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神戸にて来年2月にPTSDについて語る事が決まっているので勉強の為に読んでいる本があります。
それは1987年6月に起こった日航機墜落事故の被害者遺族の体験を外から取材、研究し、支援してきた人が纏めた本で、私に起こった事とはかなり状況が違いますが、自分に起こったPTSDの経過はとても似ているのです。
その中で印象に残った言葉があります。
それは「死の棘」という言葉です。
突然の死がもたらす痛みとは、ほんとうに表現が難しいのですが、遺族として話すとすれば現実として死を確認し、それをどう意味付けするかとか、故人の代わりに事故や事件を明らかにするとか、居なくなるまでになぜ自分に出来ることをしてあげなかったのか、などの「いなくなってしまった今」を受け止めて過去できなかった事に対する今出来ることをやる前向きなやり直しと同時に一緒に確かに過ごしてきた存在は無くならないというようないなくなった事を認めがたいような気持ちが同時に起こる時期があるのです。
これは皆さんが考えているよりかなり、自分の中で自分同士がバトルするような時期なのです。
死んで生き返ることはあり得ない、少しでも生きていた時にしてあげられなかった事をなんでもしてあげようと前向きに頑張ると同時に、肉体は亡くなっても魂は生きているんだ、気持ちは人の心で生き続けるんだ。だから今も側に故人は居るんだ。みたいな相反する気持ちが混雑するのです。
そうなる理由をいくら考えてもわからなかったのです。
その本に答えが書いてありました。
人は突然に必要とする人が不慮の事故や事件で命を落とすと、実はいなくなった故人に対して”なぜ急に居なくなるのだ。自分達を遺して”と、非難する気持ちが生まれる。
でもそれを表だって表現することを潜在意識が邪魔するので、曲がった形で「自分が故人にしてあげられるのにできなかった事」を上げながら自己批判の形に歪めて認識する。 とのこと。
いつも考えるのですが自身の体験を話す事は、だいぶ自分のエゴの部分を感じています。
だって、多分聞いている人がわかるはずが無い事を話しているだけに過ぎないことを知っているからです。
その証拠に人が幸せそうに夫婦や子連れで休日に買い物している姿を見ると、やさぐれた気持ちになったり、ひとりで大丈夫だもん!みたいな強気か弱気かよくわからん気持ちになったりしました。
もう、休みの日にショッピングモールに行きたくない!みたいな。実際極力行かないようにしてたし、幸せな知り合いに会い挨拶するだけでなんだか惨めな気分になったり…(THE被害妄想)
これがもう、なんの落ち度もない洋君への怒りだと気付いたのはもう大分前であります。
もーっと時間があると思ってたからしなかっただけで、ほんとうはこう思っていた!こうしようとしていた!
そうゆう気持ちや出来事がたくさんありました。それは犯人を恨むよりはるかに比重の大きな事だったのです。
少しづつ癒えて、許したり許されたり、がんばるだけ頑張ったりしながら、それもまた自分の一部なんだと思えるようになりました。
いつも思うんだけど、やっぱり客観視しながら側にいる人の方が私の事を知ってくれている気がする。
事件後、武雄図書館にいき、PTSDを始め心理学の本ははじからはじまで完読しました。
だから、自分って今はこの場所(PTSD的に)と考える事ができた。
最近。優しい気持ちになれる時間が増えました。
それは側にいてくれる人が大切だと私が思い出したからなんだと思う。
とりとめない日記のような更新ですが、いつもほんとうにありがとう。
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