離婚に至るまで①(出会い~引越し編)(№:6) | シングルファザー5年目のブログ

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ご覧頂きありがとうございます。
2016年に元妻の不倫が原因で離婚決定し、子ども3人の
シングルファザーとしてがんばってます。
日々の楽しみや苦悩、離婚の敬意など包み隠さずリアルに
さらけ出していきます。

寛大なお気持ちでお付き合いいただけたら嬉しいです。

もう少し先に書こうかと思っていましたが、昨日のブログで元妻のことに触れたので今日から書き起こして行きます。

(※注:長文です)

 

元妻とは18歳のとき、アルバイト先で知り合いました。

2年間の交際期間を経て、僕が20歳(就職したて)、元妻が18歳(学生)のときの、できちゃった結婚でした。。。

 

大阪出身ですが、就職先が滋賀県だったため元妻も滋賀へ引越してきて、僕が23歳で長男、25歳で次男が誕生。

 

それはそれは、幸せな家庭でした(表向きには)。。

 

歪が入りだしたのは、2008年のリーマンショック。

当時、自動車製造業で働いていた僕はリーマンショックの影響を

モロに受け、残業カット、賃金カット、ボーナスカットの三連コンボで収入が大幅に下がり、生活に困窮しそうな状況でした。。

 

 

今でこそ、副業が当たり前で職種も多くありますが、当時は副業を認める会社もごく一部で、知り合いのツテでバレないように働くか、お金を借りるかの選択しかありませんでした(T_T)

 

 

たまたまのタイミングで、学生からの先輩がピザ宅配FCを開かれるけど土日バイトどう?と声がかかり、元妻と出会ったのも大手ピザ宅配業で経験者だったこともあり、すがる思いで飛びつきました。

 

しかし店舗が大阪市内だったこともあり、週末の土日は大阪まで出稼ぎに。土曜日はアルバイト後実家に泊まり、日曜日の21時まで働き、毎週バイクで下道2時間かけて滋賀まで帰る生活を続けていました。

 

平日は18時には家に帰っていましたし、休日も用事があればバイトを休んで家族との時間を取っていましたが、その時からですかね。。家にいる時間が少なくなり、元妻のストレスが貯まり元妻との溝が広まっていったのは。。。

 

この生活がいつまで続くのかわからない不安と、子供は都会で育てたい!という思いがあり、長女が小学校に上がるタイミングで滋賀から大阪へ引越してきました。

 

ホントは大阪市内が良かったのですが、嫁姑問題で近くに住みたくないとのことだったので、縁もゆかりもない豊中市への引越し。

(周りの方々がとてもいい人で、今となってはここを選んで良かったとツクヅク思います)

 

引越し→就職(超ブラック企業。給与払わない、休みゼロ、18時間勤務)した会社も3ヶ月で辞め、コネで物流会社に就職。

 

零細企業でもあったので、年収も350万前後。。。それだけでは家族5人食べていけないので週二回、送迎のアルバイトを入れて何とか食べていっていました。

 

しかし!元妻はこの収入じゃ満足できず、「私も働きたい」と言い出し、近所の居酒屋で働く。水、土の週2日、18時~24時まで。もちろん家のこともしっかりやります!とのことだったので、認めてあげました。

 

この先にああなるとは知らずに。