引力的現象と電磁的現象。言い換えると、直接知覚可能現象と直接知覚不可現象。量子力学の知見によると、世界を動かす原理は2つに収斂されるそうだ。引力と電磁力である。厳密には両者は不可分であるようだが。
僕は日常生活で、混乱から離脱すべく、先程の明快に二分化した現象把握を拙くも採用している。あてはめの杜撰具合も承知だが、かつて現象理解が、超論理な宗教物語で説明されていた事を踏まえれば、許されるだろう。
ここで、強引に人々の身体と脳に先程の統一的原理を杜撰にも適用する。身体に負荷される引力は地球核の単位当たり質量に関連し、脳は閾値以上以下という電気パルス有無で判断されるというから、まあいいだろう。
さて、21世紀以降の情報空間の肥大化により、前者が関与する現象に人々が触れる機会が多くなった。例えば、コンピュータの解禁は電磁的、量子的システムを人々の触覚レベルで露骨にさせた。キーボードという入力装置の触感がディスプレイに表示して視覚産物化されるまでの電磁的量子的な仕組みを多くの人々は知らずして、納得しているが。
ここで僕は、圧倒的なる違和感を無意識領域内に収めることができない。どうして、指先の寸なるタッチが認知可能なスクエアの集合体に化するのか。そんな疑問は、PCアーキテクチャの本を数冊読むなりすれば容易に解決されるだろう。しかし、僕にとって、電磁的現象の理解が「テクノストレス」の軽減にあまり役立たなかった。
「テクノストレス」とは、ディスプレイから放出される電磁波が脳に与える影響や、長時間の同一姿勢による筋肉硬直等、PCシステム理解と無関係な問題がある。一方で、バグや情報送受信の遅延等、人によるシステムの理解により、回避可能、もしくは、回避不能でも理解可能な問題がある。
前者は技術革新や日頃の意識付けで軽減可能だ。後者は電磁波現象の理解が処方箋のはずだが、どうにも腑に落ちない域を踏み潰せない感がある。
電磁波現象を理解することは、<脳>を理解すること、つまり、<思考>自体を<思考>が理解することなのではないか。そして、<身体><重力><物理学>を認知し理解することと比較して、メタ認知具合が高いため、脳自体に負荷がかかりやすいのではないか。「微細なテクノストレス」はそれの体現ではないか!
いつの時代も文系人間、理系人間は存在し、近代工場制では、システム理解構築が好きな理系の方だけがシステムに接していれば良かった。しかし、全員に、「パーソナル」にシステムが解禁されたため、テクノストレスもデジタルデバイドも生じているのだろう。
とまあ、初回にも関わらず、主観的感覚をベースにした横断も甚だしい文章であった。
これも、システム認知量の少ないタッチパネルで文章が書けるような環境になったからだ。
