事件の事を書く事に対する説明。 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。


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事件直後の記事はここから。


ココを読んでくれてるいろんな人へ。


辛ければ、読むのをやめてください。


キツい内容を書くつもりだったり、


分かって欲しい、忘れて欲しくないという


そんな気持ちで書いているわけではなく


ただ、こうだったということを書き収めているだけで


これは、ひょっとしたら我が子たちにとっても


ちょっと辛いことなのかもしれないなって思っています。





ただ、彼らの周りに居る人たちも、私の周りにいる人たちも


ココを読んで、悪影響を及ぼす人達は居ないと信じております。




そして、そんな人たちが、本当はどうだったのか


起こったことはどうだったのか、


現実的にどうだったのか、


それは知っておいて欲しいと思うのです。





近いからこそ、ショックを感じること


近いからこそ、伝わってくる悲しさ辛さは


あると知っています。



だからこそ、受け取るもの、入ってくるものがあると


私は思うんですね。






私は、自分のそばにいてくれて、彼らのそばにいてくれて


自分の事のように考えてくれる人が


一人でも増えればいいと思っています。




それは、もちろん 自分たち家族にとって大事なことでもあるし


周りにいる人たちも自分がなぜ生まれてきたか


どう生きていくべきか、何が正しくて、何が愚かなのか


何を選ぶべきか、何を優先すべきか、


そういったことを考える一つのキッカケになるとも思うし


私自身も、それを常に考える一つの財産になると思っているからなのです。








前向きに生きる事は、簡単なようで、難しいことです。


自分がどうであっても人のことを優先して考えることは


とても難しい事なのです。




でも、それを簡単に出来てしまう時があります。


それはね、大切だと思う人が出来た時です。



大切な人が幸せでいることは


自分が幸せで居ること以上に嬉しいことなのです。


これは決して嘘じゃないです。



人は、自分が幸せになりたいといつも思っています。


だけど、どんな時にその、自分の幸せを感じるかといいうと


それは、大切な人が幸せで居てくれるときに


自分の幸せが二倍にも三倍にも膨らんでゆきます。




自分だけが幸せで居れば、それはそれなりの幸せは


受け取ることが出来ますが


それ以上の幸せを感じるには、傍にいて、大事だと思う人が


幸せと感じてくれたときに、自分のすべてが満たされます。






世の中が平和でありますように。と、


今日の長崎の原爆記念日に私は願い、祈ります。





何が正しくて、何が間違っているのか


人は、本当は知っているのです。




世界平和は隣人を愛すことから。


と、マザーテレサさんが亡くなってからも語り継いでいます。






隣人を愛すということは、自分を愛することなのです。


だって、そうすることで私たちが満たされるということを


私たちの心は知っているからなのです。





本当のことは各個人の価値観でたくさんあります。


ですが、本質である真実も、同じく


しまっていたとしても、見つけて表に取り出した人にも


みんなの心の奥底にはちゃんとあるのです。





私のことを、偽善者だと言う人もいます。


結局は私の中に潜んでいる、損得勘定はなんなのか?と


いわば、私の優越感はどこなのか?と、


探し続けられるような事も多いのです。






ココを読むすべての人に幸せで居て欲しいという


そんな気持ちに嘘はありませんが


時にそういったことを考え始めさせてしまうように


私が、その人の方を向いていられないときはキットあるでしょう。





ただ、私自身としては、そんな気持ちはないつもりでいます。





事件当日の事の続きは、明日からまた書き続けます。






いつもお読みいただき、本当に感謝です。


おやすみなさい。