余っていれば
欠けるものがある
そばにあれば
見えなくなる
気づかない
そうじゃない
痛いほどわかってる
私が今
ここにいる理由を
これからも探してる。
唄:Rie fu
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時々、私は頭が忙しすぎて
あーーー!って
頭をかきむしりたくなるくらい
悔しくなる時がある。
それは何を悔やんでも
どうやっても時は戻らないその悔しさだけで
頭が一杯になる時がある。
どうしてあの時
私はこうしなかったんだ、
だとか、考えても考えても
答えなんかでないけど。
それを考えずには居られなくて。
そして哀しくなって終わる。
私にしか出来ないことがあるから
私はこうして生きているし
それから、
こうしてここを読んでくれている人や
世界中の誰もが、
自分にしか出来ないことがあるから
だからおんなじこの宇宙の中で
共に仲間として暮らしてる。
痛みを分け合いながら
笑いあい
助け合い
平和を願いながら
ひとりひとり歩いている。
苦しみや辛さは
替わってあげる事も替わってもらう事も出来ないけれど
それでも心そばに居て
一緒に泣くことは出来る。
ひとりで乗り越えようなんて
思ってはいないです。
一人と独りは全然違う。
一人としてがんばって
独りとしてがんばらない。
だって私はひとりぼっちじゃないから。。
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この歌の中には
焦燥感 というコトバが
出てくるんですが
まさに私は、このころ
焦燥感でいっぱいだったのです。
このまんまじゃいけない!って
それは わかるんですが
どう生きていけばいいのかは分からなくて。
世のなかのニュースをみると
わけのわからない
甘えた理由で犯罪を犯す人があふれてて
被害者になる人はいつも
マジメに生きてきた人ばかりで
それなのに被害者は
もう亡くなってるからって
死人にくちなし状態で
加害者は人権だとか言われて
守られて・・・
なにか おかしい。
私ものまれてしまうのか?
そんな気分で過ごしていたように思います。
あれから 私の元に
何人かの被害者遺族の方が
尋ねてこられました。
警察を通じてこられたのが
大多数で
自分でコンタクトを取ってこられた方も
いらっしゃいました。
ネットから知り合いになった方も
いっぱいいます。
あってみて思うんですが、
加害者って、いかに罪を軽くしてもらって
軽くなったら 更生 と言う名の
社会復帰がまっていて
裁判の最後に
”この経験を生かして、
こうゆう犯罪を起こした人の
更生に役立つ仕事がしたい”
と、述べた被告の話も聞きました。
なにが 更生にやくだつだ・・・!
少しは詫びろ!!!!!!
格好だけでもいいから
詫びてみろ!!!!
そう思うのは 遺族として
誰に届かなかったとしても
当たり前の感情なのです。
うちの被告は、一審判決のあと
スキップして法廷を去りました。
いったい 人を殺すって事を
どう受け止めているのだか・・・。
だって スキップですよ?
スキップして私を振り返った時の
あの、オレの勝ち♪みたいな
軽い会釈が 今でも忘れられません。
加害者と被害者って
そのくらい 気持ちの差が大きいのです。
だから 私は間に合いませんでしたが
裁判での 被害者参加制度や
裁判員制度は、とても意味がある制度だと
私は思っています。
賛否両論あるでしょうが
誤解を恐れずに言うとすれば
法廷に出向いて 生で裁判を見れば
メディアでみているより
もっとリアルに こいつは赦せない!って
反省なんかしていないって
はだで感じるものが必ずあるから。。。