3年間お世話になった保育園とついにサヨウナラ。
今日最後の保育園の日、朝はピカピカの青空。
保育に入り子どもたちと朝の会。お歌を歌っていると、やはりジーンと来る。
その後、お散歩、公園に行きたくさん遊んできた。
子どもたちは無邪気に楽しそうに遊ぶが、自分はどこかさびしい気持ち。
最後の美味しいお給食食べ、
午睡中に、
そしておやつを食べ、帰りの会。
帰りの会で歌った曲で、かなりウルウルきて、
さらに自由遊びの時子どもたちから、
「センセーありがとうございました」
という言葉をもらい、もっとウルウル。
でも泣きませんよ。男の子は♪
そしてお迎へに来るとき、一人一人の子どもたちとさよならすることによって、ウルウル。
今年度担当した、発達の遅れている子、T君とさよならしたときが1番涙がこみ上げてきた。一緒に頑張ってきたT君。ホントによく頑張りましたね。そしてありがと。
そして帰りにはお世話になった先生たちに挨拶をしながら、先生一人一人書いたお手紙を渡してさようなら♪
もう素直に泣きました。ホントにありがとうございました。
保育園に出るとき、スポーツマンということで一礼して、帰りました。ホントにありがとうございました。
子どもが描いてくれた 自分の似顔絵
一生の宝物
保育園の主な出来事。
2008年
この保育園で働こうとした理由は、当時自分の父親が病気で、なるべく家から近いところで働こうとして、S保育園で働かせていただきました。しかし自分はまだ保育士資格が取れてなく、8月にある保育士試験の勉強しながら働くことを決めました。しかし現場と勉強の両立が難しく、何度も体調を崩し、何度も休んでしまいました。しかも高熱が何日間も続き、回復力もかなり遅くなっていました。
そう、その1番の理由というと病気の父親が弱っていく姿を見て、自分が無気力になりそうな気持ち、不安な気持ちで膨らんでいました。そして自分はミルミルうちに痩せて行き、気づけば、ストレス障害で尋常性感染症にかかってしまいました。保育士試験は8月、父親の看病、勉強はさすがにも無理がありました。勉強より大事なことがあったのです。そして保育士試験は残り2科目中1科目落としてしまい、父親に合格通知を見せることができなった。そしてホントに逃げ出しそうになっていた自分を支えてくれていたのは、今働いている保育園。そう色んな方がエールをくれて、なんとか今という今を向き合うことができていました。そして9月に父親は他界してしまった。そのときとてつもない大雨が降ったこと、今でも覚えています。
そして1週間ほど落ち着いてから保育園に戻りました。辛い気持ちももちろんありましたが、なんとか頑張ってました。
2009年
ラスト1科目のために1から必死に勉強しました。もちろん働きながら。
そして筆記試験合格をし、初めて実技試験に進むことができました。そのとき、ボクが選んでいた、言語と音楽、
音楽はピアノでぞうさんとさんぽ、保育室で実際に子どもの前で弾かせていただいたり、言語の素話も子どもたちの前でやらせていただいたり、その成果が出たのか、実技試験も合格し、見事保育士試験合格しました。
そして合格通知…11月20日に届きました。
そうこの日は、亡き父親の誕生日でした。やっと亡き父に合格通知を見せることができました。
ね。
ボクからの誕生日プレゼント。
家族みんな、応援しくれたみなさんに感謝。特に家族にやっと良い話題ができてよかった。
2010年
ついに保育士としてスタート。2歳児の発達の遅れた子を担当させていただきました。名前はT君。ボクにとってこれが1番の良い経験となりました。もlちろんはじめはT君の気持ちがなかなかわからず、障害児の本など見て勉強しはじめました。しかしそれを見てもなかなか思い通りにならなかった。そしてT君の1日のノートを毎日1~10までビッシリ書くことによって、だんだん気持ちがわかってきました。何があってもそのノートには全てのことを書いていました。はじめは休みがちだったT君でしたが、約2ヶ月間休まず嬉しそうに登園してきたこと、1番印象的だった。月日を重ねることにT君に変化がありました。反抗することもしばし見られたけど、T君と一緒に頑張ることができました。お遊戯会も頑張って踊ってくれた。
2011年
憧れのデンマーク行きが決定。デンマークに行ってきました。そして2月、はじめての体育指導でT君が集団の中で体操をやっているのを見てなんだか自分の手から離れたような気がしてなぜだか涙が出てきた。そして今日、この保育園を勇退しました。