裁判の話2 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。


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裁判の時の気持ちを思い出すと


胸が締め付けられるような気分になります。



一生のうちに、裁判所に出かけることになる人は


一体どのくらいの数になるのでしょうか?



そして、あれほど重みを持つ裁判を


当事者といっても間違いではない私が


ほぼ、ただ傍聴するしかなかったあの時間を


みなさんはどう考えますか?



事件後の裁判は、当事者としてではなく


”遺族” として傍聴するしかありませんでした。



あまりにも裁判というものを知らなすぎた私は


すっかり裁判と言うものを誤解していました。


どうゆうふうに誤解していたかというと





1、加害者は罪を認め、詫びる場所になる。


2、加害者は罪を犯したこと(人を殺めたこと)を後悔している。


3、裁判官は完全に自分たちの味方で加害者に


それ相応の罪を下す。


4、検察は裁判官よりもっと被害者側に立ってモノを考えてくれる


私たちに代わって、私たちが充分納得する求刑を出してくれる人






私は裁判が始まるまでそう信じていました。


もうすぐ退院できるからって、


子供たちとの交換日記のような手紙のやり取りも

お父さんからの手紙


ほっといて、家に帰ったあと


家族に迷惑をかけないようにって


早く仕事を始められるようにって


一日中リハビリルームに居た洋くん。



毎日、あービールがゴクゴク飲みたい、焼き鳥が食べたいって


笑ってつぶやいていた洋くん



そんなに焼き鳥食べたいなら買ってこようか?


って話すと、ここで食べたいんじゃないよ。


あうんで食べたいんだって話すから


それじゃあ退院祝いに行こうねって話していた。



ビール飲みたいなら隣にある居酒屋に行って飲んだらいいやん?


って話したら、俺は小心者だからそんなことできるわけない。


と、話していた洋くん。





こんな、小市民を絵に書いたような普通の人が


通り魔的に、いきなり、そこに居たってだけで


人違いで命を奪われたというそんな事件が


私たちに降りかかった事件でした。




私は死刑制度を推進しているわけではありません。




でも、事件当時は、とうぜん死刑求刑の後


死刑判決となるんだろうと思っていました。




そのため、もし、犯人が深く悔いて、本気の謝罪をした場合


私はどうすればいいのかって悩んだりしました。




よく、ありがとうとゴメンネは口に出して言おうって


言う人がいますが、ありがとうは置いといて


ゴメンネについては、謝られて許せる怒りや悲しみなんて


本当は大した問題じゃないと私は思っています。




ごめんなさいって言われて、いいよって言えることは


人として当たり前の事のように話す人がいますが


到底許すことができないような事だってあるのです。



相手を許す事を自分に許可することがどうしてもできない


そんな事が遺された私たち遺族に起こった出来事だったのです。




だからもし、犯人に本気で謝られたらどうしようって考えていました。


また、裁判官や検察は、当然死刑に向けた動きをするって


そう信じていたのです。





何もかも私は無知だった。


裁判がどんな場所なのか、全然知らなかった。


そして、裁判とはどうゆうものだと話し合ったり


相談する、同じような目にあった仲間もいなかった。




だから、ただ、司法は味方してくれるに違いないと


そう信じて疑わなかった。



犯人や共犯の人も、きっと見ず知らずの人の命を


間違って奪ってしまうことをした、と反省し


まっすぐに罪を償ってくれると信じていた。





長男は、裁判が始まる朝、ギリギリまで


”僕は裁判に参加する、だって僕は


お父さんがいなくなったことが納得できない” と


私に食い下がってきました。



裁判所でマスコミとのやり取りがどうなるのかわからない私は


” あなたはいつもどおり学校に行って ” とお願いを繰り返し


かなり渋々と学校に行ってくれました。



次男はというと、家の中で当たり前の空気感が


すでに保てないでいる私を気遣ってかいつもどおりに過ごし、


ランドセルをからい、いつもどおり


” お母さ~ん、行ってきます。お父さ~ん頑張ってくるね ”


と、言い、駆け足で登校した。



亡くなったあと、なぜか、行ってきますのあとに


頑張ってくるね、って言うようになっていた次男です。


どんな気持ちでそう言っていたのかはよくわかりませんが


その言葉は、少し時間が経ったとき自然と消えていきました。



もしかして本人も覚えていない事なのかもしれません。






裁判の日集団登校する子供たちをいつまでも見送る私。


何度も振り返って確認していた二人。




家族みんなが考えたりすること、想いは同じであっても


これだけ、表に表す態度は違うものなんだなと、いまそう思います。




つづく。









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