平和を願う、父の想い | 春秋

春秋

終活の試行錯誤
思い出の掘り起こしと覚書

亡き父は、もの書き

実家に、父の書き残したものが大量にある

今年は戦後80年、平和を願いながら

1980年8月15日 戦後40年の際の父のコラムを文字起こししてみた

以下

生まれる我が子に男児と女児の2種の名前をつけておいて、夫は戦場に征(い)った。そして再び帰らない。妻は痛恨を歌に託す。
〈生まれこむ己が長子にふたいろの名前を定め征きて還らず〉川内輝子
たくさんの母、妻、子が、息子、夫、父を戦争で失った。数知れぬ同胞が戦野で銃弾に倒れ、空襲で命をなくす。亡き人の思い出は40年たっても鮮烈である。
〈夢に逢ふ戦死の吾子はほほ笑みて何か言ひたき眼差しをしぬ〉武田静枝
戦いの死者をしのぶ心、つまり平和の願いだ。きょう8月15日。戦没者、犠牲者の霊に深い祈りをささげる。40年目を記念する日の誓いは「二度と戦争の時代を繰り返しません」―それしかない。
繁忙な豊かさのなかで、素朴な平和希求の念は、ともすれば薄れがちだ。戦後日本の原点である40年前を忘れることは出来ない。
明治37年8年の日露戦争が終わった直後「母ちゃんごらんよ」という歌が多くの国民に歌われた。
「母ちゃん御覧よ 向こうから サーベル下げて 帽子着て
父ちゃんによう似た おじさんが
沢山 たくさんやってくる
もしや坊やの父ちゃんが
かえって来たのじゃあるまいか

ゆうべも 言うて聞かせたに
はやお忘れか 父ちゃんは
あんなところにいやしない
あのお座敷の仏壇に おまつりしてあるあの位牌
あれが坊やの父ちゃんさ」

 

戦没者遺族の悲しい歌である。
どの時代も戦争犠牲者は庶民大衆だ。
明治から昭和20年8月まで、多くの戦没者遺族が悲しみに耐えた。
40年前、夏空は青く澄んだ。
国民の涙で洗った空の青だったか。鎮魂の思いで、あの日を振り返る。
平和を願って…。