呼び寄せているもの5 | 〜ぷらすなちゅらる〜

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何かを失うと言う事で、得ていくものもあるということを私は知ってる。。はずだったのですが、いまちょっと心が折れてます。

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こないだからネガティブ満載なこと書きまくって


少し調子が悪くなってみたり。



ほんの一歩間違えたら


きっと大変な事になっていただろうと


そう思う反面


ずっと自分が特別な体験をしたとも


そう思っていたけど、


被害者支援の勉強をしたり


あと、ここで書くことによって、


メッセージや個人メールなどで密かに寄せられる


自分も似たような体験をした。という告白を読むと


これって、実はいろんな人が


色んな形で体験しているようなことなのかもしれないと


そう思う、今日このごろです。




告白することで、あなたにもスキがあったとか


セクシャリティーな被害については、


自分にとって、恥であるような社会の認識もあって


そのほとんどが言うことを周りに


咎められたりすることもあるんだなと思います。



こうゆう事を体験する人は


出来事の大きさは置いとくとして


” 性被害に合う ” と言うことなんだけど


性被害というものは、


誰かが選ばれてそうなる訳ではなくて


たまたま、性欲が高まった人のそばに


自分がいたというだけでそうなることもあるし


また、なにかのきっかけがあって


必要に誰かから、執拗なつきまといに合うということもあります。



わたしの体験として持っているのは


たまたま、車で走っていて


信号待ちのバックミラーに映る後ろの車を見た。


その見た相手が自分とは運命の相手だ!と


勘違いして、家までつけてくるようなこともありました。


つけられていることには最初は気がつかないんですが


あとから、毎日のように家に切手のない手紙が


投函されたこともありました。


その内容は、時には愛しているというような内容であったり


ある時には、お前なんか


人間のクズだと言うような内容であったりしました。



そうゆうことで学習した私ですが


夫と結婚し、子供が保育園だったころ


後ろの車が狭い路地をつけてきていることに


気がつくこともありました。


自宅近所にある、


目的がなければ入ってこないような


そんな駐車場に入ると、


見事にその車は私の横に車を付け


運転席を見ると、こちらをみていて


慌てててバックして、駐車場を出て


自宅を確定されたら、子供たちに被害が及ぶかもしれない。


との不安があって、アクセルをベタぶみしながら


家の前を素通りし、民家を抜け


近くの派出所に駆け込もうとするんですが


派出所は真っ黒、ケータイの電池残量がわずかで


110番してもいつ電話が切れるかわからない。


パニックになりながら


コンビニに駆け込もうか、でも駆け込んだコンビニまで


入り込んできたらどうしようとか


入り込まなくても再度外に出たときどうするかとか


いろいろ考えながら逃げたこともありました。


その車は信号無視をしながら付いてきたんですが


諦めたのかいつの間にか、付いてこなくなり


家に帰ってから110番通報したこともあります。


そうすると、警察はきてくれますが


こんご、この辺の見回りを定期的にします。


くらいの約束をして、帰っていきました。


その頃は、夫も家にいましたし


大丈夫であろうと思ったんですが・・・。






自分が特別な体験をしているとは想いませんが


その回数は多いとは思うんですよね。


そして、それは、おそらく自分が、


いろんな人をバリアフリー状態で受け入れる性格からだとも


なんとなくわかっているつもりです。


この人は、受け入れてくれるはずと思うから


悪いか悪くないかは置いとくとして


そうするわけで、やっぱり私にもなにか原因はあると思います。




こうして、出来事の大小はあっても


繰り返し体験するということは


きっと私が学ぶべき何かがあると言う


そうゆう証拠でもあるとも思います。



なんども言っていますが、私は人を無視したり


人を置き去りにしたりすることがとても苦手としています。


人が不快に思うだろうという事をしたり、言ったりすることを


ものすごく嫌だと思うんですね。


自分が嫌な思いするより嫌であって


それは、誰にでも平等でそうであるべきだと


そうも思っています。



なので、時に自分が本当に大事にするべき人を


後回しにして、可哀想だったり、


周りに人がいないような人を気にすることによって


我慢させたり、面倒に巻き込んだりしているんです。



平等であるべきだと思う気持ちは、


自分的には正しいことで


正しい。 と、言う事


つまり正義や優しさというものはどうゆうものだ。


と、言うことを、私は両親から学んでいたし


こうゆうときは、あなたは我慢できるでしょう?と


信頼の意味もあって、それを受け止めることで


両親に応えてきた部分もあります。



それが、いいことか悪いことかどちらかというと


世間的にはいいことであったと信じています。


そして、そうゆう両親のことは、


時々はいろいろ思う日もありますが


やっぱり、尊敬しているんですよね・・・。


なぜなら、両親もまた、人はみな平等であるべきだという


そうゆう生き方をしていて、バリアフリーな人だからです。


それが素敵だと思うから、私は受け入れるんですね・・・。


両親が見ていない場所でもそうする。



それは、自分の理想であるからなのですが


でも、でもね・・・。そうすることによって


人って、平等な場所にうまれてこないとも知ることになりました。




つづく・・・


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