天外(てんげ)伺朗さんの「宇宙の根っことつながる瞑想」を読みました。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、著者である天外さんのプロフィールはちょっと変わっていますね。
なんと、あのSONYの役員も務めた方であり、有名な犬型ロボットAIBOの開発者でもある、コテコテの企業人なのです!
エンジニアであり経営の一角を担う人物というと、「瞑想」という響きからは最も遠い感じがするのですが…
天外さんの名前をご存じなくても、AIBOをご存知の方は多いでしょう。 そういえばプロジェクトXにも登場していますね。
このAIBOは、当時人工知能の技術が未熟なため、本当に人の役に立つ物が作れないジレンマの中で生まれたもの。
この未熟な技術を目にして、著者は
逆に(この技術を使って)役に立たないものを作ったら
面白いのではないか、とひらめいた。
上層部からの大反対にもめげず、このプロジェクトを推し進めた結果、AIBOは大成功。世界的に評価される製品となりました。
心の奥底からの衝動を大切にしたことが、AIBOの成功をもたらした、と天外さんは語るのです。
そんな著者が推奨する瞑想は、まさにこの心の声に気づくためのもの。
瞑想というと、日常生活から少し距離のあるもの、と考えられがちですが、そんなことはありません。
それは、水の中で力を抜けば身体が浮くような、
ごく自然な体験です。
そして、こう続けます。
人生のクオリティを高めて
生きるのをちょっぴり楽にしてくれる、
それが瞑想の魅力…
本書で紹介される瞑想は、日常的なストレスを解消し、人が本来持っている能力を開花させるためのもの。よくある神秘体験などを推奨するものではありません。
むしろ天外さんは、神秘体験に憧れる人たちに警鐘を鳴らします。
あるレベルに達した人は、自分の神秘体験を
吹聴したりしません。
それは、神秘体験そのものが一種の迷いで
あることを知っているからです。
本書で著者は、瞑想により日常の意識状態を超えた感覚が生まれる現象を、「瞑想が脳内麻薬の分泌を促進させるからだ」と冷静に分析する一方で、その効用についてもしっかりと説明しています。
その効用は「休息」「自己治癒」「自己発見」「自己実現」「自己超越」の5つ。
この各段階を経ることで、自分の内面に存在する「エゴ」と、自分が本当は何ものかを知っている「もう一人の自分(心理学的にセルフと呼ばれる)」を知ることができるのです。
それによって、激しい感情を伴うエゴに振り回されず、心の奥底に潜む「より高次の自分」の声に従うことができる。
だから、瞑想には目的意識を持たず(目的意識を持つことがこだわりやエゴを生んでしまう)、ただあるがままに取り組むのが良い、と著者は言うのです。
「病気を治したい」とか「宇宙との一体感を感じたい」といった
強い目的意識は、ほとんどの場合エゴの声です。
そんな欲望に振り回されながら瞑想しても、
心の奥の声を聞き取ることは難しいのです。
そういえば、以前ご紹介したスリランカ上座仏教の長老であるアルボムッレ・スマナサーラ氏のヴィパッサナー瞑想(現代人のための瞑想法 )でも、ひたすら自分の感覚に意識をむけることで、頭の中から思考を追い出すことを説いていました。思考せず、何も期待せず、ただその場に身を任せることが大切なのでしょうね。
曹洞宗の開祖である道元も「座ることそのものが目的であって、何か他の目的を持って坐るのではない(只管打坐:しかんたざ)」と教えています。
一方で著者は、米国の成功哲学についても、エゴの観点から警鐘を鳴らします。
これらの成功哲学のルーツはインドのヴェーダ哲学です。
ヴェーダ哲学の「純粋な魂の信念は実現する」という教えを、
「強い信念は実現する」というふうにアレンジしたもの。
この考えは、一歩間違えればエゴの肥大を引き起こし、欲望の虜になってしまう危険性がある、と著者は危惧します。
私たちはヴェーダ哲学のいう「純粋な魂」という前提について、
もう少し吟味する必要があるのではないでしょうか。
基礎編、理論編、実践編の三部構成からなる本書は、これ以外にも、筆者なりの「あの世」と「この世」の解釈など、興味深い記述がいろいろ出てきます。
もちろん実践編では、瞑想法の具体的なやり方やさまざまな呼吸法の紹介など、イラストを使った分かりやすい説明で、忙しい人でも、ちょっとやってみようかな、という気にさせる内容になっていますね。(著者は、忙しい人ほど、日常のストレスやエゴによる感情の渦に巻き込まれないために瞑想が必要だ、と主張しています)
そんな天外さんは、安全で良質な瞑想教室を探している人のために、禅寺での座禅会に参加してみることを勧めています。
うーん、一度出かけてみようかな…
最近心が疲れ気味だな、と思われる方は、この秋、一度トライしてみるのもいいかもしれませんね。