思いますね。
要するに、米を食べることへのあこがれはあっても、実行できない理由は…もしかしたら、前世にあり?なんてバカなことですね。
 
 
米を中心に食べることができる生活になりたい…という願望を、米が主食であると言い切るスタンスで通しているけど、おいしい米を食べることができていない人たちにとっては米より他の物の方がおいしいのかも…?と最近は思います。
飲食店で食べる機会を持つ時に、米を食べて及第点…以下やん…って思うこともあるのですが、そんなのが普通だったらお米おいしくなくてもいいのかもしれないし…他の方がおいしいかもしれないですよね。
 
今、スーパーで米を買っていますが、いろいろと試して食べ比べて…としていて思うことは、高い米というのか、おいしい米というのかちゃんとあるのに、なぜあんなにおいしくない米が外食すると出てこれるのだろう?どこで作っているのだろう?どこで売っているのだろう?なんて思ってしまいます。
 
食は三代と言いますので…
おいしくない米を食べて育った人のコメ離れは仕方ないのかもって
結論じゃダメでしょうか?